科学史Ⅱ
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清心科学史2は、このページに準拠しています。授業では進化論史・原子力エネルギー史を学びます。科学史的にはモード1からモード2への転換です。■急仕立てで作ったため、書誌事項が万全ではありません。改善してゆく所存です。
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1. モード1としての進化論・モード2としての原子力エネルギー
[授業目標] 近代科学史を俯瞰できる ★予習:HPをダウンロードのこと

[前置き]
モード1の科学が成立する以前、聖なる「知」という発想が科学の根幹にありました。すなわち自然についての「知」が、神の御業、神の計画についての「知」に連なることは、自明であったのです。例えば花の構造を見てみてください。その花弁の微細で巧妙に作られた構造には、神の創造の素晴らしい意図が見出せる、とされました。またそれ故にこそ、科学を研究するということは、世界をつくられた神様の意図を知ることでもあったのです→教p34-36。
〔問い〕空所を補充せよ。
 神様はいったん    と言われています。いわゆる神が    と言われる時代に成立したのが、モード1の科学です。
モード1とモード2の勉強。簡単に約せば、ディシプリン、学科ですね、その内部の論理で、研究の方向や進め方が決まるのがモード1、19世紀後半からの科学の形態です。それに対して、20世紀後半になって、社会に開かれた科学研究のあり方がされるようになったのがモード2です。
〔問い〕モード1以前の科学はどうだったのか?

 昔の科学者は実は哲学者と呼ばれるべきです。ガリレオも、地動説を唱えたコペルニクスも哲学者であったのです。裏返せば科学者のチャンピオンのように思われているニュートンも科学者では決してなかったのです。そもそもScientistという言葉は、ニュートンの時代には存在しませんでしたし、あったとしてもその造語法からしてニュートンはScientistと呼ばれるべきではなかったのです。

〔問い〕空所を補充せよ。↓click
 モード1の科学が成立する以前、  なる「知」という発想が科学の根幹にありました。すなわち自然についての「知」が、神の   、神の計画についての「知」に連なることは、自明であったのです。例えば花の構造を見てみてください。その花弁の微細で巧妙に作られた構造には、神の   の素晴らしい意図が見出せる、とされていました。またそれ故にこそ、科学を研究するということは、世界をつくられた神様の意図を知ることでもあったのです。
〔問い〕空所を補充せよ→教p.37~。
 Scientistという言葉は現代的な科学の誕生と時を同じくして、   世紀半ばに作られた言葉だったのです。まず近代科学の歴史は三期に分けられます。科学と宗教が渾然一体化した     期。そして19世紀の半ばから成立した      期(モード1)。そして20世紀末から21世紀の科学によって特徴付けられる      期(モード2)。
前科学期からモード1に変化することによって知識は世俗化しました。元来あった知識の形態では、それ自体、宗教的価値を帯びているから、宗教的価値のために知識を愛する必要があるというものでした。本来、科学は    教的真理を探究するものでした。ガリレオ・コペルニクスの時代は言うまでもなく、ニュートンの時代においてさえ、彼らの知的活動の本質は、まさにそのような神学的立場からなされてきました。しかしながらここで成立したモード1の科学の形態では、そうした宗教的な目的をもはや帯びなくなり、飯の種のために科学は研究されるべきであるというように変わります。「アマチュア」、つまり好んでするからこそ、崇高さを保ちえたとさえ言えます。つまりフランス語「好き」amareラテン系の「amator」愛好家と同系統の語ですね。それがサイエンティストになると、「プロ」つまり科学研究を    にするというニュアンスが生じます→教p.47。

〔コメント〕まさにそれまでは、「知への愛」が貫かれてきたのですが、現代の先駆けとなった精神状況に一変します。すなわちニーチェの名とともに記憶されている神の死であります。神は死んだ、の言い出しっぺがニーチェということになっています。

〔問い〕空所を補充せよ。
かくして科学においても神や宗教の意義が否定されるに至ります。村上陽一郎氏はこの歴史的事象を     と名づけます。ニーチェが神を否定する以前に18世紀後半、すでにキリスト教を否定する動きがあったことを指します。例えば村上陽一郎、1976、『近代科学と聖俗革命』新曜社、12ページ)のなかで次のように特徴付けられています。「「全知の存在者の心の中に」ある真理、という考えから、「    の中に」ある真理という考え方への転換」(エリアーデ)と。若しくは「信仰」から「理性」へ、と。一般に18世紀後半から生じたこの思想運動のことを     と言います。

〔問い〕宗教(疑似科学)と科学はやっぱり別じゃないの? この問いに対して答えよ。

【問題意識共有メモ】
 それまで科学が扱ってきたのは聖なる知識であった。
 人間は神を媒介にしなければ自然に接することができないという考え方から→直接人間は自然に接することができるという考え方へ。
〔資料〕村上陽一郎、1976、25ページ。
 第一の段階は「神の恩寵に照らされた人間だけが知識を担い得る、という原理から、すべての人間が等しく知識を担い得る、という原理への転換である」。第二の段階は「知識の位置づけのための文脈の転換であった。神-自然-人間という文脈から自然-人間という文脈への変化がそれである」。神は自らの似姿として人間を作った→人間にも神の創造の意図を推し量れるはず。

Break time

 オカルトと科学の線引きは簡単なようで、昔から解決されていない問題demarcationです。オカルトは証明できないことを扱っていると、よく言われます。が、科学の最先端の仮説は、実証抜きに前提されて、ともかく実験をやってみることがあります。というわけで、「証明可能」という言葉の中身の理解が、ひとによって変わってきますから、なおさら厄介です。神の存在論的証明を正しいとする人から、ホメオパシー を正しいとする人まで千差万別なのですから。

〔文献一覧〕
村上陽一郎、1994、『科学者とは何か』新潮選書。
村上陽一郎、1976、『近代科学と聖俗革命』新曜社。

2.進化論を準備したもの
[授業目標]歴史主義と呼ばれる世界観を理解できる ★予習:資料の予習

■「種」の不変説→教p.250
 evolvere =「                                 」
 進化には、元来、単純な生物から複雑な生物への位階秩序的で定向的な変遷の意味はなく、ただ変化する展開という意味であった。
 その意味でなら多くの神話は「進化」思想を含んでいる(ギリシア思想も例外ではない)。
 こうした動的な生命界のあり方に、静的な秩序を与えた最初の人物はアリストテレス。
→目的論的な原理による生物界の位階的秩序が設定されると、各生物はその秩序の内で静的となる。ref.大プリニウス(23-79)『    』《Naturalis historia》
 元来、   派の主張には、人間は自然のために造られている、という目的論があり、また、キリスト教とヘレニズムの最大の接触点である         には、自然は人間のために造られている、という目的論があった。自然と人間の対比=マクロコスモスとミクロコスモスの対比(        の影響)
 キリスト教思想にある神の計画性という目的論は、アリストテレス思想と結びつき静的な秩序概念が流布する。ref.ストア、ネオ・プラトニズム
 アリストテレスの「自然の梯子」に象徴されるかたちで、キリスト教思想と結びついた目的論的位階の最上位に   が位置する。
 「創世記」解釈の柔軟性→アウグスティヌス・ティエリ・トマスアクイナス
 プロテスタンティズムの解釈の厳密性の要求→カトリシズムでも「種の不変性」が喧しく論じられるようになる。
■「種」の不変という概念の成立
 理念的な「種」の不変説は、近代キリスト教思想のなかで、漠然とはぐくまれていった。生物学的に整理→    (1707-1778)の功績。
 リンネは、生物の学名の命名法として現在も使われている「二名法」、つまり、生物を綱、目、属、種に細分化し、最後の二つ、属と種の二つの名前で呼ぶ、という方法の発明者として知られている。アリストテレス以来の「      」の概念の完成。
 彼の言う「種」は神が創造の行為によってこの世にあらしめて以来、まったく変わらず存在し、新しい「種」が歴史的に生成されることをはっきり否定した。
 裏返して言えば、強固な「種」の概念の定立があったからこそ、「進化」の概念に与りえた。
cf.東洋のように、「種」の概念が曖昧なら、「進化」という発想がそもそも出てこない。
■歴史への関心=歴史主義
 ロマン主義における歴史への関心。←ニュートン力学的機械論に対する反動。
http://www.tate.org.uk/learn/online-resources/william-blake/blakes-cast-of-characters/william-blakes-cast-characters-newton〔和訳せよ〕
 The eighteenth-century poet, Alexander Pope, wrote a satirical epitaph for Newton:
Nature and Nature’s laws lay hid in night
God said Let Newton be! And all was light.

 This shows just how much the eighteenth century revered the great philosopher. Newton had successfully explained the workings of the physical universe. To Blake, however, this was not enough: Newton had omitted God, as well as all those significant emotional and spiritual elements which cannot be quantified, from his theories. Blake boasted that he had ‘fourfold vision’ while Newton with his ‘single vision’ was as good as asleep. To Blake, Newton, Bacon and Locke with their emphasis on reason were nothing more than ‘the three great teachers of atheism, or Satan’s Doctrine’.

 In this print from 1795 Newton is portrayed drawing with a pair of compasses. Compasses were a traditional symbol of God, ‘architect of the universe’, but notice how the picture progresses from exuberance and colour on the left, to sterility and blackness on the right. In Blake’s view Newton brings not light, but night.


■空所を補充せよ→教p.255。
 地球の「歴史」についての科学的探究は、17世紀後半のデンマーク人    (1648-1686)によって、はじめて緒を見出し、化石の各地層内の存在などを土台に、地球の年代誌についての最初の大胆な仮設を提出した       (1707-1788)の『自然の時代相』《Époque
de la nature》によって、画期的な試みを迎えた。
 人類の歴史の発展を貫く原理へのアプローチ。
■進歩的(啓蒙)歴史観の代表者として、しばしばコンドルセが挙げられる。
→コンドルセCondorcet, Marie-Jean-Antoine-Nicolas de Caritat, marquis de
  https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%82%BB-67489

■生物学史全体のなかに人類史を位置づける試みとしてはヘルダー(歴史主義の先駆けとも言われる)
→ヘルダーHerder, Johann Gottfried von
 https://kotobank.jp/word/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC-130575

社会思想の成熟 ホッブズ→ヒューム
 
ホッブズ(1588~1679)イギリスの哲学者・政治思想家。

■下記の文章は、ホッブズの社会契約思想の要約を述べている。空所を補いなさい。
 人間は本性上   な存在なので、自然状態においては各人の各人に対する   は避けられない。この   状態を脱するために必要な条件が「    」として与えられているので、理性がそれを見出し、人々がそれに基づいて社会   を結んで主権者に権利を譲渡すれば、   な社会に移行することができる。

【問題意識共有メモ】ホッブズによれば、人間の本性はもっぱら「自己保存」にあります。人間は欲望(desire)と嫌悪(aversion)を原動力とする情念的な生き物なのです。そして、欲望の対象が善で、嫌悪の対象が悪だとされます。要するに、善悪はほぼ快不快と同一視されているといえます[→教科書56ページ]。

人間の本性は獣:下記の文章は、ホッブズの人間本性観を述べている。空所を補いなさい。
 ここで注目すべきことは、出発点における人間本性が本質的に     なものとして捉えられていることです。道徳成立以前の自然状態において、人間の本性に従った欲望が  で、嫌悪が  であるなら、その善悪は本質的に道徳的善悪と対立するはずです。
    善悪と    善悪とが逆転するというこの発想、言い換えれば、まさにその直接的善悪を守るためにこそ、それを逆転する     善悪がぜひとも必要とされるという発想、これがホッブズ道徳哲学の要です。:意志という概念を理性から切り離したのはホッブズ思想の特色の一つです。
〔問い〕なぜ、万人の万人に対する戦いは、不可避なのでしょうか。またなぜ権力によって、戦争状態を止めることができるのでしょうか。

〔資料〕「人々を平和へ向かわせる情念は、死への恐怖であり、生活に必要なものを求める欲望である。……そして理性は、人々が同意へと導かれるような好都合な平和の諸条項を示唆する」。
【問題意識共有メモ】自然法は、自己保存を本性とする人間にとって内在的なものではなく、あくまでも外在的なものです。死を恐れるという情念の背景なしには、自然法に従う動機そのものが存在しません。
【問題意識共有メモ】 直接的善悪を守るためにこそ、それを逆転する道徳的善悪が必要とされる。→そういう場合、最初の動機が貫徹されるためには、むしろそれが忘れ去られ、手段にすぎなかったはずのものが自己目的化される必要が生じます。

そしてヒュームへ:ジョセフ・バトラーの批判
ホッブズの考えでは、自ら欲して何かをする場合、その行為の目的は必ず自分の快楽であるということになります。われわれは、おなかがすけば単に食べたいと思うのであって、食事よって引き起こされる快感を惹起したいなどと考えません。それと同じように、困っている人を見れば、単に助けたいと感じるのであって、助けることによって引き起こされる自分の快感を味わいたいなどと思うわけではない、というわけです。
 
ヒューム(1711-1776) イギリスの哲学者・歴史家。

【ポイント】道徳感情=ある種の快
共感によって自然に共有される(理性を媒介にせずとも、暗黙の内に正義の徳が、共有される所以)。

ヒュームにおける利己心と共感のメカニズム。
 「他者の心情は、ある程度まで、われわれの心情となることがなければ、われわれを動かすことはない。しかし、われわれ自身の心情になった場合には、あたかも、それらがもともとわれわれ自身の気質や性向から生じ来た場合と同じように、われわれの情念と対立し、また増大させるのである。他者の心情は、それが他者の心に隠されたままにとどまっている間は、われわれにどのような影響も与えることはできない。しかも、それらの心情は、たとえ知られても、単に想像や想念の域を出ることがなければ、……それだけでは決してわれわれを動かすことはできないだろう」(Hume,D.,1978, p593.)。
 ヒュームによれば指の痒(かゆ)さのため、指を掻くことは、全世界の破滅とどのみち同じとされました。情念の恣意は、自己破滅的倒錯に巻き込まれるほど、振舞いに食い込んでいます。
「第一に希望や恐れ、悲しみや喜び、絶望や安堵といった、ある情念が起こるとき、実際には実在しない対象を想定して、それは見いだせる。第二に情念を行為で喚起するとき、選ぶ手段は企図(きと)された目的には不十分で、誤った迷妄に基づく判断で自らを欺くばかりか、悟性による行為の正当化も咎(とが)め立ても適(かな)わぬのである。全世界の破壊より自分の指のひと掻きを選好しても理性にもとることはない。インディアンや私が全く見知らぬ人のわずかの不安を妨げるために、自分の全破滅を選んだとしても理性にもとることはない」(Hume,D.,1978, p.416.)
 私たちは他者の心情を「共感」することは、ごく身近な人の場合でさえ、そんなに容易なことではありません。ましてや縁の遠い他者の心情を「共感」することはほとんど、起こりません。つまり今、地球の裏側で起こった殺人事件を「ひどい」と思っても、手をこまねくのが人間本性の「一つのあり方」です。だから遠い他者、もしくはかけがえのある他者との「心の交流」としての共感じたいは、高すぎる目的であると打っちゃっておく、という態度もありでしょう。
 自分にとって好ましいからこそ、他者のために為すのが共感の基本。そこで利己心をめぐるヒュームの考え方を見ておきます。伊勢俊彦氏のヒューム解釈はある程度、ヒュームにおける利己主義を裏付けます。
 共感の考えがヒュームからスミスに伝えられるのです。スミスの立場は自己中心的です。そもそもスミスは『道徳感情論』の中で、人間は自己中心的であると述べています。そのことは――シナの大地震による不幸があったとしても人類愛のあるヨーロッパ人でさえ無視するだろう、という言葉によって記憶されています(Smith, A.,1979, pp.137-138)。ここから生活に必要なものを得たいならば、他人の仁愛に期待できず、交換するほうがあなたにとっても利益になるともちかけて、自己愛を刺激するという心理的メカニズムが働くことがわかります。したがって共感をめぐる問いは、利己的な存在である人間が、他者の境遇に関心を寄せるのはなぜか?という形に変わります。これに答えて、互いの利己心の追求の原理がある、という洞察に達しました。
個人主義=機械論的世界観→秩序の形成

〔勉強のすすめ〕この流れを汲(く)む共感の考えがヒュームからスミスに伝えられるのです。個人主義的考えから、どのようにして社会契約が成立するか、答えなさい。
 松嶋敦茂、2005、『功利主義は生き残るか――経済倫理学の構築に向けて』勁草書房。参照。
 そのように、ゲームがうまく倫理的な規則と〈連動〉する場合も確かにあります。
 スミスの立場は自己中心的です。ここから生活に必要なものを得たいならば、他人の仁愛に期待できず、交換するほうがあなたにとっても利益になるともちかけて、自己愛を刺激するという心理的メカニズムが働くことがわかります。したがって共感をめぐる問いは、利己的な存在である人間が、他者の境遇に関心を寄せるのはなぜか?という形に変わるのです。これに答えて、互いの利己心の追求の原理がある、という洞察に達しました。

〔文献一覧〕
Hume, David,1978(←1739-1740), 2nd. ed. by P.H.Nidditch, A Treatise of Human Nature, Clarendon Press.
Smith, Adam,1979(←1759),rep., Raphael and Macfie(eds.), The Theory of Moral Sentiments, Clarendon Press.


3.生物進化理論
[授業目標]生物進化理論の発展を理解できる。とくに『種の起源』概説 ★予習:資料の予習

【問題意識共有メモ】 生物の「種」の変化という発想は、「種」という概念じたいが確立しない限り成り立ちえない。「種」という発想は、ギリシア以来連綿と受け継がれてきた。 ref.Great Chain of Being

・イギリス リンネ以来の博物学に対する興味。
・フランス キュヴィエの天変地異説 ラマルクの発案によるパリ博物誌館の設立。
・ドイツ  ゲーテの植物形態学。

■ラマルク(1744-1829)の進化理論→教p.259-261
 斉一説(⇔天変地異説)を唱えたライエルによって評価。     説*。
 ラマルクは進化に対する考え方を、『動物哲学』(1809)と『無脊椎動物誌』(1815-1822)の第一巻のなかで展開。
 ラマルクは無脊椎動物の分類にさいして、自然の梯子が単純から複雑へと移行していることに注目した。ラマルクの体系的進化論の出発点=自然の歴史はその単純から複雑へという自然の梯子を上りつめたとみなした。現在の現象にこそあれ、自然の梯子という秩序は静的だとしても、過去の歴史では、自然の梯子は動的に変化する歴史過程として捉えるべきであるとした。
■→教p.260「種」としての特有性を示す「種」の特徴に関して、「種」は置かれている環境に非常によく適応している。注:もとより、彼は、環境のみが、「部分の発達」という変化を与える動因ではない。生物体の内部にも、複雑化しようとする動因が働いている。内部動因による複雑化の過程に、環境が決定的役割を果たす。
 *一つの器官を反復して使用すれば、その器官の発達を促し、強大化させることがあり、他方、一つの器官が使われなくなることが習慣化されると、その器官の発達は妨げられ、弱小化してゆく。そして、この習慣が、親から子へと受け継がれてすべての個体にわたって長い期間続いた場合には、その器官が消滅してしまう、という点も、多くの事実が示すところである。こういうわけで、環境条件が変化し、ある動物個体の習性が変わらざるを得なくなると、使用されなくなった器官は徐々に退化し、使用が頻繁になった器官はさらに発達する………

 「種」の差を示す器官や構造の特異性は、結局のところ、ある環境のなかで、その器官を使うことを余儀なくされる場合には発達し、さらに、使わないですむ場合には退化する、すなわち、用いるか用いないかによって、体制上の特異的差異が生まれてくる。
ラマルクによれば、生物界のダイナミックな動きは、こうした                     によって説明されるべき。ref.キリンの首が長いこと。
■ラマルク説の問題点→教p.261
 獲得形質の遺伝を認めているとして、非難されている(用・不用説の前提)。
あるキリンが、高い木の葉を喰べようと、前肢と顎とを絶えずできる限り伸ばしていれば、確かに、その個体の前肢や顎は、そういう頻繁な使用の前よりも発達するかも知れない。けれども、その前肢や顎が使用によって発達したという特徴が、そのキリンの子孫に伝えられなければ、用・不用説は、そのままでは成り立たない。つまり、使用によって発達した器官の特徴の少なくとも一部分が後代に伝えられない限り、子孫は、前代の発達過程を繰り返しはしても、長い年代の間に発達が蓄積されて、非常にはっきりした特徴として現われることは、論理的に不可能である。
① 獲得形質という概念は、やはり、生殖質と一般の体細胞との区別がはっきりと立てられ、遺伝現象を担うのが生殖質に限定される、というヴァイスマン=モーガン流の近代遺伝子遺伝学の概念枠組みのなかで、はじめてそれとしての意味をもつ→獲得形質の遺伝:ラマルクの時代の遺伝学の問題点。
② ラマルクの目的論cf.ダーウィン:みずからの立場を目的論に対比すべき機械論的発想とした。
■ダーウィンの登場→教p.263-267
 ピーグル号航海記(1831.12.27~1836.10.2)
ガラパゴス群島での体験が、ダーウィンの進化理論の直接の母胎となったと言われている。https://www.youtube.com/watch?v=fBkJ6attxTM
 南米エクアドルの沿岸約1000キロの太平洋上に位置する群島→ゾウガメ・ウミトカゲ
 群島内で同じゾウガメにしても、棲むものがそれぞれ少しずつ異なっている。
 土地、気候などの風土的環境と生物との相関関係のなかで、ある固有の生物相が形成されていくという思想の萌芽を見て取ることができる。共時的に存在する種々相のなかに、歴史的な展開を読みとる。ライエルの地球の「生成」に関する歴史的アプローチが、ダーウィンの「種」の「生成」に関する歴史的アプローチへの大きな刺激となった。
■『種の起源』→教p.267-269
マルサス(1766-1834)『人口論』に、自然選択説のアイデアを触発された。(ウォレスも同様に影響を受けていた)。
ダーウィンの『自伝』の記事を信頼するとすれば、1838.10に『人口論』を読んださい、食物を獲得するための生存競争が、動植物における新しい「種」を産むための基本的要因になるのではないか、というアイデアが浮かんだらしい。注意:『自伝』記述の問題。
生物の「種」の形成の機構と要因とを、生物間の競争による「自然選択」[=英語          ]に求める。
■空所を補充せよ。
    年に、ダーウィンは、ついに、この「自然選択説」に関する著作の執筆にとりかかった。その第10章まで筆が進んだ1857年に、モルッカ諸島にいた若い博物研究者        (1823-1913)から一通の書状が届いた。その書状には、簡潔ではあるが、しかしダーウィンの「      」とまったく同じ主旨の進化理論が副えてあり、その論文を、すでに博物学者として名を知られていたダーウィンの手で、しかるべき場所に紹介・発表して欲しい、という依頼であった。ダーウィンの「     」に関する著述は未完成であったが、     のそれは、短いが完結しており、発表の意志を備えている。ダーウィンは功を     に譲ろうとまで決意するが、友人たちの尽力によって、早い段階から「自然選択」説を抱いていたことが証明され、     年のリンネ協会の席上で発表された。『種の起源』(     年)。
■自然選択説→教p.269-271 
 『種の起源』の実際のタイトルを挙げよ。
 『種の起源』の画期的な意味を述べよ。
 注意:この書はダーウィン生存中に六版を重ね、版を重ねるごとに改訂される。初版と普及版としての第六版(1872年)とは、内容的にかなり異なった部分がある。
■空所補充
 自然選択は、自然環境を一種の篩(ふるい)に見立て、その篩によってふるわれて死滅するものと、残されて存続するものとに分かれるさいに、環境という篩に適したものが生存することによって、環境への変化への適応が生まれ、それが要因となって、器官や機能に変化、進化が起こる、と考えるものである。環境のなかで生き残るための闘いが、     というかたちをとって現われ、その     に勝つものが当該の環境にもっとも適したものである、という「       」の原理[=survival of the fittest]がそこから生まれる。こうした点を「種」の下位概念としての「    」[=breed]が、人為選択によって生み出されることを示すことによって明らかにしようとする。この人為的な「   」の「進化」の機構は、そのまま、自然の環境による自然的な「種」の「進化」に連なるというのがダーウィンとウォレスとの基本的論点である。
■この説を支える背景
ラマルクの説との違い
ラマルク:適応を内的要因によって、つまり生物の「適応しようとする力」によって把握
ダーウィン:適応を外的要因によって、つまり生物の置かれた環境を「篩」と考えることに把握。










































ロバート・ウィストン編,荒俣宏監修,藤井留美訳『〔ビジュアル版〕世界科学史大年表』,2015,204ページ。





4.ペイリーと自然神学:広教会派
[授業目標]ダーウィンの背景となった自然神学を理解できる ★予習:HPをダウンロードのこと

■ペイリーの『自然神学』(1802) 19世紀前半、イギリスの科学者の大半はペイリーの信奉者。 ペイリーの体系では、自然科学、人文学、社会科学、そして宗教は一体になっており、これを結びつけているのが自然神学であった。
 チャールズ・ダーウィン自伝  「学士の試験に通るためには、ペイリーの『キリスト教証験論』と『道徳哲学』を勉強しなければならなかったが、私は首尾良くやりとげた。私は『証験論』の全体を完全に正しく書くことができたと確信している。ただし、もちろん、ペイリーの明快な言葉のままということではない。同書の論理は、ユークリッドと同様の喜びを私に与えてくれた。同じ著者の『自然神学』もこれに加えられよう。こうした著書をどの部分も丸暗記することなく、注意深く学んだことだけが、大学の課程で私の精神の涵養にいくらかでも有益であったと感じていたし、現在でもそう信じている。当時の私はペイリーの前提を少しも気にかけなかった。そうした前提を信頼し、長い論証の系列に魅了され、納得させられていた」。
 最初の六章でデザイン論の有効性を証明https://www.youtube.com/watch?v=Aou6iB4Vah0  
 時計については、ただそこにあるのだ、という答えはできない。なぜなら、さまざまな部品が或る目的のために組み立てられているからである。「時計には製作者がいなければならない」(p.3)。時計のような機械には、考案(contrivance)とデザインが必要である。「考案には考案者が、デザインにはデザイナーがいなければならない」(p.13)。こうした人工の考案物よりも、自然に見られる考案の方がはるかに巧妙で多様である。その典型が動物の目である。「こうした考案の表示によってのみ、神の存在と作用と英知が、理性を持たされた神の創造物である人間に証かされるのである」(p.42)。しかし神の作用を示すのに、デザインの例をいくつも挙げる必要はない。「神の証明は一つの例だけで完全である」(p.77)。
 注:デザインする人格性を神に認める。人格的な神を認めない理神論を否定している。
  第二六章:ペイリーはすべて動物は超多産であって、それは子孫の維持可能な自然の容量を超えているという。個体数を調整する仕組みの一つとして、捕食が挙げられる。個体にとっては不幸でも、種のためになる。←マルサス『人口論』(1798)
■ダーウィンが受けた影響。
 『種の起源』で挙げている適応の事例の多くは、ペイリーの取りあげたものであった。ペイリーの『自然神学』に対応している部分が『種の起源』には多く見られる。Ref.攀緑植物・食虫植物・・・ ペイリーが神のデザインという言葉で済ませてしまった問題を、ダーウィンは自然選択によって説明しようとした。ダーウィンも17c.以来のイギリス自然神学の系譜の延長上にあった。
■広教会派と高教会派 19c.のイングランド教会には低教会派(福音派)、高教会派、それと広教会派があった。
 ホイッグの広教会派が自然神学にもとづく科学研究を推進し、トーリーの高教会派がこれに敵対していた。 1851年の宗教センサスの結果を見ると、国教であるイングランド教会の信徒が全体のほぼ半分で、あとの半分はメソジスト、組合派、バプティスト、クェーカーなどの非国教徒である。 イングランド教会の三派閥(←W.J.コニベア,1853による)
・低教会派(Law Church)・・・儀式の意義を低く評価。個々人の信仰を重視し、信仰の拠り 所をもっぱら聖書に求めた。実践面で活躍したが、一般に知的関心は乏しく、科 学にも無関心だった。
・高教会派(High Church)・・・教会の聖職者によるさまざまな儀式の意義を高く評価。神学 に深い関心を抱いていたが、科学には興味を持たず、むしろ科学は信仰の妨げに なると見なしていた。
・広教会派(Broad Church)・・・寛容の精神を説き、国教会では多様な立場が許容されるべ きであると主張した。コべニアは、「古典学、数学、自然科学、一般史、教会史、 詩学、あるいは文学に大きく貢献している聖職者がいるが、その全員が、ほとん ど例外なく広教会派である」と述べている。
■ダーウィンと広教会派  1827年にケンブリッジ大学に入学したチャールズ・ダーウィンは広教会派が活発に活動している時期に大学生活を過ごした。ペイリーの自然神学とハーシェルの科学論を熱心に学んだ。『種の起源』本文冒頭で、「現在の最も偉大な哲学者の一人」の発言としてハーシェルの言葉が引かれている。
■ハーシェルの科学論  1830年に刊行されたジョン・ハーシェルの『自然哲学研究序論』は三部から成り、第一部で科学の役割、第二部で科学の方法論、第三部で科学諸分野の現状を論じており、冒頭からキリスト教色が濃厚にあふれている。ひとは世界を秩序とデザインを備えた体系と見なし、その結果、「ひとを超えた力と知性の概念に導かれる」(p.4)。科学は「神の存在と主要な属性を確固として基礎づけ、神への疑念を取り払い、無神論をばかげたものにしてしまう」。 ハーシェルはイングランド教会の聖職者であり、科学と信仰の結びつきを強く唱えていた。
★仮設演繹法 「科学研究で成功するためには、帰納法と演繹法とを連続的に交互に用いることが必要になる」。ハーシェルが科学の基準と見なしているのはニュートン力学である。
★1844年にまとめられたダーウィンの理論によれば、通常の状態では遺伝変異がまれで種は変化しないが、環境が大きく変わったときに変異が誘発され、最も環境に適応した変異体が超越的存在、すなわち神によって選択される、種が分化するのは地理的隔離によると言う。15年後の『種の起源』では、遺伝変異はありふれたもので、種はつねに少しずつ変化し、地理的隔離がなくても種は生態的に分化するというようになり、選択は神が直接行うものでなく、神の設定した自然法則と見なされるようになった。
 創造論から生物の進化へ。ダーウィン自身、ペイリーの著書を熟読し、これに感銘を受けていた。ペイリー流自然神学の解説書であるブリッジウォーター論集の著者たちがこぞってラマルクの進化論を批判したことからも分かるように、ペイリーのデザイン論からは進化論が生まれる可能性がなかった。ライエルの『地質学原理』が進化論を生みだしたとも考えにくい。
★先験的生物学 生物界全体でのプランの一致を強調。進化論の初期においても先験的生物学の刺激があった。 →オーエンの先験的生物学(先験的生物学は広教会派の父、コールリッジによって信奉)
 個々のデザインではなく、自然界の秩序に神の力を見る。
 先験的生物学と適応主義の統合→1849年 『四肢の本性について』もとになる原型にさまざまに異なる変更が加えられて、つぎつぎと新たな生物が出現してきた。したがって、形態の考察は、形態学的原理(原型=先験的生物学)と目的論的原理(適応=ペイリー的概念)の二つの観点からなされなければならない。オーエンは同じ部分に由来する器官を「相同」(homo- logy)、機能は類似しているが原型の関係がない器官を「相似」(analogy)と名づけ、この二つを明確に区別した。オーエンはペイリー流の適応主義と先験的生物学の原型概念とを統合したが、適応形質よりも、その背後にある原型を明らかにすることこそ神の力を証明することであり、それが形態学の役割であると見なしていた。
 1844年の段階ではペイリーの適応主義を色濃く残す。生物は環境に完全適応(神の手による自然選択)
 1859年の『種の起源』。生物の適応は不完全。自然選択により適応性が少しずつ向上。オーエンの影響により、完全適応を捨て去った。
 『種の起源』初版。ヒューエルとベーコンの言葉が引用され、同書が自然神学書であることを示している。第二版には、バトラーの『宗教の類比』からの引用句が追加されている。第三版の冒頭部分にはアメリカの植物学者エーサ・グレーによる『自然神学と矛盾しない自然選択』と題したパンフレットの宣伝が掲載。グレーは『種の起源』を自然神学書として讃えている。
★ダーウィンの信仰への態度 やがて偶発的な遺伝変異にもとづく自然選択を神に帰着させることが無理であることに気づき、1861年末までには、自然選択を神とは無関係な自然現象と見なすようになった。ただし、『種の起源』はそれ以降の版でも、自然神学書としての体裁を残していた。 時、それより早くして、ダーウィンは正統的なキリスト教信仰に疑念を抱くようになっていた。
 cf.ケンブリッジ入学時・ピーグル号航海時、正統な信仰を抱いていた。 「私はしだいに、神の啓示としてのキリスト教に不信を抱くようになった」。 「不信仰はきわめてゆっくりと進み、最後には完全なものになった」。 1860年代後半にはキリスト教信仰を捨てる。自然選択を神と無関係な自然現象とする。

Break time
 カントは「超越論的弁証論」で、特に「自然神学的証明」としてまとめています。「自然神学的証明」とは「現在の世界における物に関する経験やこれらの物の性質や秩序などが証明根拠になって、われわれに最高存在者の現実的存在を確信させる」(B.648)ような類の証明を指します。それに関するカントの論述をみてみると、彼はこの証明に対して魅力を感じていたように思われます。というのもこの世界は私たちにとって、秩序と合目的性と美をそなえた無限を指し示すからです。世界にこのような秩序と合目的性とを与えた最高存在者を承認するところの、自然神学的証明にカントは、一応の敬意を払います。 そして「理性は、自然の所産を人間の芸術ないし技芸が造り出す物をもとにして類推し(自然物と家屋、船舶、時計等との類似から)、この類推に基づいて推論しているのである。つまりこの場合に理性は、自然に強圧を加えまた自然が自分自身の目的に屈従させているわけである。そうすると悟性と理性とがかかる原因性として自然の根底におかれ、自由にはたらく自然(これは一切の芸術と、また恐らくは理性をも初めて可能にするものである)の内的可能は、別の何か超人的な芸術から導来されることになる。しかしこういう推論の仕方は、鋭利な超越論的批判には恐らく堪え得ないであろう。とはいえ我々が何か原因を挙げねばならないとすると、その原因と結果との関係を我々が完全に知っているような合目的所産だけを選んで、これらの物と自然との間に成立する類推に従うのが最も確実であることを認めざるを得ない」(B 654)と語りました。最終的にはカントはこうした「自然神学的証明」について、超越論的批判の立場から神の実在性を証明する試みは否定するのですが、類推によって目的論的な秩序を認めうるという点からは、神の実在は蓋然性が高まると考えていたようです。ここで神の特徴として、因果性を介して既に知られている合目的的ものとの産出関係によって、その根拠となる「最高存在者としての根源的存在者」(Urwesen als hochstes Wesen)が考えられてくると思っていたようです(B 658)。
https://www.youtube.com/watch?v=xuUIUzsT5Cs
https://www.slideshare.net/ArnelLPU/l9-the-question-of-god

★Teleological arguments are often associated with William Paley (1743–1805), although in fact this type of argument has a much longer history (see Taliaferro 2005). The fact that Paley’s 1802 book was called Natural Theology is no doubt part of why natural theology as a whole is sometimes equated with the a posteriori investigations of nature for the purposes of supporting religious theses. In Paley’s famous analogy, the relationship between a watch and a watch-maker is taken to be saliently similar to the relationship between the natural world and its author. If we were to go walking upon the heath and stumble upon a watch, a quick examination of its inner workings would reveal, with a high probability, that “its several parts were framed and put together for a purpose” by what must have been “an intelligence” (1802: 1–6). Likewise with nature as a whole. https://plato.stanford.edu/

〔文献一覧〕
松永俊男、1996、『ダーウィンの時代―科学と宗教―』名古屋大学出版会。
イマヌエル・カント、2003、『純粋理性批判中』岩波書店カント全集第5巻。

5.ウィルバーフォース主教と高教会派
[授業目標]教会によるダーウィン批判を理解する ★予習:進化論の限界とは何か

■オックスフォード運動(1833~)
 オックスフォードの高教会派がジョン・ヘンリー・ニューマンを指導者として展開したイングランド教会改革運動。ニューマンらは、教会の権威が使徒から継承されたものであるとする使徒伝承の教義を強調した。イングランド教会だけが原始教会につながる普公的(catholic)*な教会であるとし、古代からの伝統を保守的に重視した。→オックスフォード運動の背景:ドイツの聖書批判の導入などに見られるように自由主義が教会内に浸透してきたことに危機感。ref.1832:オックスフォードで開催されたイギリス科学振興協会(非国教徒の大学への進出の前兆)
*分裂以前の原始教会の立場。ローマ教会と紛らわしい。それとの違いが次第に確立される。
■広教会派との抗争
 1836年:オックスフォードの欽定神学教授職に広教会派のR・D・ハンプデンが指名さる。ニューマンは猛烈な反対運動を起こす。こじつけとも言える一方的な解釈によって、ハンプデンの主張を異端と決めつける。ハンプデン攻撃はオックスフォード運動に対する警戒心を高め、ローマ教会の陰謀ではないかという疑惑を増大させる。
オックスフォード運動は「中道」を唱えていたものの、実は保守的。Ex.フルードという人は「私は宗教改革と改革者を憎む」と言って、宗教改革に対する憎悪をあからさまにし、中世の教会を賛美した。
→運動への反感が強まり、収束へ。
■ニューマンと自然神学。
 高教会派は自然神学による科学の意義付けを認めていなかった。ニューマンの著作に明らか。
1831年:説教「理性の横暴」理性は信仰について補助的な役割を果たすだけなのに、宗教と道徳の領域で理性の横暴が目立つようになったと述べる。「自然神学の示す創造におけるデザインの徴は、神を信じる者には美しく、魅力あるものだが、あらかじめその中に神の声を認めていなかった者には効果がない」。
1839年:説教「信仰と理性」
 「自然因の体系は目的因の体系よりはるかに分かりやすい。したがって、知的創造神を示す現象について考察するように仕向ける関心が研究者の心に前もって独立して存在していなければ、自然の不変の秩序と自立した法則という仮説に導くような現象を研究者が追い求めることになってしまう。自然界の諸現象は、創造的で支配的な力の教義と哲学的に合致しているが、無神論とも同じように合致していないかどうかは大きな問題である。しかしそうであったとしても、科学研究者の場合、無神論に対する実用的な防御手段がある。それは物質界の研究に先だって研究者の心の中に存在する神の力の内的経験である」。
1859年:『大学の理念』「キリスト教と自然科学」科学と神学が敵対するはずがないと説き、後半で科学による神学の侵害として自然神学を厳しく批判している。ニューマンによれば、科学はわれわれの生来の能力によって知ることのできる自然界についての学問であり、神学は啓示、すなわち創造者からの直接の教示によって知ることのできる超自然界についての学問である。
☞神学:演繹法。科学:帰納法。
 「自然神学はこうした違いを無視して神について語ろうとする。しかし自然神学はその本性からいって神の力を強調するだけである。「自然神学は義務と良心について何を語ってくれるだろうか。……自然神学はその本性からいって、本来のキリスト教についてなにごとも語ることができない……それどころか、いわゆる科学は、精神をキリスト教に敵対させる傾向を持っている」。
1859年:『大学の理念』「キリスト教と科学研究」
 ニューマンは自由な研究を科学に保証すれば、いずれは啓示の正しさが明らかになると主張しているが、実は科学者に厳しい制限を課しているのである。その一つは、宗教的事項について科学者が発言することを禁じていることである。科学者だけでなく、「聖書を地質学や民俗学によって解釈しようとする宗教人」も非難している。またニューマンは研究の自由を専門家内部だけに限定し、その成果を学生や民衆に教えてはならないと言う。科学には一時的に誤りが含まれているので、「宗教的見解を傷つける恐れがある」というのである。結局ニューマンは、伝統的教義にもとづく教会の活動に差しさわりのない範囲内でしか、科学研究を認めていないのである。
■サミュエル・ウィルバーフォース(1805-1873)
 教会のどの派閥にも属さないと公言し、オックスフォード運動にも参加していなかったが、その立場はもともと高教会派に近かった。教会行政について抜群の能力を持ち、教会の組織強化に戦闘的に取り組むウィルバーフォースは、1850年代の末までに高教会派の指導者と目されるようになっていた。
★ウィルバーフォースは、闘争テーゼによる科学史では、科学に敵対して敗北した宗教人の典型と見なされてきた。ref.1860年6月30日、オックスフォードで開催されたイギリス科学振興協会の会合におけるウィルバーフォースとハクスリーとの進化論をめぐる論争。W:「あなたのご先祖はサルだということですが、それはお祖父さんの側ですか、それともお祖母さんの側ですか」。H:「私はサルが先祖だからといって恥ずかしいとは思いません。それよりも、豊かな能力を駆使して詭弁をふるう人物を先祖にもつ方がよほど恥ずかしいと思います」。
 一般に知られていたものと実情はかなりちがうらしい。この会合についての公式の記録はない。オックスフォード会議の五週間前に、『種の起源』についての書評を書いていた。これは会議のあとで『クォータリー・レヴュー』七月号に掲載された。通例によってこれは匿名であったが、ウィルバーフォースが書いたことは間違いない(彼の論文集にも収録)。オックスフォード会議でのウィルバーフォースの発言内容ははっきりしないが、ほぼこの書評に沿ったものであったと考えられる。進化論に対する鋭い批判が見られる。
■自然選択説の論理構造
W:「論文が示すべきものは『論証』である。われわれは論証としてそれを調べなければならない」。「われわれはその結論にいたる論証のすべての段階を注意深く吟味しなければならない。その結果、論証のどこかで、慎重な観察に代わって際限のない仮説が登場していたり、論理的に正確な推理が導く厳正な結論に代わって空想の発作的な飛躍が登場しているのであれば、その結論に反対することになる」。
①自然選択による種の変化を実際に観察することができないこと。
②化石記録が連続的でないこと。
①自然選択説の骨子 生存闘争の結果、同じ種の中で他の個体よりもわずかでも優れた形質をもった個体が生き残って繁殖し、代々それが集積することによって種はしだいに変化してゆく。この考えはありふれていたが、種の形質を維持するものと考えられた。
 自然選択が種の形質を維持するようにはたらく場合、これを保存的自然選択と呼んでいる。ダーウィンはこれに代えて、革新的自然選択を主張した。
 ウィルバーフォースの異論。これを証明するには
一、競争に勝つ個体は前代の最高の個体よりも優れた変異をもっていること 二、そうした優れた変異が子孫に集積してゆくこと が示されねばならない。
 ダーウィンはこの二つの命題を人為選択による家畜改良との類比で導いているが、Wは誤りと指摘。
∵家畜の改良によって新たな種が形成された例は一つとしてない。家畜は野生化すると元の状態にもどってしまう。「人為的な変化によって動物の典型的形質を動物自身にとって有用なものにするにすぎない。自然は奇形についてのその普遍的法則によって典型からはずれたものを抹殺し、つねに典型にもどろうとするのである。飼育化の変異に基づく論証は完全な失敗に終わっている」。
 自然選択説は観察によっても否定される。「もしもこうした転成が実際に起きているのであれば、われわれの周りの広大な自然の経済の中のどこかに、その変化の実例が少なくともいくつか存在するはずではないだろうか。下等動物の多くは寿命が短く世代の引き継ぎが速いから転成の証拠が見つからないはずがない。しかしダーウィン氏をはじめとする転成論者の期待に満ちた観察によっても、一つとして彼らの理論を立証する実例が発見されないのである」。
 ウィルバーフォースの指摘は基本的に正しい。注意:ダーウィンの自然選択説の ①世界観としての側面 ②モデル理論としての側面
 生物のもつ合目的性の究極的な由来を超自然的な目的原理に求めることなく、無目的な存在の中から自然的経過により生じた、と考えるのが目的論と対比される意味での機械論の立場であり、これが世界観としての自然選択説。
 モデル理論としての自然選択説によれば、生物は革新的自然選択によりつねにわずかずつ変化しており、その集積によって進化がもたらされる。現在の生物学によってモデル理論としての自然選択説は全面的に否定されている。ウィルバーフォースと見解を同じくする。
②化石記録が不連続であることを指摘する。
「ここ(地下)にこそ、無数の見分けがたい変化の巨大な鎖の失われた環が発見できるはずである。研究者は、それが転成論の真実を示す自然の疑いも無き事実であることを確信するはずである。しかしそのようなことはない。環は全面的に欠けたままである。多数のこうした事実とそれがダーウィン氏の理論に対する強固な反証になっていることは、おそらく彼の主要な難点だろう」。
 断絶平衡論をめぐる近年の論争からも分かるように、ウィルバーフォースの批判は的外れではない。
「かくしてわれわれは次の結論に達するのである。われわれが自然界で出会うすべての事実は、動物界の固定した形態に生じる変異が一つとして、たとえ飼育という最も可塑的な条件下であっても、種の本当の転成の可能性をもってはいないことを示している」。
 ダーウィンの論法の批判:可能だから実際に起きたという論法・創造論的解釈を一方的に否定すること。
■松永俊男の指摘:「世界観としての自然選択説は事実を理解するための基本的な概念枠なのだから、事実によって立証されるものではない。むしろ逆に、その概念枠によってどれだけ諸事実が統一的に理解されるかを示さなければならない。可能性を現実性にすりかえてしまうダーウィンの論法は、自然選択説に基づく生物現象の理解のありかたを提示するものであったといえよう。創造論的解釈を一方的に拒否しているのも、世界観としての自然選択説を主張する以上当然のことであった。自然選択説の立場に立つわれわれはこうした論法にも疑問をもたない。しかし、創造論者のウィルバーフォースが不当な議論であると非難するのも当然なのである」(松永俊男,1996,『ダーウィンの時代―科学と宗教―』名古屋大学出版会,349-350ページ)。
 「ウィルバーフォースがダーウィン説に反対する根底に宗教上の信念があったことは否定できない。しかし彼はあくまでも科学的根拠に基づいてダーウィン説を論駁しようとしている」(同書,351ページ)。
★『種の起源』の論理構造についての分析はウィルバーフォース独自のもの・この書評中、最も優れている部分。
←ダーウィンも評価
・1860.7.30.のフッカー宛 「ちょうど『クォータリー』を読んだところです。これは巧みに書かれています。そこには、最も推測的な部分のすべてがあざやかに選び出され、すべての難点が見事に指摘されています」
・1860.8.11のライエル宛 「主教は、私が確信をもたずに語った部分をいくつも集め、私の主張に対して強力な反論を展開しています」。

■ネオダーウィニズムNeo-Darwinismブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
生物の偶発的な遺伝的変異に自然淘汰が作用して進化が起るという学説。 A.ワイスマンが自説をネオダーウィニズムと命名したため、ワイスマン説ともいう。ダーウィン学説のうち生存競争の原理を強調し、また変異のうち、進化で問題になる遺伝的な変異は完全に無方向で、特に適応的に方向づけられていない突然変異であり、獲得形質は遺伝しないと強調した。これらの考えは、それ自体は既知の事実とすべて一致するが、機械論的な割切り方のため、スケールの大きい進化の全事象をカバーできるかどうか、また適応の極度の重視により、すべての精妙な器官の構造なども一歩ごとの無方向の変異のなかからの自然淘汰が無数に積重なったものであると、あらかじめ説明してしまうことは問題でないのかなど、妥当らしくみえる批判を生んでいる。しかし現代の進化論で、依然として基本的には正しい唯一の考え方とされている。

〔文献一覧〕
松永俊男、1996、『ダーウィンの時代―科学と宗教―』名古屋大学出版会。


6.聖書と科学は対立するか
[授業目標]宗教上の思考と進化の観念の関係を理解する ★予習:HPをダウンロードのこと

■ダーウィンの仮設を受け入れるさいのいくつかの難点
一、情報伝達の困難さ
二、受難(悪・弁神論)の問題
三、デザイン論
四、進化機構の問題
五、人類の位置
六、社会ダーウィニズム
一.→大衆にセンセーショナルな興奮を引き起こす。ダーウィンはこの反応に驚く。外国語訳もおなじ興奮を巻き起こす。
 思慮深い聖職者にとって、世界の進歩であれ、生物の進歩であれ、進化の概念は新しいものではなかった。しかし大衆との間にはギャップが生じる。
二.→生存闘争のなかでの適者生存を論じることに、自由主義的な国教会聖職者はコミット。
 古典的な悪の問題が新しいかたちで提出。神の愛は残酷と修羅に満ちたこの世を作り出したわけを問う。19c.の思慮深い人々の意識に絶えずつきまとっていた問題。
Ref.テニソン:『メモリアム』56,55「歯と爪をむき出した厳しい自然」の恐怖。「その鋳型のかたちでは、ごく入念に、一つの生命には、あまりに不注意に創られた自然」。
三.→デザイン論(自然神学的証明)で表わされたキリスト教弁神論にとっての難題をダーウィンの説は作り出した。
ex.ペイリーの『自然神学』(1802)はチョウの羽とか人間の目の完全さという創造全体を通じての計画の証拠から、神が存在することを説得力を籠めて論じた。入念な計画があるという事実は、それを計画する存在を示していると考えられた。ref.「ペイリーの時計」。
 生存闘争のなかで、もっと適した羽、目、脳などを発達させて、環境に成功梩に適応できた生物体が生き残れた。→創造者としての神は必要とされない。意識的な目的を追求せず、眠りながら歩く巨人のごとき力強い生命力。合理主義者たちは、キリスト教に対抗する彼らの論証のうちにダーウィンの学説を素早く取り入れた。
 「計画者なくして計画なし」(ペイリー『自然神学』16,ギリスピー『創世紀と地質学』36ページ)、この文には論理的欠点はないが、ペイリーが主張したいと望んだことを証明していない。というのも、「自然には計画の証拠があるか」という疑問に答えていないからである。計画を感じるか感じないかは個人の主観に委ねられる。
ex.私が寒い日に暖かい火にあたると同じ方法で、美しい夕日やモーツァルトの音楽を楽しむ。それは私の快適さに影響を与えているが、他の人間には夕日(あるいはモーツァルト)によって快適さは与えられないままだろう。なぜならその人の性格が私とちがうからである。
 「自然には計画の証拠があるか」というたぐいの哲学的問題に対しては答えをもたない。
四.→生物進化に関するかなり多くの疑問が未解決のままであった。
昆虫はいかに羽を進化させてきたか。昆虫の羽は胸郭の独立した派生物。もし昆虫が最初の段階で羽をもって「創造された」のでないなら、何が羽を進化させえたのであろうか。
五.→ウィルバーフォースとハクスリーとの論争で問題にされる。サルから進化したと主張することから、人間の尊厳や誇りに対して、進化論は責めを負うべきだろうか。人間の本性に関する『聖書』とキリスト教の教義になんらかの影響を及ぼすであろうか。人間は特別な創造物であるのかそうでないのか。
六.→社会ダーウィニズムという倫理学説が、ダーウィニズムという科学理論の上に基礎づけられた(T.H.ハクスリー『進化的倫理学』)。そのさい多くの軋轢を伴った。ヴィクトリア朝の楽観主義との関係。
■19世紀の教会にとっての根本問題は「聖書の真実」をめぐるものであった。進化論とは、一応独立の因子。
 ダーウィンの研究の発刊されるずっと前から、篤信的なキリスト教学者のうちでも、『聖書』の文字通りの霊感は捨てられつつあった。
バーゴンvsテイト(保守vs革新)
 テイトからの引用:「ずっと前にあなたは大学の説教壇からわれわれに、『聖書』の批判的研究に乗り出すようにおっしゃいました。あなたはそれが危険な研究ではあるが必要不可欠であるとおっしゃいました……。このように困難に満ちたこの研究は、それのもつ条件の故、どうしても自由が必要です。人に勉強しろと言ったり、しかも重い刑罰に処すという条件でその人に命じ、研究をしない人と同じ結論になるよう命じたりすることは、その人を侮辱することです。もし結論が規定されているなら研究は妨げられているのです」。
 真の論争は「創世記」と地質学でもなく、ダーウィンと『聖書』でもなく、『聖書』の歴史的研究と解釈に対する伝統的方法と批判的方法との間に見られた。
ex.『創世記』はモーセによって書かれたものでなく、後からの著者たちの寄せ集め。
『聖書』学や歴史学の進歩は、学問に明るくない聖職者にショックを与えた(ref.ダーウィンの命題の普遍化が与えた影響)。
★ダーウィンの『種の起源』の発刊が英国神学史上に与えた影響は19c.合理主義の神話の一部分にすぎない。
有能な英国宗教思想の指導者は、大衆への進化論のショックを信義・不信に対して決定的なものと捉えない。ダーウィンに敬意を表す。
■ダーウィニズムの宗教への挑戦
➀『聖書』の厳密な字義通りの解釈
「創世記」第一章・第二章との衝突点https://www.youtube.com/watch?v=QUblZIDV_SI
1.時間の尺度、すなわち、すべての生物の創造のために必要とした、まさしくその四日間
2.陸地の植物相、海棲生物、陸棲生物、人間が創造された特別の順序
3.”ちり”からの人間の創造
4.女性特殊な創造のされ方
5.種差、種の出自、および種の変転と、自然選択との間にどのような関係があるのか、ほのめかされていないこと
 進化論者は、つまるところ、地球の”ちり”から人間が創造されたと許容できたが、その理由は、おのれの体がちりと同じエレメントを含んでいるからに他ならぬ。進化論者は創造の仕組みについて言及しなかったので、ダーウィンを含めて爪はじきされなかった。
 創世記は実際、なにかをほのめかすだけの情報以上の画定的な情報を、創造の過程について提供すると感じる人もいた。たしかに(2)(4)は、そう感じるような人に対しては、回避しえぬ進化論者の問題であった。しかしそうした困難が残るのは、人が逐語的な解釈を厳密に主張するときに限られていた。創世記の説明を「適応」の観点から見れば、これらすべての困難は除去されるのである。こうした論点は、人によって明らかと見るか見ないかまちまちであった。
→字義通りの解釈の否定・この時代にはキリストの復活の否定を意味した。
②デザイン論
自然選択の概念が、意図的なデザインの意想と置換可能であるとダーウィンは認めた。
 他の弁証論・初期ヴィクトリア期の人はとくに、神によって予言されたエドミテの滅亡あとの都市遺構の劇的発見に感銘を受けた。
目的論は、致命的な打撃を受けたわけではない。ハクスリーは目的論的に考えられた法則が、生物以下のレベルの組織で、物質粒子に作用していることを仮定している。

〔資料〕
 自然選択は構造的なものよりむしろ任意的なものである。眼があるということは、その種をより生き残らせる可能性を与えるであろう。しかし、視覚器の形態は、この世界に特有な物質の性質や工学的構造原理によってきびしく制限されている。眼が作られ得る道は非常に数少ない。写真用カメラとわれわれ自身の眼の原理は、そうしたものの一つである。人間および機械いずれの材料部品も存する工学的原理にもとづいてのみ組み立て得るし、限られた種類の材料の中にデザインを見ることができるのではないか。これらの性質は自然選択の結果ではない(C.F.A.パンタン,1959)
 もし、われわれが決定論的な仮設を救うために、体系が進化を生じさせる可能性をもっていたにちがいないと言わんとするならば(もし、われわれがこの世界に賛意をもつならば)つぎのように言わなければならないであろう。この世界で作用している特別な法則がまさにこの法則であったことは、何という幸福だったであろう、と。他の根拠から、そうした法則が支配するこの世界を、神の御心の表現として捉える人々は、現に作用している物理法則が、生物法則をつくりだす可能性があることのうちに、デザイン論の別の証拠を見出すであろう(F.H.クレオブリィ,1976)。


★伝統的な自然神学に打撃を与える。
③生物学からの目的因の除去
ニュートンの機械論的宇宙が「特殊な神の意向」の必要性を取り去ったより前から生じていた(17or18世紀の理神論→還元論のプログラム)
 ダーウィンは自然の法則から神の道具という意味を奪い去った。
ex.アーサ・グレイ(1876)

〔資料〕
 それ故、有機的世界の形成において、やむをえず、自然選択がデザイン論にとって代わることが、明らかに無神論への移行のステップであると思われる。有機的生命で最も単純なものなら、その創造を神の御業であるという説をダーウィンがとっているとするのは、無意味である。知的創造者の力なしではありえなかったが故に、神の存在の証拠として言及されていた、これら比類なく高等にして複雑な組織については、デザイン論を放棄することで、ダーウィンは有機的世界に神の知的作用を信ずることを放擲する、決定的ステップを踏み出した。いわんや、下等生物なら、追って知的作用が放擲されるだろう。


物理的原因と神性の作用との間に二律背反を見るもの・そのほかに両者が両立しうる可能性を見るもの。
自然法則の考え→物理界から生物界へ 生物界から精神界へ
④人間の位置
ダーウィン,1857「あなたは、私が人間のことについて議論するかどうかを私にたずねた。私はその問題をすべて回避しようと思っている。というのも、あまりにそれは偏見に取り囲まれているからである」。ref.ハクスリーの『自然における人間の位置』(1863)・ダーウィンの『人間の由来』(1871)

〔資料〕
 もし既存の創造に匹敵されるかも知れないあるたぐいの事実にもっぱら考えを及ぼしている地質学者が、先に自分が人間に割り当てた高尚な地位から引き下ろす結論に達したり、自分を下等動物と分かちがたく混ぜ合わせたり、あるいは、自分を現世にのみ帰属しており、それらのごとく滅し、それ以上のいかなる関係も生物界ともたない定めにあると考えたりするとしてみよう。ならば、彼は勤めに幻滅するかも知れないし、勤めに関与しえなかったらより幸福ではなかったのではあるまいか、さらに他人にその成果を分かち与えるべきか疑うであろう。


 人間が単に自然選択の結果として生まれたのなら、人間権威の喪失が起こり得る。ダーウィンとは異なる考えをとった者もいる。ex.A.R.ウォレス「〔ダーウィンの理論は〕自然選択の法則のもとに、人間の肉体が、より下等な動物のそれからいかに発達したかを示す。しかし、それはまた私たちに、そのように発達したとはよもや思えない他の由来があるにちがいない知的・道徳的能力の所有について教えてくれる。その起源については、私たちはただ、目に見えぬ神の世界に適切な原因を発見できるのみである」。
ライエルも「人間という種の高貴な血筋」に関心をもっていた。
★宗教的な意味 人間が堕落したという『聖書』の教えは、より進化論的な哲学の楽観的な見方とほとんど両立できなかった。ただし、広義の進化論的哲学は、キリスト教と同様に、所謂「人間の苦難の境遇」に対峙して、希望を提供してきた。希望の基礎は個人にとっても、人間全体にとってもキリストに存しており、自然選択にはなかった。
ダーウィンが人間本性の伝統的見解にもたらした二重の効果。人間にかぎった境遇の向上について問題を提起。人間の苦境のさまを最小にしようとする。ref.アダムの堕落が背景。十九世紀にも受け入れがたいとする人はいた。
ref。ジョージ・エリオット、ジグムント・フロイト 『聖書』の教義に対する反対を醸成。
⑤社会の安定性
 人間の堕落が社会の崩壊を伴うという深い恐怖。『聖書』の教義から派生する社会の絆への脅威。https://www.youtube.com/watch?v=UdsVPwcNUPs

〔文献一覧〕
J・H・ブルック他著、1984、『OU科学史 III 創造と進化』創元社。


7.聖書と科学は対立するか/アンソニー・ウエストンからの挑戦
[授業目標]聖書の真理について考える ★予習:HPをダウンロードのこと

宗教と科学 聖書には価値がないでしょうか〔ウォーミング・アップとして以下の対話を読み、問いに答えてください。アンソニー・ウエストン邦訳、46-47ページより〕。

A:「聖書によれば、同性愛はだめだって!レビ記の第20章13節にはっきり書いてある。「もし男が、女と同じように男と寝るなら、それは忌むべきことだ」。神はこうおっしゃっている!
•B:あら、じゃあ言うけど、何を食べているわけ?
•A:ハムサンド。それがどうしたの?
•B:レビ記第11章7節をみて。「豚を食べてはならない。それはあなたを不浄にする。」
•A:それ何なの!
•B:聖書にこんなことが書いてあるって、信じない?
•A:いや、書いてあるでしょうけど、分からないのは、あなたがなぜそんな持ち出すのかってこと。
•B:知っていると思うけど、レビ記はありとあらゆることを非難している。綿とポリエステルのシャツを着ているわね。なかなかいいけど。でもレビ記は混合素材の服を非難してる(第19章19節)。畑の端っこまで作物を刈り入れることもね(第19章9-10節)。いくらでも続けられんだけど。
•A:そんなの、どれも過去の遺物だろ。古代ユダヤ人は貝や豚肉を食べなかったけれど、それは食べておなかでもこわしたんだわ。もう気にしなくてもいいことよ。
•B:貝?貝もあるわよ。貝を食べるのは忌まわしいことだって(第11章11-2節)。心配ないって決めつけて、聖書を否定するつもりなの?
•A:彼らは迷信を信じていただけよ。そんなの。
•B:分かってないわね。遺物や迷信だからっていくつかの戒めを破れるのなら-実際、レビ記のここのところを一つ残らず破っているし-なぜ同性愛の戒めはそうならないの?
•A:分かっていないのは君の方じゃないか?同性愛は間違っているって聖書は言っている。違う?
•B:違わないわ。
•A:聖書が間違っているっていう君こそ、聖書を否定するつもり?

〔問い〕さてどちらの方が自分で考えていると言えるでしょう。

 デザイン論と呼ばれるものは神の「自然神学的証明」を指しています。自然には、それを作りたもうた、神の創造の意図が現われている、というのがデザイン論です。したがって自然に秩序を見出すことができれば、神の意図は明瞭に知りうるでしょう。このことで、昔の自然学者は、目的論的・機械論的に体系付けられた秩序を想定していました。ダーウィンが出した仮説は一見したところ、自然に神の意図を読み取れないという、デザイン論にとっての、大きな困難を作り出したようにも見えました。

〔資料〕村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社。[→教科書269ページ]
 「自然選択は、自然環境を一種の篩に見立て、その篩によってふるわれて死滅するものと、残されて存続するものとに分かれる際に、環境という篩に適したものが生存することによって、環境の変化への適応が生まれ、それが要因となって、器官や機能に変化、進化が起こる、と考えるものである。環境のなかで生き残るための闘いが、生存競争という形をとって現われ、その生存競争に勝つものが当該の環境に最も適したものである、という「最適者生存」の原理〈survival of the fittest〉も、そこから生まれてくる」。


〔問い〕空所を補充せよ。
 世俗的知識が科学の中心となる前、聖なる「知」が知識の中核を占めていました。そうした聖なる「知」では、自然についての「知」が、  の御業、  の計画についての「知」に連なるという前提は、自明のことでした。昔の科学者は実のところ、哲学者でした。今日、科学者と哲学者の区別が明確なのと同じように、両者を区別することはできません。あのニュートンといえども、    とは言えませんでした。
 三期に分けられた科学の歴史は、(ニュートンが属す、)科学と宗教が渾然一体化した     状態から始まります。そして19世紀の半ばから成立した        の科学(モード1)、そして20世紀末から21世紀の科学によって特徴付けられる         の科学(モード2) に分けられます。
■ダーウィン説の限界と進化論のその後
 「自然選択説」にとっての問題→教p.273~
 個体変異が遺伝する、ということが立論の基礎であった。ごく僅少で連続的な個体変異の自然選択による時間的蓄積が、「種」の形成を促す。遺伝的蓄積が、進化の原動力となるかどうかは、かなり大きな問題。
ex.ネーゲリ(1817-1891) 1865年にすでに、小変異の連続的蓄積を進化の動因と考えることに批判の目を向ける。進化は、何らかの非連続的な飛躍によってこそ生まれる。遺伝的な発現を支える因子を想定し、その因子の機能に遺伝現象を局在化させた。それに生物の内的な(物理化学的な)力が作用することによって、飛躍的変化が起こったときにはじめて、大きな変異が発生し、その変異が自然選択の対象となりうる、という仮設を立てた。
この仮説の見通し 一、生殖質と非生殖質の区別、二、進化の動因は、生殖質における飛躍的変化(個体の間の僅少な変異の連続的蓄積ではない)
ex.ヴァイスマン(1834-1914) 一の進展。近代遺伝学の基礎を拓く。
ex.フレミング(1843-1915) 「染色体」の発見。1890年代になって、遺伝形質と獲得形質、「バラツキ」からくる変異など。
ex.ド・フリース(1848-1935) 突然変異の発見。遺伝因子の突然の変化。

ex.メンデル(1822-1884) メンデルの法則の再発見(1900)。1866に経験的法則として発表。
http://www.keirinkan.com/kori/kori_biology/kori_biology_1_kaitei/contents/bi-1/2-bu/2-3-1.htm
A メンデルの実験
◆メンデルの実験とその結果
 メンデルは,エンドウの多数の形質のうち,7組みの対立形質に着目し,1組みの対立形質ごとに別々に交配して,その対立形質が子孫にどのように現れるかを統計的に調べた。下の表にPの形質としてメンデルが交配に用いた7対の対立形質が示してある。
〔メンデルの実験結果〕
形 質 Pの形質 Flの形質 F2の個体数 F2の分離比
優性 劣性
子葉の色 黄 × 緑 黄 6022 2001 3.01:1
種子の形  丸 × しわ 丸 5474 1850 2.96:1
種皮の色 有色 × 白色 有色 705 224 3.15:1
さやの形 ふくれている×くびれている ふくれている 882 299 2.95:1
さやの色 緑 × 黄 緑 428 152 2.82:1
花のつき方 側生 × 頂生 側生 651 207 3.14:1
茎の高さ 高い × 低い 高い 787 277 2.84:1
 
B 優性の法則
C 分離の法則
D 独立の法則


■ダーウィニズムの影響
➀キリスト教思想との軋轢
 進化論は、基本的なところで、キリスト教に負うところがある。
 人間と他の生物との間の根本的断絶を主張するキリスト教の理念と進化論が激しく衝突することは、ある意味で当然であった。→対立は今日まで至っている。
②「最適者生存」を倫理や社会思想に導入
 当時の社会有機体説と結んで、いわゆる社会ダーウィニズムが興った。自由競争のなかから、最適者が残るところに「進歩」がある、という安易な解釈。
→社会主義の否定・「人種不平等」主義
ex.チェンバレン(1855-1927) 1899年に書いた『十九世紀の原理』 アーリア系人種の優越と競争における勝利とを「生物学的に」保証する。
③優生学(「優者」euを「生かす」genics)への影響 「優れた」資質を残し、「劣った」資質をできるかぎり残さない操作。もしくは超人思想への影響。

Break time
中立進化説(ちゅうりつしんかせつ、Neutral theory of molecular evolution)とは?

8.核物理学初歩 原子核・核分裂・放射能の単位
[授業目標]核物理学の基本概念が理解できるようになる ★予習:素粒子とは何か

■原子核エネルギー利用の発端→教108-109
〔問い〕空所を補充せよ。
 19世紀末には、物質の究極的な単位として「   」という概念が確立し、それは文字通り、「それ以上   できないもの」という意味をもつべきものと考えられるに至った。言い換えれば、原子の内部に、それ以上「内部構造」を考慮する必要はない、というところで、物質の基本構造についての話は一段落していたはずだった。
 ところが、束の間の安定が容易く崩れた。世紀の変わり目に、   性の元素が発見され、他の色々な理由からも、原子の内部構造を問題にしなければならなくなった。アメリカのラザフォード(1871-1937) 、日本の       (1865-1950)らがそのモデルを提案した。
→1)atom=a+tom この語の意味とindividual=個人の意味との重なりを論じなさい。
近代的な個人主義と原子論の関係について・・・社会の構造が自然観に投影されている。

→2)・・・原子核は主に陽子(電荷+1e質量数1)・中性子(電荷0質量数1)からなっており、その周りを電子の雲が分布している(電荷-1e)。



周期律表



→3)放射性元素
 放射能を有する元素。一つの原子核をつくるためにとりうる陽子数と中性子数の組合せは多くあるが,安定なのはそのうちのいくつかだけで,それ以外は不安定であり,α線,β線などを放出して崩壊し(α崩壊,β崩壊),あるいはγ線を出して安定な配置となる。
 放射性同位体
https://www.youtube.com/watch?v=23Bat6RkMPU
・α線は高速のヘリウム原子核42Heの流れである。2個の陽子と2個の中性子が固く結びついて一団となって動いているものである。電荷+2e
・β線は高速の電子の流れである。電荷-1e
・γ線はX線より波長の短い電磁波である。
→4)
 ラザフォードはα線散乱の実験によって、原子内においては、陽電気が小さい体積に集中していること、その直径は10-15m~10-14m(10-4Å)であることを証明した。原子の直径は大体1Å=10-10m
→5)
 長岡半太郎の土星モデル
 英国のJ・J・トムソンは、1904年に、正に帯電した球の内部を負電荷の粒子が自由に運動しているという、ブドウパンのような原子モデルを提唱した。それに対して長岡は、同じく1904年(明治37年)に、中央に正電荷を帯びた原子核があり、その周りを負電荷を帯びた電子がリング状に回っている土星型の原子モデルを発表した。

〔問い〕空所を補充せよ。
 プランク(1858-1947)に始まるエネルギー仮設は、やがて     の成立を招いた。またアインシュタインは   とエネルギーとの互換性を示唆した。しかし、こうした前駆的な事態が、原子の内部から巨大なエネルギーを取り出すことへと実際に結び付いたのは、1934年になって、イタリアの     とフランスのジョリオ=     夫妻(妻イレーヌ1897-1956と夫ジョリオ1900-1958)が、中性子線を利用して重い原子の崩壊を起こさせることに気づいたときだった。この過程は、1938年末、ドイツのカイザー・ヴィルヘルム研究所のオットー・ハーン(1879-1968)、シュトラースマン(1902-1980)の二人によって、ウラン原子の崩壊とバリウムの生成であると確認された。既にナチス政権下のドイツを逃れてスウェーデンに移住していた、かつてのハーンの共同研究者リーゼ・マイトナー(1878-1968)に伝えられたこの情報は、直ちに    (1885-1962)を通じてアメリカに渡り、ハーン、シュトラースマンの論文が発表される(1938)のを待たずに、多くの物理学者の知るところとなった。それは一種の熱狂を巻き起こした。この熱狂みは、苦い危惧が交じっていた。
→1)
 プランクは物質中の荷電振動子の異なるモードについて、電磁エネルギー分布を考えた。これらの振動子のエネルギーが離散的になっていると仮定した。具体的には、エネルギーは振動数 ν に比例するエネルギー素量(エネルギー量子) E、すなわち
 E = h ν
の整数倍の値のみ取りうるということである。
→2)
 アインシュタインは特殊相対性理論により、次の関係があることを示した。
  質量とエネルギーは互いに他に変わることができ、質量m〔kg〕に相当するエネルギーをE〔J〕とすれば、光速c〔m/s〕として
 E=mc^2
である。
〔例題〕質量1gの物質が消滅して全部エネルギーに変わったとすれば、そのエネルギーはいくらであるか。
 E=mc^2=1×10-3〔kg〕×(3.0×108〔m/s〕)2=9.0×1013〔J〕
=1/4.2×9.0×1013=2.2×1013〔cal〕
 この熱量は2.2×1013 cal/6000 cal/g=3.7×109g=3700tonの石炭に相当する。k
→3)
 キューリー夫人https://www.youtube.com/watch?v=w6JFRi0Qm_s&vl=ja
<キューリー夫人(マリー)>            1903年・・・物理学賞《夫と共同受賞》
                              1911年・・・化学賞
<キューリー夫人の夫(ピエール)>        1903年・・・物理学賞《妻と共同受賞》
<キューリー夫人の娘(イレーヌ)>        1935年・・・化学賞を受賞《夫と共同受賞》
<キューリー夫人の娘婿のフレデリック・ジョリオ> 1935年・・・化学賞を受賞《妻と共同受賞》
→4)
 ボーアの原子模型 運動量mvの電子の伴う電子波の波長はλ=h/mvであった。電子はその軌道の長さ2πaが、この波長の整数倍であるような軌道だけを安定に回転する。すなわち
 2πa=nh/mv (n=1,2,3,……)
 これは電子の波としての性質を反映していると考えられる。

相対性理論:
 アインシュタインが発見した科学理論。光速度の不変性を原理とする。同時に静止物体のもつエネルギーに関してE=mc^2という法則を導き出した(これは一般相対性理論でなくても特殊相対性理論で成り立つ)。その意味するところは質量とエネルギーが等価であるということである。すなわち、質量が減ればその分エネルギーが放出される。
 ところで重元素には、原子数(つまり陽子の数)を同じくしながら、中性子の数を異にする原子核の同位体が存在し、特に同位体の中でも不安定なものは、放射線を出して原子核を分裂させる。これを放射性同位元素と言う。特にウラン235の原子核は分裂するとき約二個の中性子を放出するから、これが他のウラン235の原子核に衝突し、結果としてネズミ算的に分裂を引き起こす。これが核分裂の連鎖反応である。分裂の結果、生成した物質の質量は元の分裂以前の質量より少ない。少ない分だけ、放射線の形でエネルギーが放出されるのである。連鎖反応は急激だから、生じるエネルギーは莫大である。
放射能:
 放射性物質が言わば、野球場の照明装置であるなら、ベクレルは、言わば照明装置全体の光発生能力を示す (放射能つまり〈放射線の発生能力〉であって、放射線のエネルギーでないことに注意)。それに対しシーベルトとはその野球場のグラウンドで単位時間当たり、日焼けする程度を示す指標である(放射線のエネルギーが単位質量当たり透過する量)。放射線と言っても、アルファ線、ベータ線、ガンマ線等多様なものがあり、それらによって生体の組織がどの程度痛めつけられるか、補正係数を掛けて求められる経験的指標。ちなみに放射性物質は一定時間で指数関数的に減衰する。放射線が半減する期間Tのことを半減期と言う。すなわちTたてば1/2、2Tたてば1/4、3Tたてば1/8・・・という具合に減っていく。放射線は生体組織を破壊し、太陽光の放射が熱いように、熱エネルギーの移動を伴う。
甲状腺被ばく:
 甲状腺には特に気化した形で運ばれやすい放射性ヨウ素がたまりやすい。放射性ヨウ素自体の出す放射線はさして強いものではないが、特に発達時の子供にヨウ素は蓄積されやすいので、甲状腺がんの発生が怖れられる。またプルトニウムの発するアルファ線は透過能力が弱いにもかかわらず、体内に蓄積された場合、重篤な発がん性をもっていると考えられている。メモ✑ウラニウム・ネプツニウム・プルトニウムと周期律表で続く。どういう規則性に従っているか?

〔勉強のすすめ〕
・ウランは核分裂するさい、中性子を取り込んで放射性の同位元素ができる。これがβ崩壊するとネプツニウムになり、さらにβ崩壊するとプルトニウムになる。このプルトニウムもウランとは異なる型の核分裂を起こす。
23892Urから21482Pbに至るまでx回α崩壊y回β崩壊しているとすると
・238-4x=214
・92-2x+y=82
これを解くとx=6 y=2


9.原爆開発をめぐる科学者の責任を考察できる
[授業目標]核物理学をめぐる科学者の責任について考察を深める ★予習:シラードの人となり

[前置き] 科学者の社会的責任[→教科書14-15ページ]
〔資料〕唐木順三、1957、『「科学者の社会的責任」についての覚え書』筑摩書房
 「科学者らしくあることと、人間らしくあることの分離は、近代科学の本来的性格といってよいものだが、その性格をここで改めざるをえなくなってきたのである。別な言い方をすれば、科学精神の自由と、道徳的社会責任という、歴史的に別領域でなければならなかったものを、いまは同時に考えざるをえないところに追い込まれたのである。
 私は、かねがね、真、善、美という価値体系が崩壊してしまったことが近代ニヒリズムの根本原因だと思ってきた。いわば科学的真が、善、美を圧伏してしまったことが、近代という時代の性格であると考えてきた。そのためには、真、善、美の統一原理として、幸福というものを、深いところから考えねばならないと思っている」。
 「科学的精神の自由」はおそらく「科学研究の自由」を指すのだろうが、これと倫理(道徳的社会的責任)とが「歴史的に別領域でなければならなかった」というのも理解に苦しむ、と内井氏は述べます。科学的規範(ルール)はモード1以後は純粋科学のそれとなって、社会の規範に対して相対的に独立したことを言っているのでしょう。しかし内井氏が唐木を、内在説をとっていると言って批判しています。つまり「科学はただ真のみを目標として進歩してきた」という事実認識を否定するわけです(科学は宗教的な目的のためにもなされてきた)。この「真を目標とすべき」というイデオロギーが失効していないことを、弁えておく必要があります。

原爆の基本的な原理
 分子は原子が結びついてできています。では原子のなかはどうなっているのでしょう。実は原子は、さらに小さなものから構成されていて、簡単に略してしまうと、素粒子(多くの種類・さらにクウォークがあります)が結びついています。そして、素粒子の反応には、原子が変化する反応も有ります。これを原子核反応と言います。原子爆弾や水素爆弾を総称して核爆弾と言いますが、核爆弾は、原子が変化する時に解放されるエネルギーを利用したものです。そして、化学反応を利用するよりも、はるかに大きなエネルギーが解放されるので、その破壊力も膨大なものになります。

■シラードについて→教110原子核物理科学者の中で以下のことで知られています。
http://www.dannen.com/szilard.html
Szilard's ideas included the linear accelerator, cyclotron, electron microscope, and nuclear chain reaction. Equally important was his insistence that scientists accept moral responsibility for the consequences of their work.

☞教科書ではレオ・シラードの核兵器開発関与に関して肯定的な評価が与えられています。
 外在説とは、科学的知識は、それからもたらされるほかの価値によって価値あるものになるという説。内在説とは、科学的知識にはそれ自体のうちに価値があるという説。もし内在説が正しいならば、科学的知識そのものに価値があることになり、科学の追究は価値をもたらすはずです。つまり「何々のために」に言及せずに、理想的な価値が実現されるはずです。
〔資料〕シラードの手紙1939.2.2 ハーンの研究成果を手にして……ここから連鎖反応が可能になることは明らかです。そして特定の状況下にあっては、それは爆弾の製造へと結びつく。……とくにこれが或る種の政府の手に入ったとなるとどうなるか……

注意・核連鎖反応
 平均して1回以上の核分裂反応が別の核分裂反応を引き起こし、単位時間当たりの反応回数が一定もしくは指数関数的に増加する状態である。

■アインシュタインの登場→教111-114
〔問い〕空所を補充せよ。
 当初のシラードの目論見はこうだった。ベルギー領    には世界のなかでも傑出して良質のウラン鉱がある。ウランの入手先として絶好なものだ。    ・ドイツが   からウランを入手できないようにベルギーに依頼すれば、少なくとも    の爆弾開発計画は止めることができるかもしれない。そのためには、ベルギーのエリザベート女王と旧知のアインシュタインを動かせばよいのではないか。同じ頃イギリスでも、トムソン(1860-1948)やブラッグ(1890-1971)らが政府に、イギリスが世界のウラン発掘を制御できるような政策を採用するよう説得を試みているところだった。ちなみに、ドイツではこの年の4月に物理学者を集めたウラニウム協会が発足している。
★アインシュタイン→ベルギー女王宛ての書簡をしたためる。
→アメリカへの書簡宛先の変更
余談:手塚治虫『アドルフに告ぐ』 悪化する戦況の中、ヒトラーがロンメルに原爆開発による戦況逆転を語る場面があるが、実際はヒトラーは原爆には「ユダヤ人の科学」として関心を示さなかったとされている(ナチスを逃れアメリカに亡命したアインシュタインはじめ、原爆の理論には著名なユダヤ人の科学者が多く関わっていた)。

大戦への道のりhttps://www.youtube.com/watch?v=GCA0c4Mku7g

以下のアインシュタインの署名のいきさつは不分明である 。

〔資料〕アインシュタインのアメリカ政府宛ての手紙1939.8.2 ここ4ヵ月の間に――フランスのジョリオ、及びアメリカのフェルミとシラードの仕事によって――大量のウラニウムに核の連鎖反応を起こさせることが出来る可能性が生まれてきました。それによって、巨大な力と大量のラジウムに似た新元素とが得られることになります。これが間もなく実現可能となるのはほとんど確実と思われます。
 この新しい現象は爆弾の製造と結び付くと思われますし、それほど確実とは言えないにせよ、新しい型の極めて強力な爆弾がそこから造られることも、考えられないことではありません。そうした爆弾は、船で運んで爆発させれば、一発で、その港湾全体やその周辺の地域を破壊することも十分可能であります。


■シラードの人となり
ウィグナー(E.Wigner1902-95)はシラードに関して次のような証言をしています。分別を備えていない人物としてのシラード。

〔資料〕 藤永茂,1996,『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』朝日選書,231ページ。
 「シラードは科学に偉大な新しいアイデアを与えたことは一度もなかった」。
 「1963年に私〔ウィグナー〕がノーベル賞を得たことで、後味の悪いことが一つだけあった。レオ・シラードとの関係がしばらくまずくなったことだ。ユージン・ウィグナーがノーベル賞をもらう前にレオ・シラードが受賞すべきであったという思いを、彼は隠さなかった」。
 「自分本位というのは、人間の性質そのもののようなものだ。だれの中にもある。しかし、シラードの身勝手ときたら異様なほどのものだった。なぜそうだったのか説明できるとよいのだが、私にはできない」。
 「シラードは自分の才能を買いかぶっていた。自分のこと、世界状勢の中での、自分の然るべき地位のことばかり考えていた」。
 「レオ・シラードは自分の野心をかくすような男ではなかった。1942年にシカゴに乗り込んだ時、彼はただの補佐役をするつもりはなかった。高い地位、なるべくならば、冶金研究所の全権を握る地位を与えられるべきだ、と言い張った」。
 「君がそんなに権力を欲しがらないといいんだがと私はシラードに言った。私は彼を”将軍”と呼んでからかったものだ」。


内井惣七,2002,『科学の倫理学』丸善,78ページ。
 シラードはアメリカ国民に原爆の威力を知らせた上で、二つ以上の国が原爆をもったときには平和は不可能である、という考えを持っていたことが述べられています。1944/1/14付けの手紙で、高性能の原子爆弾がこの戦争で実際に使用され、その破壊力が人々の目に深く焼き付けられることが不可欠であるとさえ、シラードは言い及びます。
 内井氏(第7章)は、科学者が特別な倫理感覚を身につけていると、必ずしも言えないとして、科学者の倫理として科学が社会に及ぼす影響はどうあるべきか、その概略はわかる、と主張します。唐木によれば限りない責任を負わなければならないのに対し、科学者も基本的には通常人と同じ責任しか負わない、とも言えるでしょう。ですから内井氏に拠れば、「真理のための真理研究」を行うものこそが科学である、という科学的価値の「内在説」を、奇妙にも唐木順三や村上陽一郎氏は共有していることになります。

 科学的知識それ自体に特殊な価値を認めるという「内在説」は、真理の固有の価値を見定めているのではないでしょうか。しかし真理は、その応用における価値までも画定しません。研究における内在的価値と、応用の場面での外在的価値は区別されるべきです。つまり正しさという学問の価値を認めつつ、それが応用にさいして何のために使われるのか、改めて問うべきなのです(価値のいかんを問わず、原爆はどの文化でも爆発するものなのですから)。   


重要なのは内在的価値と外在的価値を統合する視点なのではないでしょうか。

あえて問う・・・日本における原爆投下。三浦俊彦,2008, 『戦争論理学』二見書房,258ページ
①「原爆投下が正当化されうるのは、それ以外には戦争を早期終結させる確実な手立てが日本にも連合国にもなかったからである」 。
②「日本を降伏させた圧倒的な主因はソ連参戦だったが、それを隠蔽するのに原爆投下が役立った。つまりソ連参戦とあいまって、原爆が戦争を敗戦に導いた」。
③「原爆投下を突出した悪として非難することは、他の戦争努力の相対的免罪につながり、戦争そのものが悪であることを失念させかねない」。
 補足、同書第54節参照:「広島・長崎への原爆投下を正当だったと容認することは、現在の核兵器の容認・将来の核戦争の容認を必ずしも意味しない」。広島・長崎の原爆と、現在の原爆はあまりにもちがっており、前者を是認することは、後者を否認することと両立しうる。人を殺すのは悪だが、どうしても殺さざるをえないという条件のもとでは、「ひと思いに殺す」ことはどうか。平時の殺人は悪であるが、戦争時の特殊な条件下ではちがう意味をもってくるかもしれない。つまり原爆肯定論には戦争拒否・戦争否定の主張が含まれており、「許されざる兵器使用がなんと許されてしまうような戦争という状況がなんと許されてしまうような戦争という状況は、なんとしても防ぐべきだ!」という主張の言い換えが、まさに原爆肯定論?なのである。 核抑止についても、この観点から言えば別の見方もできる。核抑止は核使用肯定論ではなく、戦争を否定するという側面ももっている。ただしそれが妥当するのは強国の支配という力のバランスを前提した話であって、小国の核は核抑止の論理を尽き崩す。
http://pari.u-tokyo.ac.jp/publications/column162.html

〔文献一覧〕
三浦俊彦,2008,『戦争論理学』二見書房。

10.オッペンハイマーの生涯 核分裂連鎖反応
[授業目標]原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーの生涯を知る ★予習:原爆投下に至る道筋を調べる
■ジョン・ロバート オッペンハイマー(コトバンクより)
 John Robert Oppenheimer1904.4.22 - 1967.2.18
 米国の理論物理学者。
 元・ロスアラモス研究所長,元・米国原子力委員会一般諮問委員会委員長。
 ニューヨーク生まれ。
 ハーバード大学卒。
 ケンブリッジ大学、ゲッティンゲン大学留学を経て、1929年カリフォルニア工科大学、カリフォルニア大学各助教授。’36年同大学教授。’43年ニューメキシコのロスアラモス研究所で、世界初の原子爆弾の製造(マンハッタン計画)研究チームを主導し、「原爆の父」と呼ばれる。’46年原子力委員会一般諮問委員会委員長、’47年プリンストン高級研究所所長。’53年水素爆弾製造計画に反対し、マッカシーズムの影響で公職追放となる。’63年量子力学、素粒子論などの研究でエンリコ・フェルミニ賞を受賞し名誉を回復。主著に「科学と一般的理解」(’54)、「開かれた心」(’55)。
■核分裂連鎖反応
 ウラン235 陽子・中性子(あわせて核子と呼ばれる)から原子核はなる。陽子は正の電荷をもち、中性子は電荷をもたない。核子の間には、ごく短い距離で働く大変強い引力(核力・中間子が媒介をする)が作用するので、陽子は正の電荷間の強い斥力に打ち勝って、原子核を保っていられる。
23592Uは92個の陽子、143個の中性子、あわせて235個の核子からできていることを表わしている。ウランの場合92を原子番号、235を質量数と言う。原子核のまわりを、その陽子の数(Z)に等しい電子が取りまくと、原子番号Zの原子になる。ただし、天然のウランのほとんどすべてはウラン238(23892U)で、それにわずか0.7パーセントほどウラン235(23592U)が混じっている。原子の化学的性質はその電子の数、つまり原子番号Zで決まるから、ウラン238とウラン235とは化学的には区別がつかない。両者は同位体と呼ばれる。ウラン235は以下のような分裂を示す。この核分裂を利用した爆弾がヒロシマ型原爆である。
10n+23592U→9236Kr+14156Ba+310n
 1939年1月26日、E・ローレンスの高弟L・アヴァレはその自伝でウランの核分裂に最初に接したさい、こう語っている。「彼〔オッペンハイマー〕は即座に分裂反応は不可能だと宣言し、誰かが間違いをしたに違いないと言ってそれを数学的に示そうとした。翌日、ケン・グリーンと私は分裂反応を実際に見せてやった。オシロスコープで、自然α粒子に対応するごく小さなパルスと、核分裂に対応する25倍ほども大きな背の高い鋭いパルスを見せた。15分もたたないうちに、彼は分裂反応がおこっている事に同意したばかりでなく、その過程で余分の中性子がこぼれ出て、それを使えばさらに多くのウラン原子を分裂させて、パワーを発生させ、あるいは爆弾も作れるのではないか、とまで考えを走らせた。彼の頭がいかに速く働くか、いかに速く正しい結論に到達したかは、見ていて驚くべきものがあった。彼の反応の仕方は科学の(  )の最上の実践だった。それまでの立場が維持できないとわかると、進んでその証拠を受けいれ、前のことにはこだわらず、新しい知識がもたらすものの検討に、ただちに取りかかったのであった」((藤永茂,1996,『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』朝日選書,121-122ページ)。
→括弧には何という語句が入ると思いますか。またその意味は?

■ある文学者の陳腐な誤謬
「原爆をある人間たちの都市に投下する、という決心を他の都市の人間たちがおこなう、ということは、まさに異常だ。科学者たちに爆発後の地獄への想像力が欠けていたはずはあるまい。それでいて、かつ、その決定がなしとげられてしまったのは、この絶望的に破壊的な爆弾が炸裂しても、その巨大な悪の総量にバランスをとるだけの人間的な善の努力が、地上でおこなわれ、この武器の威力のもたらすものが、人間的なものを一切うけつけない悪魔的な限界のこちらがわへまで緩和されるであろう、という予定調和信仰風な打算が可能であったからであろう」。
 大江健三郎の虚と実についてまとめよ。

■『ロスアラモス入門書(プライマー)』・・・ロスアラモスはニューメキシコ州の、マンハッタン計画の実験場所。(藤永茂,同書,176-177ページ)
・臨界量 ウラン235もプルトニウム239(10n+23892U→23992 U +γ
                    23992U→23993Np+e-
                         23993Np→24094Pu+e-)
も金属になる。まず小さい金属球を想像しよう。その中の一つの原子核に中性子が当たるとほぼ真っ二つに割れて大きなエネルギーで飛び散るが、同時に二、三個の速い中性子(二次中性子)も飛び出してくる。その二次中性子がまた次の原子核に当たり、次々と連鎖的に核分裂反応が進めば爆発的にエネルギーは放出されることになる。しかし、もし、はじめの核分裂で出てきた二次中性子が、金属球中の原子核に当たらないことがないよう、球が十分大きかったら、連続的持続が期待できる。これが臨界量の考え方である。
・タンパー 核物質の球の外に飛び出してくる速い中性子をはね返して球の中に戻す反射壁で球を包むアイデアは誰でも思いつきそうだ。これがタンパーの考えだ。タンパーには天然ウランのような重い金属がよい。タンパーを使えば臨界サイズは小さくなる。





    砲撃法               爆縮法

・早すぎ爆発 ウラン235やプルトニウム239は臨界量を超えると爆発する。まず、宇宙線からの中性子が引き金になる。また、不純物として含まれる軽い元素(ベリリウム、ホウ素など)に重い元素の崩壊から出るα線が当たって中性子が発生するため、中性子バックグラウンドでは核分裂が起きる。そのため速く反応が起こってしまうと、貴重な核分裂物質のほんの一部しか利用されないことがある。ここで争われる時間の単位は一億分の一秒である。https://www.youtube.com/watch?v=cufJyAwpADE

■原爆実験に最初に成功したさいのオッペンハイマーの述懐
 「爆風が過ぎるのを待って濠の外に出た。それは実に荘厳の限りであった。世界は前と同じでないことを私たちは悟った。笑う人もいた。泣く人もいた。大部分の人はおし黙っていた。私はヒンズー教の聖典『パガヴァド・ギーター』の一行を思いおこした。王子はその責務を果たすべきであることを王子にわからせようとヴィシュヌは試みている。そして王子の心を打とうとして、ヴィシュヌはその千手の姿をとり、『今、われは死となれり。世界の破壊者とはなれり』と言う。私たちはみな、何らかの形で、そうした思いを抱いたものと私は思う」。藤永茂,同書,198ページ。
通常、オッペンハイマーが原爆を完成し、みずからが「死」そのものとなり、世界の破壊者となったことの自覚の表明として一般に受け取られている。
 「あらゆる人間の内奥にある良心を養い育てれば〔オッペンハイマーの良心は〕神のドグマに依存する必要なしという立場だった。しかし、ロバートはアドラーが与える以外の倫理的基盤を求めたと思われる。事実、『パガヴァド・ギーター』には神クリシュナの教えとして命令的な倫理規定が並んでいる。例えば第16章には非暴力、自制、平静心、万物への同情、優しさ、謙虚、寛容、不屈の精神、などが天国を約束される人間の宝とすべき徳であり、欺瞞、横柄、高慢、無知などは地獄を約束された人間に属する、とある。
 しかし詩物語の形をとる『パガヴァド・ギーター』の本領は、神、あらゆるものの中にあり、あらゆるものを裡に含む神のヴィジョン、神の姿の描出にある。ヒンズー神クリシュナは漠として無限である。有をも無をも含む。過去、現在、未来を超越する宇宙の真理の総体である。しかも時にあっては人間の形もとる。千手のヴィシュヌはクリシュナが「光」の子として現われる時の姿である。『パガヴァド・ギーター』は、骨肉相はむ大戦争にのぞむ王子アジュナと神クリシュナとの問答の形をとる。王子は、敵の軍勢の中にも、肉親、兄弟、友人の多くを見て悲嘆し、絶望して、戦意を失わんばかりであった。王子は神クリシュナに、どうかあなたの本然(ぜん)の姿を見せてくれと懇願する。「私は真理の言葉に耳をかたむけて参りました。しかし私の魂は見たいのです。すべての真理を包含する神としてのあなたの姿を見たいのです」。
 クリシュナは「人間の目はすべてを見ることはできない」と言いながらも、アジュナの前にその姿をあらわす。
「千の太陽の光が、突如、空に輝きのぼるならば、その燦(さん)然たる様は神の輝きにもくらべられよう」とアジュナは感得したのだが、目がくらんだ。炎か、太陽か、ああ、目がくらむ。何もわからぬ。
「あなたの巨大な姿かたち、天空に達し、色乱れて燃え上がり、かっと開かれた巨きな口、炎のごとき燃える目を仰いで、私の心臓は恐怖におののき、力は萎え、心の平安は失なわれました」。アジュナは救いを求めて叫ぶ。
「どうか御身自身をお証かしください。この恐怖のかたちをとる御身は何者なのですか。おお最高の神よ、私は御身を尊崇いたします。どうか私にご慈悲をお授けください。私は御身を知りたいのです。いったい御身はどなたなのですか。私には御身の摩訶不思議な行いが理解できませぬ」。
「私はすべてを破壊する死として現われたのだ。私は、これらの人間たちを殺すためにここに現われた。たとえ、お前が棄てても、お前に敵対する戦士のすべては死ぬであろう。だから立ち上がって戦え。栄光を勝ち取れ。おまえの敵を懲服せよ」」藤永茂,同書,199-200ページ。

原爆を扱った隠れた名作↓



11.オッペンハイマーの生涯 トリニティ、広島、長崎
[授業目標]原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーの生涯を知る ★予習:ファウストにおける知識人の悲劇について調べよう

■原爆実験(1945.7.16)
 リチャード・ファインマンの回想
 「そもそもことはプリンストン大学院の研究所に始まる。或る日僕が部屋で仕事をしていると、ボブ・ウィルソンが入ってきた。実は極秘の仕事をする金が出たという。ほんとうは誰にも口外してはいけないのだが、内容さえ聞けば君だって即座に参加すべきだと思うはずだ。だからあえて説明する、と言うのだ。そしてウランの異なる同位体を分離して、ゆくゆくはそれで爆弾を造る計画を打ち明けた。……僕はそんな仕事はまっぴらだと断った。……ものの三分もしないうちにさっきの話が浮かんできて、仕事が手につかなくなってしまった。
  ……僕たちは、ニューメキシコ州のロスアラモスで実際に原爆を造る計画が始まるので、今までここでやってきたことは中止して、全員ロスアラモスに集まってさっそくこの仕事にとりかかるように指令を受けた。
 ……とにかく原爆実験のあと、ロスアラモスは湧きかえっていた。みんなパーティ、パーティで、あっちこっちと駆けずりまわった。僕などはジープの端に座ってドラムをたたくという騒ぎだった……そのとき、僕をはじめみんなの心は、自分たちが良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった」(リチャード・ファインマン著,大貫昌子訳,『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」Ⅰ』)。
 イシアード・ラビの回想
 「(アラモゴルド の実験成功にさいして)「自分の手の甲が鳥肌立っているのに気づいた。あのときの気持ちはとても言葉では言い表せない。今でもそのショックが残っている。理由は分からないが、恐ろしくて、不吉で、心の底まで凍りつくようだった」。
 「(実験の場所から戻ってくるオッペンハイマーに出会って)あのとき彼の歩きぶりを私は決して忘れない、彼が車から降りてくるときの姿を」。(それは自信に満ち、成功に酔った一人の見知らぬ男に見えて、再び鳥肌の立つ思いだった)(ピーター・グッドチャイルド著,池澤夏樹訳,『ヒロシマを破滅させた男オッペンハイマー』)

藤永茂,1996,『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』朝日選書,201ページ。
ラビの記述「」参照・・・
 「ロバートの帽子の写真を見たことがあるだろう。……彼の歩き方は『ハイヌーン』のあれだった。気取った歩きぶり。俺はやったんだぞ」。
 西部劇映画の古典『ハイヌーン』。保安官のバッジにかけてただひとり、兇悪な無頼の一群に立ち向かって、見事に奴らを撃ち倒した。町びとたちに迎えられるゲーリー・クーパーの静かな大股の歩きぶり。――親友ラビの目は辛辣にオッペンハイマーを捉えている。
ベインブリッジの回想
 「爆風が通過してから、私は伏せていた地面から立ち上がって、オッペンハイマーや他の人たちに爆縮法の成功のお祝いを言った。最後に私はロバートにこう言った。『これで俺たちはみんな下衆のとどのつまり(Now we are all sons of bitches)』。何年もたってから、彼は私の言葉を思い出して、手紙でこう書いてきた。『我々は君の言ったことを、誰にも説明する必要はない』。私は彼がこう言ったことをいつまでも大切にしておこうと思う。どういうわけか、この言葉を、その背景の前に正しく置くことも、全体を考えて解釈することもできず、また、しようともしない妄想連中がいるが。1966年のこと、オッペンハイマーは私の下の娘に向かってこう言った。『お父さんの言葉が、実験の後で誰が言ったことより良かったのだよ』」。

■広島・長崎
〔問い〕空所を補充せよ。https://www.youtube.com/watch?v=AkemncYRHIk
 米軍のB29爆撃機「       」で運ばれたウラン爆弾「        」は、1945年    日午前8時16分、広島上空で炸裂した。B29「ボックスカー」に搭載されたプルトニウム原爆「       」は    日午前11時3分、長崎上空で炸裂した。広島原爆の爆発力はTNT15キロトン、長崎原爆はTNT21キロトンであったと推定されている。1945年の末までの死者数は広島14万、長崎8万、現在(1996年・・どこまで基準するかで変わってくる)までの原爆死者総数は30万と推定される。
 広島の直後、B29が日本全土に散布したビラには「米国は今や何人もなし得なかった恐ろしい原子爆弾を発明し、之を使用するに至った。之原子爆弾はただ一箇だけであの巨大なB29二千機が一回に投下する爆弾に匹敵する」とあった。しかし、これは正しくない。原爆の殺傷力はTNTトンに換算した破壊力だけで表現できるものではない。爆風に先がけて高熱波、 線、    が人間をおそい、また死の灰の形をとって死の輪をさらに拡大する。広島、長崎からの50年間に原爆の死を生き、そして死んだ10万人の被爆者が、その死にいたる日々に直面したものの総体が、TNTトンからはスッポリと欠け落ちているのである。
注:ドイツは1944年11月ナチス・ドイツが原爆をもちえないことの情報が伝わる 。

■投下に先立つ1945年初頭・ロスアラモスにての集会・ウィルソン の証言
 「あの頃は軍の秘密主義の害悪を過度にまで思いこんでいた。原爆の存在を実際の爆発によって明るみに出さなければ、軍は核エネルギーを秘密のままにするだろうと恐れたのだ。我々のやっていることが道徳的に間違いかもしれないことを問題にした者が、あの集会で一人もいなかったことは注目に値する。荷物をまとめておさらばしよう、とは誰も言い出さなかった。それどころか、伝道者まがいの熱心さでまたまた仕事に戻っていったのだった」。
 「1945年のドイツの敗北が、なぜ、私と戦争のかかわりあい、特に原爆とのかかわりあいを私に考え直すように仕向けなかったのか、これまでたびたび思いわずたってきた。考え直すことは私の心には浮かばなかったのだ。私の知る限り、友人のだれ一人として、あの時、そうした問題を取りあげなかった。たしかに、何百人といた科学者の中に、せめて一人ぐらいはロスアラモスを去った人間がいてもよさそうに思えるのだが。今は、私がそうしなかったのを悔いる。国連にかこつけて自分の行動を正当化したのではなかったと思う。事態がまったく信じられない速さで動いていたのがその理由だったような気がする。我々は計画の頂上にいた。砂漠で実験用の原爆をまさに炸裂させようとしていた。……ローヴェルトの死、5月7日の100トンTNT実験、ドイツの降伏、7月16日の原爆実験、事件は踵を接してやってきた。人間たるもの、そう敏速に対応できるものではない。それに加えて、原爆が果たしてうまくいくかどうかを見届けたいという、これぞファウスト 的な焦がれる想いがあった」(藤永,同著,204-205ページ)。https://www.youtube.com/watch?v=38nSgWs26TE

■同集会についてのワイデン『デイ・ワン(広島の前と後)』の記述
 「ラシャの半コートにくるまって雪を踏みわけながら、ロバート・ウィルソンはロスアラモスの技術区の方々(ほうぼう)の研究室にあまねく告知のビラを貼ってまわった。自分のプリンストン大の研究仲間を丸ごとオッペンハイマーにリクルートされた、この若いグループ・リーダーはサイクロトロンのある”X棟”で、前例のない討論集会を呼びかけていたのだ。……
 ウィルソンは、もっと多くの爆弾製造屋が、彼らの作っているものの道徳性について、もっと考えるべきだと思ったのだった。
 オッペンハイマーがウィルソンのビラを見つけるや否や、彼を所長室に呼びつけて、集会をやめるように言った。おどろいて、ウィルソンはその理由を尋ねた。防諜部の連中がいやがるだろう、とオッピーは言った。ワイオミング出身の骨からの開拓者であるウィルソンは、防諜部の連中の気に入るか入らないかが何で問題なのか、と問い返した。ウィルソンの率直さに、オッピーはまるで”爆弾”をくらってふるえ上がったような反応を示した。……
 集まった人たちにウィルソンが問いかけた問題は広大なものだった。ドイツの敗北が目前の今、なぜ原爆の仕事を続けるのか?続けることは道徳的に正しいことなのか?この”恐ろしい物”がどのように世界を変えるのであろうか?
 オッペンハイマーは巧妙な――そして全然仮想のシナリオを持ち出して、すばやく討論の腰を折った。……」(藤永,同著,213-214ページ)

 「原爆の開発に手を貸した人間を弁護する理由はない。ロバート・オッペンハイマーの責任は重大である。……しかしその叙述を浅薄な効果を狙って架空の劇化をしてはならぬ。……ワイデンは、シラードを、日本への原爆投下に反対したヒューマニズムの聖者として高く持ち上げるために、オッペンハイマーを悪魔の使徒として貶めた。原爆投下を実行したアメリカ政府、軍部、その走狗となったオッペンハイマーを声高に弾劾し、自らは広島の原爆ドームのかたわらにポーズして流涕することによって、自分自身の、あわよくば、”良き”アメリカ人たちの無罪をも証明しようとしたのである」(藤永茂,1996,『ロバート・オッペンハイマー』朝日選書,214-215ページ)。
〔問い〕この記述について意見を述べよ。*

■長崎原爆投下についてのB.T.フェルド(当時マサチューセッツ工科大学物理教授)の回想
 「長崎の原爆は、目前の勝利に酔った軍部の機構が勝手に動きを続け、責任ある地位の者が誰もそれを停止する思慮と醒めた分別と道義の力を持たなかったという、それだけの理由で投下された。我々は長崎を忘れがちだ。しかし、困難だが魅惑的な技術的事業の勢いの中に捕らわれたロスアラモスの我々の目をさましてくれたのは実に長崎であった。……長崎がこのヒステリーに冷水を浴びせてそれを終わらせた」(藤永,同著,216ページ)。

■1945年10月16日オッペンハイマーは、ロスアラモスに以下の言葉を残して去る
 「ロスアラモス研究所、心身を挙げてこの研究所に尽くしてこられた男性、女性の皆さんに対するこの感謝状を、私は有難く感謝をこめて受理いたします。末ながく、この感謝状とそれが意味するすべてを誇りをもって回顧するようでありたいと望みます。
 今は、その誇りは深い懸念とともにあらざるを得ません。もし原子爆弾が、新しい武器として、戦い争う世界の兵器庫に加えられることになれば、やがて、人類がロスアラモスとヒロシマの名を呪う時が来るでありましょう。
 世界の諸国民は一つとならなければなりません。さもなければ滅亡が待っています。地球をかくまでに荒廃させたこの大戦が、このメッセージを書いたのです。原子爆弾がこのメッセージをすべての人にわかるようにはっきり書いたのです。ほかの人たちも、別の時、別の戦争で、別の武器について、同じ言葉を語りましたが、それが世界を制することはなりませんでした。人類の歴史のあやまった通念に迷わされて、今度もうまく行くまいと考える人もいます。我々はそれを信じません。我々みんなが直面する危機を前にして、法においても、人間の名においても、我々は力を尽くして、ひとつに結ばれた世界の実現を目指すのです」(藤永,同著,217ページ)。

■1945年11月のオッペンハイマーの講演の一節
 「原爆はそんなにひどく悪い兵器ではないと言う人たちがいます。ニューメキシコの実験の前は、何平方マイル 壊滅できるか、TNT火薬で何トン分かなどと検討し、空襲で荒廃したヨーロッパの写真を見ながら、私たちも同じようなことを言っていました。しかし、実験の後はもう言いませんでした。皆さんの中には爆撃された長崎の写真を見て、工場の大きな鉄の梁がねじまげられ、無残に破壊されているのをごらんになった方もおいでだと思います。破壊された工場のあるものは数マイルも離れていることに気づかれた人もありましょう。焼き殺された人たちの写真に、あるいは広島の残骸に目をこらした方もおいでだと思います。長崎に落とされたあの爆弾は、もし10マイル平方の広さがあったら、そっくりその10マイル平方を破壊しつくしたでありましょう。核兵器の使用法は広島で決められました。核兵器は侵略の兵器、奇襲と恐怖の兵器であります。もしそれらが再び使用されるとすれば、その威力は数千倍、いやおそらく数万倍にもなっていることでしょう。……その使用の戦略は、すでに敗北した敵に対して用いられた場合とは大いに異なるものになりましょう。しかし、それはまがいもなく侵略者の兵器であり、その奇襲と恐怖の本領は、分裂する原子核と同様、それに内在するものであります」(藤永,同著,218ページ)。

■オッペンハイマーにおける原罪
 「オッペンハイマーは、原罪を自覚しているのもかかわらず同僚科学者にたいして、科学の進歩の価値を信じてひたすら前進することを勧めている。ここに自己矛盾はないだろうか。全力で走りつづけなければ科学はその生命力を失って堕落することはたしかであるし、科学をひとつのサブシステムとして組み込んだ近代西欧文明もまた解体の危機に直面するであろう。この文明のありかたをよしとするかぎり、科学の自由な進歩は守られねばならず、しかも宿命的な課題として、自滅の危機に対処していかねばならない、というのがオッペンハイマーの基本的見解である。かくして、科学者の主体的姿勢において、原罪の自覚と科学の価値への盲目的コミットメントが、矛盾をきたすことはない。だがそこからは、科学者の社会的責任について、いかなる具体的指針も出てこない。オッペンハイマーが、すべてを限りなく曖昧な表現のかなたに包み込んでしまった、というハーベラーの評言は、まことに正鵠を射ている。
 ……罪を知ったオッペンハイマーは戦後、平和主義者となり、アメリカの核軍拡を阻止しようとした、という神話がかつて信じられていた。たしかにオッペンハイマーは、原子力の国際管理のために献身的な努力を傾けた。しかしそれはアメリカの国家利益のため、という見地に立ってのことであった。同じ見地から、オッペンハイマーは他方で、核軍拡をみずからの権限において推進しつづけたのである」(吉岡斉,1984, 『科学者は変わるか 科学と社会の思想史』社会思想社,150-151ページ)。

補足:核軍拡競争はチキンゲームに喩えられる。チキンゲーム
 「チキンゲーム」という言葉は、ある交渉において、2人の当事者が共に強硬な態度をとり続けると、悲劇的な結末を迎えてしまうにも拘らず、プライドが邪魔をして双方共に譲歩できない状況の比喩として使われる場合もある。バートランド・ラッセルが、チキンゲームを「瀬戸際外交」と比較した研究は有名である。
チキンゲームのルール
 チキンゲームの最も古い例の一つに、ジェームズ・ディーン主演映画『理由なき反抗』がある。この映画では、2人のプレイヤーは崖に向かって別々の車で同時に走り出し、先に運転席から飛び出した者が「チキン」とされた。そのほかにも以下のようなルールが設定されることがある。
 ゴールラインをいかに早く通過するか。しかしゴールラインの先に壁又は崖がありあまり早く通過すると止まれないので そこが肝心。
・設定されたゴールラインを超えたら(あるいは壁にぶつかったりガケから落ちたりしたら)負け。
・先にブレーキを踏んだ方が負け(恐怖に対する我慢比べ)。
・競技者が失神したら負け。
・競技者が死んだら負け。

Break tim
「宇宙人と出合ったとき、自爆することが合理的であることについての、若干の補足」 
  ロケットで宇宙人に出会ったとします。そのとき、もしひょっとして、宇宙人の知能水準が高ければ、どうなるでしょう。地球を侵略してくる可能性を否定し切れません。ですから、宇宙人に地球のことを知らせる手掛かりを残すことは最悪の選択肢です。相手の宇宙人の方でも、地球人に母星の情報を知らせてはいけない、と判断するでしょう。ですから、知能水準が絶対ばれないよう(核融合で完全に証拠を消す)生き残りの回避、つまり自爆を図るでしょう。自爆する選択をC、生き残る選択をDとして、地球人の採る選択を前に、宇宙人の採る選択を後に書いて、考えうるケースを枚挙しましょう。お互い生き残る選択DD(ちなみに地球人が自爆し、宇宙人が生き残るケースはCDと表せます)は最悪のケースです。 ではお互い自爆するケースCCと宇宙人が生き残るケースCDはどちらが望ましいでしょうか。お互い自爆する方CCがよりまずいように一見思えます。しかし宇宙人が生き残った方CDが、彼らに遭遇した事実が残ります。知能の高い生命体なら、遭遇場所の情報を解析して、地球に関する情報を、導き出すかもしれません。 したがって、宇宙人も自爆してもらう方CCが、自分たち地球人のロケットだけ自爆するケースCDより、断然好ましいでしょう。そして、地球人だけが生き残りD、相手の宇宙人が自爆するCケースDCが最善ということになるでしょう。結局、得点は、 DC>CC>CD>DDとなります。そこで ( , )の中に地球人、宇宙人のそれぞれの点数を書き込みます(宇宙人の方でも同じような判断をするでしょう)。

12.フランクリポート
★予習:英文を下読みしてくる

http://www.nuclearfiles.org/menu/key-issues/ethics/issues/scientific/franck-report.htm

13.核軍縮と科学者
[授業目標]核軍縮の論理を理解する ★原水爆禁止運動を調べてくる 

■シラードの日本原爆投下反対請願
 シラードは準備中のフランクリポートに不満だった。
 「その頃(1945年5月頃)になると、日本の都市に対して原子爆弾を使わないように政府を説得するのはもう無理だとわかっていた。暫定委員会では、使用しないという考え方に反対するカードが積み上げられていた。だから、やれることとしては、科学者たちが原爆投下に反対だったということをはっきりと記録に残すことだけだった。フランク報告では投下反対は便宜的な立場から議論されていたが、私は、日本の都市に対する原爆使用に科学者が道義的な立場から反対したのだということを記録に留める時が来たと考えた」(藤永茂,1996,『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』朝日選書,235ページ)。
 〔失意の〕シラードは、再びトルーマン大統領に直訴を思い立った。しかし、さきにかかげた彼自らの言葉がはっきり示すように、これは後世に残す記録をつくることを目指したものであった。シラードは単独で訴状を起草し、6月下旬からシカゴで賛同者の署名を集めはじめた。この訴状は、日本に公正な降伏の機会を与えることなく原爆を使用することに反対する立場をとっているが、それは日本の民衆を大量に虐殺する行為に対する道義的な怒りに発するものではなく、「世界の目の前で、我々自身の目の前で、米国の道義的責任が弱体化する」ことをおそれての事であったことを、私たちはこの訴状から読み取る必要がある(藤永茂,同書,235-236ページ)。
……シラードの訴状は、トリニティ実験の翌日の7月17日の日付が打たれ、69人の署名が集まった(藤永茂同書,236ページ)。
……ロバート・オッペンハイマーは、シラードの訴状の内容にも、トリニティ実験の直前にそれを配布することにも、はっきり反対であったと判断される。彼は、日本に対して原爆の威力を有効確実に実験でわからせる可能性はほとんどないと考えていた。テストの後で荒野の爆心地に立った彼は、地面にほとんど凹(へこ)みができなかったのを見て、その考えを一層かためたようだ。広島、長崎の阿鼻叫喚の地獄図は、まだ彼の頭の中になかった(藤永茂同書,237ページ)。
……私〔藤永茂〕は、科学者の良心を代表する英雄、陰の天才、として祭りあげられたシラードのステレオタイプを突き崩すことを試みできた。レオ・シラードを然るべき高さまで引降ろし、ロバート・オッペンハイマーを然るべき高さまで引き上げる作業は、私にとって、ただ一つのことを意味する。私自身の詭弁の退路を断ち、いつわりの無罪証明を捨て、有罪を認めることである(藤永茂同書,237ページ)。
■訴状のいくつかの草稿より
 7.4.「この請願は純粋に倫理的な考察にもとづいている」という言明を発見できる( 内井惣七,2002,『科学の倫理学』丸善,88ページ)。
それに続いて「われわれの請願が事態に影響を及ぼす可能性はいかに小さいにせよ、この分野で働いた多くの科学者たちが、明確に、誤解の余地なく、現在の戦況のもとでこれらの爆弾の使用について、倫理的根拠から反対したことを記録に残しておくことは重要である、とわたしは個人的には考えます」(内井惣七,同書,88ページ)。
 〔内井惣七『科学の倫理学』の分析によると〕次に、シラードのこの草稿では、ドイツ人科学者たちがナチスの野蛮行為に対して抗議しなかったことが言及され、彼らの抗議は生命の危険を冒すことだったにしても、その言い訳は受け入れられそうにないのだから、そのような危険のない我々が抗議の声をあげるのはたやすいではないか、と論じられる。有り体に言えば、この請願に署名しておけば、プロジェクトの上役にはにらまれるかもしれないが、戦後あるいは後世の風当たりが違いますよ、と科学者たちに呼びかけているのである。そして、やっと最後に、一般の人々が知らない事実を我々科学者は知っているので責任が増すという文章が加わる(内井惣七,同書,88ページ)。
 訴状最終稿(内井惣七,同書,89ページ)
①一般には知られていない原子爆弾の使用が大統領の手に委ねられており、決定次第でアメリカの将来が左右されること。
②我々科学者はドイツの核開発を恐れてこの仕事に携わったが、日本に対する原爆使用は適切な警告と降伏勧告を経なければ正当化できないと考えること。
③原爆使用は、いかなる場合でも、使用に含まれる倫理的責任を考えた上でなければなされるべきでないこと。
④原爆使用は想像できないほどの破壊の道を開くことへの責任を含むこと。
⑤アメリカは原子力開発の先頭に立っていることにより、戦後の核兵器競争をくい止める責任を負うこと。
⑥アメリカが抑制の責務を果たさない場合には、自他に対して倫理的立場を弱くすること。
→警告と降伏勧告なしに日本の原爆使用はしないこと、およびもし使用に至る場合には、前述の論点・他の倫理的責任を考慮すること。
■ラッセル・アインシュタイン宣言https://www.youtube.com/watch?v=FDjpyuHkWvk
1955年7月 宣言の一節より
 「私たちがいまこの機会に発言しているのは、あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく、その存続が疑問視されている人類、人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そしてすべての小さな紛争の上にかぶさっているのは、共産主義と反共産主義との巨大なたたかいである。
 政治的な意識をもつ者はほとんどみな、これらの問題のいくつかに強い感情をいだいている。しかし、もしできるならば、皆さんにそのような感情をしばらくわきにおいて、ただ、すばらしい歴史をもち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員として反省してもらいたい。
 私たちは、一つの集団に対し、他の集団に対するよりも強くうったえるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もしこの危機が理解されれば、皆さんがいっしょになってそれを避ける望みがある」(吉岡斉,1984, 『科学者は変わるか』社会思想社より。湯川秀樹・朝永振一郎・坂田晶一編著,1963,『平和時代を創造するために』岩波書店,175ページ)。
■湯川秀樹・朝永振一郎の核軍縮思想:平板かつ単調な常識論という印象を否めない(吉岡斉,同書,169-170ページ)。
一、人類の存続を至上価値にし、その見地から核戦争を絶対悪であると断じた。
二、核抑止論の批判を熱心に展開した。核の傘のもとでは戦争は起こらないという論理を批判。とめどない核軍拡競争をもたらすとした。
三、現代の科学者がモラルに関わる問題について積極的に発言しなければならないとした。これは、科学者が自分たちの研究自体の功罪を不問に付したうえで、科学の応用に関わる問題について、第三者的な専門家として、発言を行ってゆくという立場に基本的に収まる。基本的に、研究は研究、運動は運動という二元論が成り立っていた。
★吉岡斉,同書, 170-171ページのコメント
 「……やがて破局にいたることが、誰の目にも明らかであるにもかかわらず、エスカレーションを続けていくものは、核軍縮だけではない。現代工業文明そのものがそうであるし、そうしたエスカレーションを止めるために必要なのは、その延長線上に破局が来ることを立証することではない。エスカレーションをもたらしている源泉はどこにあり、どうすればそれを止めることができるか、を示すことである。たとえば経済成長について考えてみよう。これ以上、工業文明を拡大していけば、資源・環境問題は加速度的に深刻化するが、しかし経済成長をストップさせ、さらにマイナス成長をはかる、といった政策をとれば、想像もできない社会的混乱がもたらされるだろう。そうした場合、成長の限界を説いても効果はないのである。いかに経済成長を必要としない新しい社会体制を築いていくかについての、現実的かつ総合的なプログラムを示し、身をもって実行に移すことが不可欠である。残念なことに、湯川や朝永の核軍縮思想は、そこまで突っ込んで展開されることはなかった。……湯川や朝永の二十年余にわたる不断の努力は、尊敬に値するが、しかし見方を変えれば、二十年にわたって核兵器を絶対悪とし、核抑止論の破綻を明らかにする、ということだけに取り組みつづけたのは、賢明であったと言えるかどうか」。
■朝永振一郎の”原罪説”
〔問い〕空所を補充せよ。
 ラッセル・(1)宣言を受けて核兵器の危険とその回避を訴えてカナダの(2)で開かれた「科学と国際問題に関する会議」を(2)会議と呼ぶ。以後科学者の平和に対する責任を論ずるために、各地で開催された会議も同様の呼び方がされている。そこで科学者たちは、核の登場による人類生存の危機を憂い、核戦争を避けるべきだと訴えた。これは、科学者の平和に対する責任を明確にしたものと言える。これに触発されて文学者の(3)は「『科学者の社会的責任』についての覚え書」の中で科学者らしくあること、すなわち(4)の自由と、人間らしくあること(科学者の社会的責任)とを同時に考えよ、と主張した。
世界に存在する四つの力のうち強い相互作用を発見した湯川秀樹は、科学の原罪説を唱えた日本の物理学者(5)と同様に、核兵器の基礎となる理論を考案した科学自体の責任を問うた。特に(5)によれば、人間が人間でいる限り知的(6)を抑えることは出来ない、だから科学は人間の本性に根ざしている、したがって科学をやめることは人間をやめることであると主張したことで有名である。
注:唐木が湯川に罪の意識が希薄で、朝永に罪の意識が見られるとしたのは、事実誤認。
 朝永はオッペンハイマーの影響を受け、科学原罪説を展開している。1954年に以下のように述べる。
 「僕はオッペンハイマーに20世紀の人間の――特に自然科学的人間の――一つの典型を見たような気がする。彼は現代のファウストのように思われる。自然科学は何といってもメフィスト的な要素があって、彼はそれとけい約して、天上的なものと地上的なものとの間にさまよっているような印象を受ける。これは今世紀の人間全体の運命ではないだろうか」(吉岡斉,同書より。朝永振一郎,1981,「暗い日の感想」『朝永振一郎著作集第一巻 鳥獣戯画』みすず書房,98ページ)。
科学原罪説:人間が人間であるかぎり、そのやむにやまれぬ知的好奇心を押さえることはできない。
 科学は人間本性に根差しているのだから、それをやめることは、人間であることをやめることである。たとえば科学がある意味で非人間的にならざるをえない必然性をもっていたとしても、それは本来、人間的な営みであって押しとどめることはできない、というのである(吉岡斉,同書,174-175ページ)。
問題点(loc.cit.)
一、知的好奇心を満たすということは、たしかにポジティブな価値をもつといってよいが、しかしそれは超越的な価値ではなく、他のさまざまの価値と並列して論ずべきものである。
二、現代の制度化された科学は人間の自然な好奇心の産物として必然的に発達してきたものではない。人間本性としての好奇心を抑圧せずに、科学の流れを大きく変えることも可のではないか。
「物質科学にひそむ原罪」(1976年の講演)
https://www.youtube.com/watch?v=0MhLBj1x9U4&index=11&list=PLfK9TUSUPVrufTM04ymK--_YleSuhBWIT
 「科学というものは、ある意味ではプロメテウスがもたらした火のような、そんな感じがしないでもないわけです。しかしながら、プロメテウスというものは、そういうたいへんな罰を受けた一方で、神の権威を恐れずに人間に貴重なものを与えてくれたということで、大いに賛美されている面もあります。……人類は科学というもの、つまり罰せられるべき要素をもっているものなしには、生きつづけることはできないということです。しかし、やはり、『科学というものの中には、罰せられるような要素があるのだ』ということも忘れてはいけないのではないかと思うわけです。つまり、そういうヨーロッパで生まれた科学を、私たちが自分のものとして扱うときには、もう一つのヨーロッパで生まれている,
 科学に対する恐れ、罪の意識、キリスト教のほうでいえば、パラダイスを追われたという『原罪』という考え方があるんだそうですけれども、そういうようなものも一緒に、心の中にもちながら、科学というものを考えていく必要があるんじゃないかと、そういう感じがいたします」(吉岡斉,同書より。朝永振一郎,1982,「物質科学にひそむ原罪」『朝永振一郎著作集第四巻 科学と人間』みすず書房,117-118ページ)。

 「科学と技術がこれ以上進歩しないならいいんですけれども、進歩の余地があって、新しい発見とか新しい着想なんか新しいものがつくれるという可能性が残っている限り、人間のもつ本能に非常に深く根ざした恐怖心、相手に先をこされることに対する恐怖心、これがどんどんと大きな破壊力の兵器をつくらせる。あるいは非常に性能をよくしようという考えにかりたてる。自分でそういう考えはおかしいと思っていても、押さえられなくなる。(中略)
……ある法則が発見されれば、これと同じことを相手国でも発見していないという保証はなんにもないわけです。そうしますと、これは向うのほうが先に知ってるかもしれないという疑心暗鬼に当然おそわれます。
 もしかすると向うはもっと先へ進んでいるかもしれない。ぐずぐずしているとこっちの負けになる。しかもこれは致命的な負けになるかもしれない。そういうわけで、着想を現実化しよう、実際のものにしてしまおうという衝動にかられる。そういうものをつくると人類の将来にどういう影響を与えるだろうかというようなことを深く考える余裕などはなくて、矢も楯もたまらずにそれの開発に進んでしまう。科学者がそういう恐怖にかられて、あるものを開発しようとしますと、政治家も恐ろしくなるわけです。……よく備えあれば憂いなしといいますね。備えなければ心配だという衝動が科学者や政治家をかりたてるわけです。ところが現在の状況では、いくら備えても備えてもけっして憂いがなくならない。というのはつまり、あとからいくらでも新しく発見や発明が出てくる余地がある。そういう奇妙な逆説的な状況が現在あるわけです」(吉岡斉,同書より。朝永振一郎,1979,『物理とは何だろうか 下』岩波書店,205-208ページ)。
★吉岡斉,同書, 179ページのコメント
 「制度化されて以後の核軍拡競争において、個人的動機としての恐怖心が多くの科学者を突き動かしてきたとしても、それはいろいろな動機のひとつに過ぎず、しかもそうした動機の強弱にかかわらず核軍拡競争が続いたはずである。それゆえ朝永の見解をもし字義通りに解釈すれば、これは根拠に乏しい憶説と判定せざるを得ない。しかし現代科学が累積的に進歩していくという性質をもつことが、とめどもない核軍拡競争の前提条件となっているという朝永の基本的視点そのものの妥当性は、それによっていささかも揺るがされるものではない。一般的に科学の原罪について語っても、何も具体的指針は得られない。現代科学のどこに、罪の源泉がひそんでいるのか、について朝永は一つの重要なポイントをおさえた議論を展開することに成功した、と言ってよい」。

〔文献一覧〕
吉岡斉,1984,『科学者は変わるか』社会思想社。

14.原子力発電問題
[授業目標]核エネルギー利用の問題を押さえる ★予習:HPをダウンロードのこと

原子力発電の原理

■原子力発電の何が問題か 石橋克彦編,2011,『原発を終わらせる』岩波新書,第二部・第三部
―科学・技術的側面から
・原発のもっとも大きな問題は、原子炉の内部に大量の放射性物質を抱えながら運転を続けること。→核反応コントロールや燃料棒の冷却などに、非常な神経を使う必要。
・巨大事故の恐怖=核暴走事故と冷却材喪失事故がある。
・後を絶たない小さな事故・労働者の被ばく
・使用済燃料の再処理・放射性廃棄物処分の困難
・原子炉圧力容器の照射脆弱→予測できない材料劣化
・原発被害の予測の不備
・国家経済の破綻(37万テラベクレル)
・地震列島における原発の問題性
―社会的側面から
・安全神話がもたらした安全対策の欠陥←国策民営
  1重大事故についてのシミュレーションの欠如
  2指揮系統の機能障害
  3原子力防災計画の非現実性と避難指示の遅れ
・原発依存の地域社会
・原子力発電と兵器転用
注意:「経済的負担」が生じるとしても、長期的な壊滅的影響を最小限に食い止めるために、現世代の「負担」は必須。経済活動を小さくすることでエネルギーも減らし、目標を達成する論調も見られるが、むしろ重要なのは両者のバランス。


〔資料〕吉岡斉,2011,「原子力安全規制を麻痺させた安全神話」『原発を終わらせる』135-136ページ。
「原子力安全神話」~原子炉などの核施設が重大な損傷を受け大量の放射性物質が外部へ放出される事故は現実的には決して起こらないとする思い込み
 JCO臨界事故を受けて、事故は起こりうるが、大事故のリスクは十分低くできる、という趣旨の議論に変更された。しかしながら「リスクはきわめて小さく現実的には無視できる」と言い換えに終わっている。
 もともとこの「神話」は立地地域住民の同意を獲得し、立地審査をパスするために作り出された方便にすぎなかった。しかし実際には、この「神話」が原子力安全対策の上限を定めるものとして機能するようになる。福島第一原発では、立地審査をパスした原子炉施設に追加の安全策を施せば、不備があったというメッセージを発信することをおそれて、安全対策強化が見送られた可能性がある。
 

〔資料〕飯田哲也,2011,「エネルギーシフトの戦略―ー原子力でもなく、火力でもなく」『原発を終わらせる』182-184ページ。
 経済と環境エネルギーに関する基本的な関係
 かつての内閣で行われた温暖化対策がどれだけGDPを低下させるかという議論
・国民負担の大小を前面に出して判断を迫る、視野の狭い経済成長主義の問題~経済の仕組みに社会的費用を織り込むこと・将来世代に対する予防原則の姿勢・GDPという指標自体が成熟経済においては幸福の指標とは必ずしもなりえないこと、といった基本的視点が欠けていた。
・仮に「負担」が生じるとしても、長期的壊滅的影響を最小限に食い止めるためには負担もやむなし、という基本哲学も欠いていた。
・排出量規制の制約を課すと、逆にイノベーションも期待できる。


感想:.人間は自然を犠牲にする自己中心的な存在である。だからこそ人間は原子力発電に反対する。そうした人間は矛盾を抱えている。こうした趣旨でしょうか。人間の自然の抑圧と、人間同士の意見対立の話がうまくつながっていません。人間の愚かさを指摘されようとしていることは窺えますが。前段の自己中心を人間一般に見出されるエゴと解釈し、エゴイズムは時として対人関係に衝突をもたらす、とまとめてみてはどうでしょう。
感想:.原子力発電について、それぞれがもっともな意見をもっているから意見が多様な状態が望ましいと結論づけておられます。表現・思想の自由が認められるべきだ、というのは当然のことですが、それをコンセンサスにもっていくこともまた必要です。原子力発電が人々の生活に密接な関わりをもっている以上、社会的合意形成が要請されます。
コメント:消費ということを何か犠牲の連鎖のように捉えていませんか。例えば好きな人にバレンタインのチョコを作ってあげて、それを相手が消費したとしても、取り分けてマイナスのことは起こっていないでしょう。消費の中にもつながりを前提とした、輝きというものは、厳然としてあるはずです。

Break time
mihara jun 「Die Energie 5.2☆11.8」
http://tateno.pos.to/diary/199809.html




■高木仁三郎の立ち位置
 「科学にこだわりながら科学批判する立場から、体制内で行われている科学と、非専門家の市民との間のどうしようもない矛盾ということに気がついた。そのときに、そのどこに自分を置くのかというふうに問題を設定したときに、そのはざまに置こうというふうに、ぼくはあるときから思うようになったわけです。これは自分の専門性を否定した、あるいは止揚した立場ではないんですね。むしろ専門性をひっかぶりながら、体制側と市民の間において、両方からのプレッシャーのなかに、ちょうど矛盾の吹きだまりみたいなところに自分を置いて、そこからスターとする、そういう方法論なわけです。いまだそうです。ぼくらがやっている原子力資料情報室とか、プルトニウム研究会というのもまさにそういう位置にあって、これは完全に市民の立場とは違うと思うんです。これは専門性をそんな意味で止揚しきれていないんです、非常に専門的な知に依拠していて。だから、この作業は非常にあぶなっかしいところにいるわけですけど、なおかつそのあぶなっかしさというのが、現在、ぼくにとって非常にリアリティーがある」(高木仁三郎,1982, 『わが内なるエコロジー 生きる場での変革』農山漁村文化協会,150-151ページ)。

■twitterの情報を処理する。安田講堂 http://t.co/vMJfQx5M.
東日本大震災後に開かれた原発のシンポの記録。
・HayakawaYukio2011/09/18 11:35:23.....
東大のシンポジウム。今のとこ五分の入りって感じでしょうか。.
・flurry2011/09/18 12:47:50.....
ふおお、唐木英明氏のレジュメ、原子力関連のことばがまったく出てこない…….
・flurry2011/09/18 12:53:27.....
リスクとアセスメントということばで一般化して乗り切るつもりか。すげえ。.
・flurry2011/09/18 12:54:49.....
ほぼ満席でござる。.
・flurry2011/09/18 13:00:33.....
公開を目的にしての録音録画はやめて、だってさ。.
・flurry2011/09/18 13:03:02.....
東大本郷キャンパスでの日本学術会議哲学委員会「原発災害をめぐる科学者の社会的責任」公開シンポジウムに来た。ものすごい盛況。しかし中高年が多い。ハッシュタグはなさそうなので勝手にこれを⇒ #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:05:55.....
野家啓一さん「きょうは人文科学者と物理学者が話をたたかわす。原発というと賛成、反対の不毛な結論に陥りがちだが、共通見解はたどりつけないだろうが、実り豊かな不一致を目指したい」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:10:17.....
野家啓一さん「科学技術のもたらす問題は科学の領域だけでは解決できない。環境問題しかり、インフルエンザしかり。原発災害はその最たるものだろう。人文科学者が何をできるか」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:11:43.....
ところで同級生が受付しててびっくりした。あいかわらずお肌ツルツルでうらやましい。 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:12:50.....
あ、原発事故についての日本学術会議のシンポジウムでございます。.
・flurry2011/09/18 13:13:27.....
oO(@flurry さんは例のシンポに出てらっしゃるのか。どなたか実況してる人はいないのかな? シンポジウム 「原発災害をめぐる科学者の社会的責任――科学と科学を超えるもの」 http://t.co/V4YSGv50.
・hirakawah2011/09/18 13:14:19.....
唐木英明先生「科学・技術のさらなる進展は新しいリスクの出現をもたらす。そこでリスク管理が必要。リスク管理=経産省、厚労省などの政策決定者(リスク評価だけではなく、国民感情など科学的リスク評価以外の要素も含めて決定する)/リスク評価=研究者(科学だけに基づく)」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:18:39.....
oO(シンポに際してうちのK林さんには、釈迦に説法だが、低線量リスクの問題では、科学の話とリスク管理の話を分けるべき、リスク管理は科学的正当性に加えて、根本的には倫理的・法的・政治的「正統性(legitimacy)」の問題だというポイントが大事、という話を先日進言しておいた。).
・hirakawah2011/09/18 13:20:15.....
唐木英明さん「リスク評価とリスク管理は取り違えられやすく、それは問題だ。政策決定者がリスク評価の中でも都合のよい部分だけをつまみ食いして使ったり、失敗した場合に政策決定ではなくリスク評価をした科学者に責めを負わせたり、リスク評価の結果に介入してこようとしたり。」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:22:09.....
唐木英明さん「広島原爆の低線量被爆の追跡調査のグラフ。体の箇所にもよるが、低線量でもがんは増える。浴びた線量とほぼ直線関係で、がんの発症リスクは上がる。100mSv以上では正比例だが、20mSvはグラフの下限のほうで、どうなっているかわからない(放影研)」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:27:11.....
唐木英明さん「20mSvがどれくらいの大きさのリスクなのか、放影研のグラフでは、グラフの下限にへばりついているので、わかりづらい。国立がん研究センターの研究では、たとえば100-200mSvで野菜不足や受動喫煙のリスクと同程度と評価している。」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:30:49.....
唐木英明さん「線量のリスクだけではなく、リスクの総和で判断する。避難、移動は新しいリスクももたらす。ものすごい高線量の場合だけには、線量のみで判断する。だが、福島ではそのような高線量リスクというのは、現場で作業にあたっている方のみにあてはまるだろう」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:36:12.....
これ、iPhoneの電池持たないな…。 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:36:49.....
大阪大学 小林博司さん 話が面白いんだけど早口すぎてタイプできない。 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:37:56.....
週刊金曜日さんからまさかのリプライ! RT @syukan_kinyobi: @cobta 興味深い公開シンポですね。可能な範囲で結構ですので、ご報告(ツイート)くださればうれしい限りです(浩) #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:38:56.....
小林博司さん「今回の原発についての藤原帰一、ジョン・ダワー、日本物理学会、の発言について。そしてワインバーグの『トランス・サイエンス』について。ワインバーグは原子力研究者の師匠だが、科学を超える問題群を説いた『トランス・サイエンス』は物理学者には読まれていない」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:46:09.....
唐木氏が発表で示した構図を直後の小林氏の発表がひっくり返す展開。.
・flurry2011/09/18 13:49:13.....
小林博司さん「班目さんのいう、低確率リスクを切り捨ててきただけ、そうしなくては工学的なものはつくれない、今回は割り切りに失敗しただけ、というのは、その通り。だが、こんなシリアスな問題をもたらす割り切りなら、これまで通り原子力村の専門家だけで決定していていいのか」 #原発災害シンポ.
・cobta2011/09/18 13:49:49.....
おぉー!bravo!!! RT @flurry: 唐木氏が発表で示した構図を直後の小林氏の発表がひっくり返す展開。.
〔問い〕シンポの展開をまとめなさい。                             

■学生との応答
チェック>>期待値を求めるようなやり方では、個人に降りかかる厄災について有効な手立てを講じえません。むしろ絶対、被ってはならない厄災の水準を明確にし、それが起こらないように合意形成をしていけばよい、ということになります。そのさい、個々人の価値観がちがうわけですから、意見の対立も当然生じえます。
○核エネルギーの利用にはリスクが大きすぎるので、段々使うのをやめていくという方向で、しかし一気になくすことはできないということを理解する。そのうえで、他のエネルギーの利用やそれに関する問題点をきちんと説明することが大切だと考える。説明にさいして難しい専門用語を並べた解説ではなく、人々が理解しやすい言葉が必要である。
○核エネルギーは利益ある人と、そうでない人との間に、大きな溝があり、合意形成は簡単ではありません。それをするためには、やはり、核エネルギーの使用を長い年月をかけて停止していくのが、一番の近道なのではないでしょうか。もしくは施設の半径数百キロ(?)にわたって、人を住ませないようにするというくらいしか、合意形成はできないのではないでしょうか。コメント:日本で原発を作れる場所はほんのわずかと言うことになります。
○国内での利用を考えた時、原発での事故発生時のリスクと、現在の施設の老朽化を考慮して、核エネルギーの利用はあきらめられるのではないかと思う。地熱発電や波力・水力発電・太陽光発電を国が推奨する政策をうちだせば、原子力発電には、エネルギー量的には劣ったとしても、代案とすることができるだろう。世論は福島原発事故を経験してから、原発により不信感をいだいている。反対派の意志を尊重し、福島で原発により非難を余儀なくされた人たちの声は合意に大いに生かされるのではないかと思う。
○社会的合意を形成するさい、今日まで最も多く用いられてきた考え方は、最大多数の最大幸福である。しかし今まで核エネルギーの利用について決めてきた人々は、ひと握りの権力をもった存在だったのではないかと思う。そもそも幸福を求める集団の数に入れられていなかった人々が多くいるのではないか。まずは、広く公開された議論の場を設けることが必要だと思う。

〔文献一覧〕
高木仁三郎,1982,『わが内なるエコロジー』農山漁村文化協会。

15.ビデオ:神の数式

★予習:現代物理学の最前線を調べる