科学と哲学
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 清心科学史1もこのページに準拠しています。授業では天文学史・古典力学史を学びます。時代的には科学と宗教が混然一体となっていたモード1以前に当たります。とくに人生と科学の問題に配慮します。
〔履修上の注意〕時間を厳正に守ること。
授業中やむを得ない理由で、中途退席する場合必ず許可を得ること。■急仕立てで作ったため、書誌事項が万全ではありません。改善してゆく所存です。
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1.古代の天文学・天動説 アリストテレスの宇宙像 第二章第一節
[授業目標]神の目的の名のもとでの宇宙観 ★予習:教科書の予習
 

■コペルニクスの思想性は、いぜんとして、中世もしくはルネッサンスの枠内に完全にとどまっていた。
■しかしだからといって、古代の権威への挑戦であったことを忘れてはならぬ。
地動説に至る前史
 古典的な、アリストテレス(BC.384-322)の宇宙観では、自然界のさまざまな変化に秩序の概念を当てはめました。古代ギリシア人は事物が秩序に従って「本性」を満たすべく、生成変化(ピュセイ)することを「自然(ピュシス)」と呼びました。
 アリストテレスは天上界と月下界に根本的な区別を設けていました。月下界は上下への垂直運動を「自然(的な運動)」、つまり「本性」とし、天上界(月を含む)は円運動を「本性」とする、というちがいを想定していました。
■空所を補充せよ→教p.62。
 さて、コペルニクスの太陽中心説が提唱される以前の、古代・中世の伝統における宇宙観、天文体系は何であったか。いうまでもなく、その一つは①        の宇宙観であり、今一つは、②       の天文体系であった。③         の宇宙観と④         の天文体系とを同一視することは必ずしも妥当でない。しかし、その差は、主として技術的な点にあり、プトレマイオスも、基本的な宇宙観としては、ほぼ完全に⑤         のそれを踏襲している。
■アリストテレスは、自然界のさまざまな変化の奥にあって、その変化を支えている内在的存在――それこそ、みずから然(しか)らしむる 源泉、すなわち自然である――に、この内在的な秩序をもった⑥   の概念をあてはめた。
■自然=本性 事物がその「本性」に従って変化運動することが、「自然」なのである。
■自然の中には機械論的必然性はない。目的に向かう「自然な」動きがあるだけ。
■空所を補充せよ→教p.63。
 地上の物質を⑦        の四つの始原物質に分けた。⑧  ⑨  の「自然な」運動は垂直に下方に向かうことである。➉  ⑪  にとって「自然な」運動とは垂直に上方に向かうことである。⑫   にとって「自然な」運動とは宇宙の中心(地球)の周囲をまるく廻ることである。上下への垂直運動を「自然」の「本性」とする地上界の物質と、円運動を「自然」の「本性」とする天上界(月も含めてそれより上の世界)の天体との間には、その「本性」上差があることになる。それは、世俗と神聖という価値的表現で分けてもよいであろう。⑬    ⑭   ということばをあてはめてもよい。
 事物がその「本性」に従って変化運動することが、「自然」なのであり、「本性」を満たそうという「目的因」が重要な意味をもつ。

【発展学習】 東洋のじねんfrom wiki:「じねん」は自然の呉音読みであり、「しぜん」と読んだときとは違った意味を持つようになる。自然(じねん)とは、万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする無因論のこと。仏教の因果論を否定し、仏教から見た外道の思想のひとつである。また外からの影響なしに本来的に持っている性質から一定の状態が生じること(自然法爾)という意味や、「偶然」「たまたま」といった意味も持つ。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶の松本紹圭によれば、昔の日本において自然は「じねん」と読まれており、親鸞は自然を「おのずからしからしむ」と読んで世界を今あるようにあらしめる阿弥陀如来の働きを見いだしたと述べている。https://www.youtube.com/watch?v=vWBQe3ro96Y
 以下九鬼の大学当時のレポート(渡辺正雄先生に提出)より・・・「山川草木を指示するヤマトコトバは日本語には元々ない、と言った。「自然」とはもともと老子に由来する言葉である。「人は地に法り、地は天に法り、道は自然に法る」という表現に現われているように、老子における道とは全ての存在を規定するものである。その道とは詰まるところ、人為を廃することである。そして「じねん」は仏教用語として取り入れられる。それは、ある事物や事態が外部からの影響力によるのではなく、本来、備えている性質によって、一定の状態や特性を生ずることであり、山川草木と無縁と考えられた。
 それに対して「しぜん」はnatureの訳語として、明治期に定着したと言われている。例えば1893年、夏目漱石は「英国詩人の天地山川に対する観念」でnatureに対して自然、天然、天地山川の訳語を当てている。つまり西洋的な対象としてのnatureを媒介にしてはじめて日本に対象としての自然概念が成立したと言えるのではないのだろうか」。
〔資料〕円運動の完全さ,Physica.VIII.265.a
 円周の上の運動は、直線運動のように特定の始発点、中間点、終点のようなきまった要素をもっていない。……円上の点はすべて一様で、可能性の上ではどの点も回転運動の始発点、中間点、終点となり得る。……円運動は、運動はしているが、しかも、全体としては、位置変化をもたらさない。


■円運動とは完全な運動である。
■空所を補充せよ→教p.65。
 月より下の世界(月下界)の運動は、唯一の「自然な」運動としての⑮   運動と、他からの原因によって強制される「強制」運動とから成り立っている。月より上の世界、すなわち天体の世界では、ただ⑯  運動があるのみである。地球を宇宙の不動の中心とし、最外殻には⑰   のための天球があり、さらにすべての天体の運動の原動力を与える天球がある。地球と⑱   の天球との間には、内側から、⑲  、⑳   、㉑   、㉒   、㉓   、㉔   、㉕   の順に、それぞれのための天球が、同心円を描いて設定されている。この天球に各㉖   (月、太陽も含めて)が密着して、天球の回転運動に伴って、各㉗  も回転運動をすることになる。

〔資料〕最外殻の天球を動かすもの・不動の動者,Metapysica.XII.VII.1072a
 だがそれゆえに、さらにこの第一の天界を動かす或るものがある。動かされ、また動かすものは中間にあるものなのだから、動かされないで動かす或るもの〔不動の動者〕があり、これは永遠的なものであって、実体であり、現実態である。それは、あたかも欲求されるものや、思考されるものが、〔欲求する者と思考する者を〕動かすようなしかたで、動かす。すなわち、動かされも〔動きも〕せずに動かすのである。

←click HPの左の犬のような惑星が歩いている画像をクリックしてください。犬の場合、主人は動かずに犬を動かせることができる。このとき、主人は偉いですね。それと同様に、みずから動かずに惑星を回転させることのできる神様は偉いと言えるでしょう。このような偉い存在としての神を、不動の動者と言います。

























★教科書を読んでみよう→教p.65-67。下図参照。
 〔資料〕
アリストテレス著、2013、『天界について』岩波書店、第二巻第12章、291b注(5)=115ページ:この一つめの難題も二つめの難題と同様、惑星の複雑で不規則な運動を中心が同じで自転軸の向きが異なる幾つかの層球の複合的な動きとして説明する同心球理論を前提していると考えられている。「中間に位置する星々」が恒星と太陽・月との中間の惑星のことだとすると、これらすべてについてその動き(層球の数)が太陽と月よりも多くなっているのはエウドクソスの場合(水星・金星・火星・木星・土星はすべて四つ、太陽と月は三つ)で、カリッポスの数値(土星・木星が四つで火星から月までは五つ)にあてはまらない。カリッポスの数値 に(月以外は)逆行天球の数を加えるアリストテレスの案では太陽の層球のほうが土星・木星のそれよりも多くなる。Leggartが言うように、ここでは、他の惑星の観察される動きは「留」や「逆行」を含むが、太陽と月にはそれがないということから、他の惑星の動きは太陽と月よりも複雑だと想定されているのかもしれない。



〔オリエンテーション〕科学者とは何か
■医師集団の場合→科学者とは何か教p.22~
■中世の知的職能集団→科学者とは何か教p.24~
■神との契約→科学者とは何か教p.25~
■オノラリアという習慣→科学者とは何か教p.27~
■空所を補充せよ。
 技術に関する掟として有名なのは(7)の誓いと呼ばれるものである。しばしば(7)は医学の父とも呼ばれる。この行動規範のポイントは、第一に医者は持てる知識の最善をつくすこと、第二に決して危害を加えないことという基本的な倫理観が妥当していた。これは何も医学に限らず、聖俗革命以前の(8)教的倫理に裏打ちされた科学一般について言えることである。というのも科学を含めて職業はすべて神に召命された天職と考えられていた節があるからである。ちなみに医学における(9)という習慣が、ふりさえあれば十分な報酬を持つとされたのは、そうした神学的背景からである。そうした(8)教的背景と無縁の単語(10)が生まれたのは、(11)世紀の半ばになってからである。(10)と綴るとすれば、知識を飯の種にするというニュアンスを持つので、それ以前の知識とは質的違いがある。

■科学者とは哲学者の一部である。

〔課題〕自分にとって「自然」とは何か。考えてみてください。

〔文献〕
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉 その自然観の歴史と構造』新曜社。
村上陽一郎、1994、『科学者とは何か』新潮社。
アリストテレス著、出隆訳、1961、『形而上学』岩波文庫。
アリストテレス著、山本道夫訳、2013、『天界について』岩波書店。
アリストテレス著、出隆・岩崎允胤訳、1968、『自然学』岩波書店。
小坂修平著、ひさうちみちお編、1984、『イラスト西洋哲学史』JICC出版局。

〔問い〕以下の問題に答えよ。


〔発展問題〕次の英文を訳しなさい。[→https://www.merriam-webster.com/dictionary/philosophy]
1a (1): all learning exclusive of technical precepts and practical arts (2): the sciences and liberal arts exclusive of medicine, law, and theology <a doctor of philosophy> (3): the 4-year college course of a major seminary
b (1)archaic: PHYSICAL SCIENCE (2): ETHICS
c: a discipline comprising as its core logic, aesthetics, ethics, metaphysics, and epistemology
2a: pursuit of wisdom
b: a search for a general understanding of values and reality by chiefly speculative rather than observational means
c: an analysis of the grounds of and concepts expressing fundamental beliefs
3a: a system of philosophical concepts
b: a theory underlying or regarding a sphere of activity or thought <the philosophy of war>
4a: the most basic beliefs, concepts, and attitudes of an individual or group
b: calmness of temper and judgment befitting a philosopher  


2.古代の天文学・天動説 プトレマイオスの体系
[授業目的]天動説でも見かけの運動は説明できる ★予習:天動説と地動説の英訳を調べてくること

【問題意識共有メモ】
 宇宙の中心を地球とする天動説が、古代のパラダイム(流布している考え方の枠組み、言わば通念)でした。それに対して、近世になって太陽中心説、つまり地動説が有力となったわけです。よくご存知の通り、地動説の提唱者は、……首をかしげている人がいますね。だれが近代において唱えたのでしょう。
 

■空所を補充せよ。
 天体の運動を考えるさいの、考え方の枠組みのうちの一つとして、てんどうせつ【天動説】があります。辞書を引くと、――宇宙の中心に地球が静止し、その周りを他の天体が回転しているとする説【天動説】とあります。エウドクソス(ca.B.C.408-355)の①    の理論、アポロニオスやヒッパルコス(B.C.190-120)による②     の導入を経て、二世紀にプトレマイオスが数学的理論として体系化したと一般に言われています。それは以後一七世紀まで長く、ギリシア以来の有限な宇宙観やキリスト教神学と結びついて支持されるに至りました。もう一つの枠組みはちどうせつ 【地動説】です。【天動説】とは違って、――地球が太陽の周りを公転している説に他なりません。


■空所を補充せよ。→教p.67
 プトレマイオス(83-168)は、B.C.2c.にアレクサンドリアで活躍した傑出した天文学者であり、その著『③      』は、コペルニクスの時代はもとより、ガリレオのころまで、文字通り、「最大の」天文学書としての名声をほしいままにしていた。もとより『④      』のすべてがプトレマイオスの独創になるものではなく、ある意味では、そのもとの題名の通り、ギリシア天文学の知識の「⑤    的集大成」 に他ならない。


【問題意識共有メモ】
 基本的な宇宙の構造:円運動の複合として、天体の運動を捉える。

〔資料〕『アルマゲスト』より
 「天空が球形をなすこと、それが球の形を保ったままで動くこと、地球はそれ自体の形によって全体として明らかに一個の球体をなすこと、これらの点を一般的に認めなければならない。そしてまた、地球が天空全体の中心であり、中央である場所に位置し、それが恒星の天球の大きさと距離にくらべて、運動や移動をしない一点にすぎないこともまた認めなければならない」と主張する。……「さまざまな現象から見ても、地球が宇宙の中心にあり、重い物体が地球に向かうことが明白である以上、中心に向かう傾向の原因を追求することは余計なことであろう」。

■古代の地動説→アリスタルコス(B.C.4-3c.)・地動説は何も近代の専売特許というわけではない。

〔資料〕プトレマイオスの『アルマゲスト』の解説。[→教科書69-70ページ。]
 「周転円というのは、副次軌道のことで、第一次軌道である最大の円運動(これを導円=deferentと呼ぶ)上の点を中心にした第二次円軌道を考え、導円上を円運動する中心上をさらに円運動する副次軌道上に惑星を配するという仕組みになる。この副次軌道としての周転円上に惑星を配する、という手段も許されていた。エカントというのは、やはり惑星の見かけの運動を説明するために導入された概念で、地球を、惑星の第一次軌道=導円の正中心に置かず、それをわずかにずらせ(離心円)、さらに第三の点としてE点(エカント)をとり、そのエカントから見て、導円の運動が均等になること、つまり角速度が一定となるようにE点を定めた」。
同時に[→教科書70ページ]図も参照しておくこと。
〔課題〕周転円と導円の関係は動画で確認。
天動説モデルhttp://www.youtube.com/watch?v=FHSWVLwbbNw&NR=1

・太陽運動のわずかな不規則性を補正するために採られた周転円は小さかった。
・小さな周転円「副周転円」。
・逆行運動のような大きな不規則性を説明するための周転円「主周転円」。
・周転円・導円に基づく惑星の体系では五つ以上の主周転円を採ることはありえない。なぜなら逆行のような大きな不規則性を示す惑星は五つだけだから。


■アルマゲストの長所
・➀惑星の複雑な動きを円運動に還元・②同心天球論のように地球から諸惑星への距離がつねに等しくなるという欠陥を犯さずとも済む。
→諸天球間には介在するいかなる物体もない。また、諸天球は接触しており、天球間に空虚があるということは自然的に不可能である。恒星天球の凹面とその下の天球の凸面とは宇宙と同心であり、その面は完全に滑らかで、完全に球状でなければならず、両者の間には摩擦はないし、一方が他方を損なうということは決してない。

■数学の真理と事実の真理
 アリストテレスの自然学の枠組みは強固に守られながらも、現象とうまく適合する限りは、天文学理論としては、どのような工夫も許される、しかもその場合に、複雑で面倒な理論よりは、現象をより単純に簡単に説明してくれる理論を採用すべきである、とされた。
→アリストテレスの軽視・大胆な仮説の作用
■ニコール・オレム(ca.1320-82)『アリストテレスの「天体論」注釈』
➀熱心に地球の運動の可能性を主張。
②そうした議論が議論のための議論であって、➀のような議論に対する反撥を期待して書かれた。
→コペルニクス(1473-1543)以前の「地動説」の好例。
■オレムにおける運動の相対性→教p.73
■「天はむだをしない」→教p.74
 ここから、地動説の方がより無駄のない体系のように思われる。しかるにこれは、オレムによれば誤謬であり、信仰から離れて理性の放恣に委ねることがいかに危険かということを示している。
■天文学上の仮説→教p.75
 天文学上の仮説としてすでに14.c.には地動説は必ずしも荒唐無稽のことではなくなっていた。
→ニコラス・クザーヌスが地球運動の可能性を示唆している。
→ボイルバッハ=ミュラーの『アルマゲスト注釈』

〔参考〕杉本太一郎・浜田隆士、1975、『宇宙地球科学』東京大学出版会、11ページ。
なお真空嫌悪〈horror vacui〉ということがあったから、周転円は接すると考えられた。(周転円軌道と軌道の間に、真空ができてはいけないと考えた。そのことを正確に反映した天体図が下図である。)


〔文献〕
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉 その自然観の歴史と構造』新曜社。
トマス・クーン著、常石敬一訳、1989、『コペルニクス革命』講談社学術文庫。
杉本大一郎・浜田隆、1975、『宇宙地球科学』東京大学出版会。

〔問い〕天動説と地動説の訳語は”Geocentric Theory”、”Heliocentric Theory“のどちらでしょうか。

〔発展問題〕次の英文を訳しなさい。[→https://plato.stanford.edu/entries/incommensurability/]
According to Kuhn, scientific revolutions change the structural relations between pre-existing kind terms, breaking the no-overlap principle (2000 [1991], 92–96]. This is to say that theories separated by a revolution cross-classify the same things into mutually exclusive sets of kinds. A kind from one taxonomy is mutually exclusive with another if it cannot simply be introduced into it because the objects to which it refers would be subject to different sets of natural laws. This would result in conflicting expectations about the same objects, loss of logical relations between statements made with those concepts, and ultimately incoherence and miscommunication (Kuhn 2000 [1993], 232, 238). For example, Ptolemy's theory classifies the sun as a planet, where planets orbit the earth, while Copernicus' theory classifies the sun as a star, where planets orbit stars like the sun. A correct statement according to Copernican theory, such as “Planets orbit the sun” is incoherent in Ptolemaic vocabulary (2000 [1991], 94). Moreover, the Copernican claim that the planets orbit the sun could not even have been made without abandoning the Ptolemaic concepts and developing new ones to replace (and not supplement) them.


3.コペルニクスの意義 数学的仮説ではない地動説
[授業目標]地動説は天動説より一概に単純な体系とは言えない ★予習:資料の予習
 
 コペルニクスの体系が持つ科学史的にもつ意義とは、宇宙の中心に太陽を据えたことです。
 「地球こそ、天空に対して固定された不変の軸の周囲に地球に近い諸要素とともに二十四時間かかって回転するものである」(『コメンタリオルス』の要約より)。
 もし地球が宇宙の中心にないとすれば、不動の動者が天上の高みから恒星天を回転させるというアリストテレス的発想は、放棄されます。つまりギリシア以来、中世の自然体系はアリストテレスに従っていたのに対して、新プラトン主義、つまりネオ・プラトニズムの系譜(太陽が宇宙の王座に存する!!)で、コペルニクスは構想したのです。
 上に述べられているごとく、コペルニクスにはピタゴラス学派の一部やプラトニズムの一部、さらには錬金術的呪術思想が認められます。
 フィレンツェ・プラトニズムが云々(うんぬん)されるゆえんです。
■洞窟の比喩に関連して、空所を補充しなさい。[→熊野純彦、2006、『西洋哲学史 古代から中世へ』、88ページ。]下の動画は英語ですが、絵からストーリーはだいたいわかるはずです。http://www.youtube.com/watch?v=d2afuTvUzBQ
 ひとは通常、①   に与えられるものを追いもとめて、真に存在するもの、②    に目ざめることがない。人間は③     に囚われた囚人のようなものである。ただとおり過ぎるものだけを、ほんとうに存在しているものと思いこむ。囚人たちが「真にある」とみとめるのは、ただの「④  」にすぎない(『国家』五一五b-c
ステファヌス版プラトン全集の頁数と段落記号。以下同様。)。……「⑤   の比喩」にあって光そのものに、つまり⑥   に準えられていたものは、「⑦      」である。プラトンは、善のイデアこそがまさにそれ自体で存在し、したがってまた、存在するいっさいのものを超えて存在するものであると考える。「⑧    」(アガトン)こそが「存在者のかなた」(エペケイナ・テース・ウーシアース)(『国家』五○九b)であり、同時にまた「無前提なもの」(アニュポテトン)、そのかぎりで「いっさいの⑨   」(五一一b)なのである。

〔資料〕[教科書86ページ]
 私自身、地球が宇宙の中心に、中心点として不動のまま置かれているという、私見とは反対の固定した判断に長い間満足してきた人びとにとっては、私が地球を運動させようとすることは、実にばかげた行いに映るにちがいない、ということを理解しておりましたために、地球の運動を立証しようと私の書きましたこうした諸論を陽の目に当てるべきなのか、それとも〔同じ見解をもった〕ピタゴラス派の人びとや他の人びとが、その学問的な真理を、親しい友人たちにしか明かそうとしなかった過去の先例にならうべきなのか、ずいぶん迷いました。……私の地球運動理論は、一見奇矯に見えるかも知れませんが、私がその詳しい説明を発表して矛盾の霧を晴らせば、充分満足されて受け容れられるものに思われて来るように存じます。

ラファエロ:画、アテナイの学堂・・・・中央左がプラトン・右がアリストテレス・他にも有名人物がいるよ。

【問題意識共有メモ】
 最初、観察によって地動説は確認されたわけではない。近世当初、新プラトン主義的「思い込み」によって、地動説は信じ込まれていた。
〔課題〕この記述に対して、的確な質問をせよ。この問題、超高度(科学哲学の専門課程級)。ヒント:信仰が世界観を支える、という一般論は正しいとしても、科学理論が信仰によって導かれる、という主張には、ただし書きが必要です。地動説の場合なら、どのようなただし書き、つまり信仰onlyで説明できない部分があるでしょうか。

■空所を補充せよ→教p.76
 コペルニクス(1473-1543)の家系は、シレジアのコペルニキという村の出身で、コペルというのは➉    地方に多く自生、栽培される香料用の植物(一種のウイキョウ)を表わす⑪      語である。ニコラウスはトルニで生まれ、1491年に当時の⑫       随一の学問の中心地であり、イタリアの人文主義たちとも近いサークルを擁するクラコフに送られた。もともとクラコフは、13世紀の優れた光学者であり、天文学者でもあったエラスムス・ウィテロ(1230-)以来、14世紀中葉に立てられた大学を中心に、高い学問的水準を保っていた。  ←サクロボスコ『天球論』・ボイルバッハ『新惑星論』・プトレマイオス『テトラピブロス』・エウクレイデス『幾何学』の講義。
■フィレンツェのプラトン主義者マルシリオ・フィチーノ(1433-99)の編纂したプラトン全集をコペルニクスは丁寧に読んだ。のちの理論転換に大きな役割。アルベルトゥスの著わした、『新惑星論』の注釈書を通じて『アルマゲスト』の議論の多くが数学的なつじつま合わせであること・その批判を知った。
■自然学への興味→教p.77
■空所を補充せよ→教p.78
 こうしてポーランドに1503年に戻ったコペルニクスは、司教であった叔父の秘書を勤めながら、天文学、とくに⑬         体系に代わるべきものがないかと模索し始めた。このような⑭       体系に対する積極的な疑問が何に発するのか、という点は、しばしば問題にされているが、第一にコペルニクスの天文学上の⑮     の蒐集(しゅうしゅう)によって、余儀なく現われてきたことでなかったことは確認されている。第二にイタリア・ヒューマニズムのなかのプラトン主義、とくに⑯      などの影響による「太陽への讃仰」が⑰       体系への不信の一つの積極的影響として挙げられる。
注★プラトニズムの影響を過大に評価することも、真相から離れる。『決定版 回転について』解説では、新プラトン主義の傾向を低く評価している。

→1543年の『回転について』で太陽信仰に言及しているものの、プトレマイオス体系との訣別は1503年から1515年までになされている。
『コメンタリオルス』:比較的簡単なメモ様の箇条書きを中心としたものでコペルニクスの基本的前提を書き記す。
(1)すべての天球やその他諸円に共通な一中心はない。
(2)地球の中心は世界の中心ではない。
(3)太陽は宇宙のほぼ中心に位し、すべての惑星の軌道は、その太陽の周囲を回転する。
(4)天空の観測は、地球自体の運動に起因する現象である。
(5)地球は、いくつかの運動を同時に行っている。
(6)惑星の逆行は、地球の運動に起因するものである。
■教科書の資料『コメンタリオルス』を読むこと→教p.80-81

【問題意識共有メモ】
 太陽中心理論に転換した最大の原因は、諸惑星の運動を、忠実に一様な円運動に還元しよう、という意図に由来。コペルニクスは、一様な円運動というドグマを優先させて、プトレマイオスの地球中心=離心円=周転円という数学的説明・アリストテレスの同心天球論をとらずに、太陽中心=地球回転説をとりあげたのである。これに対して新プラトン主義の影響を受けていないという、重大な異説も存在する。

資料〕「コペルニクスの「回転」が与えた衝撃」 [→R.Hooykaas著、大谷隆昶訳、1983、『OU科学史Ⅰ 宇宙の秩序』創元社、86ページ。]
 彼が自賛するほどの簡潔性は得られていないのである。彼の説明では、諸惑星の軌道の中心に太陽が位置する。しかし、一般的な考察を離れて天文学的な詳細に立ち入るとき、コペルニクスは、地球の軌道の中心(それは太陽とは一致しない)を、諸惑星の運動の中心としなければならなかった。さらに、彼の描いた図は非常に単純に見えるが、実際に省略できたのは、地球の軌道運動のゆえに必要とされたいくつかの円――地球が静止しているとした場合、地球の分までも相手の天体が動くように考えてこれに付加される円――だけにすぎなかった。しかも諸惑星、太陽、月の軌道は実際には…………円ではなくて楕円である。こういう状況から生じる現象を説明するために、コペルニクスは、非常に多数の周転円を持ち込んだだけでなく、周転円の上に周転円を重ねることすらしなければならなかった。そのうえ、彼の体系には、地軸の非常にゆっくりとした諸運動(たとえば歳差運動)があって、このため、さらにいくつかの円が必要となった。その結果、コペルニクスの体系は、エクァントこそ使わずにすんだとはいえ、プトレマイオスの体系とくらべてそれほど簡単なものとはいえなくなってしまった。オットー・ノイゲバウアーにいわせれば、「コペルニクスの太陽中心説がプトレマイオス体系を著しく単純化したという一般的に受けいれられている見解は、明らかに誤っている。座標系の選択いかんは、モデルの構造に何の影響も及ぼさない。コペルニクスのモデル自体、プトレマイオスのそれに必要な数の二倍の円を必要とする」。
■『回転について』(1543)→教p.82
 大気も地球の回転と共に回転・これはアリストテレス自然観の帰結である。
注:カトリック教会が、はじめから弾圧した、という形跡はまったくない。
■空所を補充せよ→教p.84
 この『回転について』の出版には、弟子ヨアヒム(レティクス)(1514-76)とともに、プロテスタントで、ルターとも近いアンドレアス・⑱       (1498-1552)が、編集の責任に当たった。彼は、コペルニクスが1542年に当時のパウロ3世に宛てた献辞を序文として置いたのに対して、自分で匿名の序文を差し挿み、タイトルも改変したと言われる。そのなかで、本文のなかでの議論が、単に⑲     仮説として、天文学上の辻つま合わせを行わんとするものであることを強調している。しかしコペルニクスは実際の宇宙の姿として地動説を信じており、彼自身の序文の論調は⑳     の激しい反撥を招いた。
■教科書の資料『回転について』の序文を読むこと→教p.84


〔補足〕地動説の基本は太陽中心説です。その基本的着想は観察以外のところから借りて来られたものです。けれどもそのことによって図らずも、「天は無駄をしない」という、天動説の前提が斥けられる結果となりました。(♞にゃんにゃん?「天は無駄をしない」という、観察なしにもちこまれた仮説を、前提にしたから天動説はダメッ?ミャァウ。確かに観察をバカにできないけど、〔地動説にとって〕「基本的」な仮説も重要にゃんだ、わ。)

注:コペルニクス自身のつけた表題は『回転論』だったが、校正にあたったオジアンダーか版元が『天球回転論』に変えてしまった。コペルニクスは惑星は天球という透明な殻に固定されていると考えていたから、『天球回転論』でも間違ってはいない。岩波文庫の矢島祐利訳は『天体の回転について』になっているが、天体の回転にするのは無理である。

〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉その自然観の歴史と構造』新曜社。
熊野純彦、2006、『西洋哲学史 古代から中世へ』岩波新書。
R.Hooykaas著、大谷隆昶訳、1983、 「コペルニクスの「回転」が与えた衝撃」『OU科学史Ⅰ 宇宙の秩序』創元社、69-130ページ。
ロバート・ウィストン編、荒俣宏監修・藤井留美訳、2015、『世界科学史大年表』柊風社。


ニコラウス・コペルニクス『天球の回転について』
原題名『回転について』ロバート・ウィストン編、荒俣宏監修・藤井留美訳、2015、『〔ビジュアル版〕世界科学史大年表』柊風社、77ページ。・・・どんなことに気づきましたか。
〔問い〕何月何日の天体図かわかるはずです。ヒントは黄道十二宮です。検索して答えること。

4.コペルニクスの意義 新プラトン主義の影響
[授業目標]コペルニクスに与えた新プラトン主義の太陽崇拝を理解できる
 ★予習:新プラトン主義とは何か

コペルニクスの古さ→教p.86
 天球の概念・斉一的な円運動に天体の運動を還元。
 太陽への讃仰の姿勢が登場(『回転について』第一巻)→ピタゴラス学派やプラトニズム、さらには錬金術的呪術思想などに、そうした讃仰の姿勢が散見。
 フィチーノのごときフィレンツェ・プラトニズムの影響が云々(うんぬん)される。
 太陽讃仰の考え方を強化するために、中世魔術文献(たとえば『ピカトリクス』)における教祖的存在、ヘルメス・トリスメギストスの名を挙げている。ref.「円の魔力」
 
熊野純彦、2006、『西洋哲学史 古代から中世へ』岩波新書、161-162ページ。
 「一者は、太陽がすべてのものを照らすように、万物にあふれ出る(エンネアンデス,四節)。大木のいのちが枝の一本一本にいきわたって、なおひとつのいのちであるように、絶えず水が湧出しながら、ひとつの水源でありつづける、山深く、静謐な泉がそうでありように(第三巻第八章十節参照)、一者は万物であり、万物は一者から生じる(第五巻第二章一節)。プロティノスの世界が「流出emanatio」によって成立するとされる理由がここにある。たましいは、かのもの、つまり一者を目ざすことで、「存在を超越したかなた」にいたらなければならない(第六巻第九章十一節)。たましいは、そのとき「知性的な光に満ちあふれて」、自身が「光そのもの」となる。自己は、「そのときむしろ神である」(同、九節)。ここで説かれているのはやはり「脱我」(エクスタシス)であり、「神秘的一致unio mystica」であることになるだろう。
 存在を超えた一者は存在するはたらきそのものであり、存在のはたらきは自己以外のもののすべてを生みだす産出のはたらきである。一者はひとつのものであり、第一の原因であり、善である。それは、たしかに、ギリシアの思考が生んだ、もっとも美しい直観のひとつであろう。(後略)」


←静謐な泉から水が流れ出るように、一者から世界は流出する、とプロティノスは説く。スメタナの作った曲モルダウのモデルはチェコの川(最初はチョロチョロ湧き出る)である。

■空所を補充せよ→教p.88
 プトレマイオスが地球の運動を否定するに到った諸論拠、①   によって地上の物体が放り出される、②  が常時吹くはずである、真上に投げた物体は③   にずれて落ちるはずである、などの点を論駁する根拠として、『コメンタリオルス』で挙げられていた、地的な物体は地球とともに回転する、という原理を『回転について』で再展開しているのである。投射体や大気が、地球とともに回転するのは、それらが地的な物質であって、地球との間に「④   」があるからにほかならず、同じ「性質」を共有するためである。
←ツィンゼルが指摘するがごとき、コペルニクスの古代への回帰。

■コペルニクスの宇宙体系
➀ プラトン・アリストテレス以来の「斉一的円運動」に関するドグマに忠実たろうとしたこと。
② ネオ・プラトニズムの伝統である、太陽への価値意識を重んじたこと。

【復習】アリストテレス自然観の中心的発想
 月下界の物質を構成する土、水、空気、火の基本原質は、宇宙の中心から、その順序で層をなすのが秩序であって、各基本原質に対して、本来の、自然な場所として、それらの秩序的な階層があてはめられる。月下界における唯一の、強制的外力によらない運動は、こうした自然な場所に戻る運動。

→地球が宇宙の中心にないとすれば、この中心からと中心への二つの運動を、自然の傾向として火と地にあてはめることを放棄するか、それとも、宇宙の中心でではなく、単に、宇宙の局所的な部分としての地球周辺において、それが成り立つとしなければなるまい。
■『回転について』の受容
1543年初版、1000部→1566年バーゼルにて再版。
1551年ラインホルトの暦表(『プロシア暦表』)と呼ばれる。
★レティクス(1514-1576)『回転について』の出版の推進に熱心だったが、その後は啓蒙活動を行わず。
★ディッゲズ(?-1595)1576年にイギリスにおいて部分訳を発表。
 地球運動論に対する積極的な反対は、プロテスタントの間で盛ん。∵コペルニクスがカトリックの司祭・法皇への献辞・聖書によりプロテスタント忠実であろうとした。カトリックの間では、オレムやクザーヌスのような地動説への慣れが見られた。


【問題意識共有メモ】
  コペルニクスの理論はその構成・受容においてさまざまな要素を含んでいた。
〔補足〕以下の解説で間違っている箇所を指摘せよ。[→R.Hooykaas著、大谷隆昶訳、1983、『OU科学史Ⅰ 宇宙の秩序』創元社、93ページ。・訳語訂正・・・難問!!です。大学院レベルなのでできなくても構いません。]
★自然科学
にもとづいたコペルニクス革命は古代、中世に存在していた世界像を近代的なそれへと書き換えた。コペルニクス体系の受容とコペルニクス革命に始まる近代科学思想の浸透は、何世紀にもわたって進行し、唯物論的見地と観念論的見地の間の闘争の一部を形成することになった。この闘争の鋭いやいばは、まずは神学および後期スコラの哲学と教育理論に、そしてついには、後世の観念論的哲学の有神論的立場へとそのきっさきが向けられた。
★宇宙の中心に太陽を置くという仮説は、観測と矛盾するだけでなく、これまで受容されてきた諸観念や、
『聖書』によって神聖なるものとされていた世界の描像にも反するように見えた。しかしこの仮説は、何よりも、地球が特別の地位を占めているという意想に対立するがごとく映じたのである。
★人間からその宇宙的、特権的地位を奪うことによって、コペルニクスは
伝統的な人文主義を侵害した。とはいえ同時に、宇宙的なレベルでそれを再生し、宇宙に正対した人類の統一性・連帯性に殊、重要な地位を与えて、この宇宙を研究し征服すべきものへと、立ち返らせた。

〔課題〕天動説の誤っていると思う理由を述べなさい(この設問、理学部向け(*^。^*)・・・東大の理系「宇宙地球科学」講義の冒頭に出された問い)。

〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新潮社。
熊野純彦、2006、『西洋哲学史 古代から近世へ』岩波書店。
Russell,C.A.他著、渡辺正雄監訳、1983、『OU科学史Ⅰ 宇宙の秩序』創元社。

〔問い〕コペルニクス宇宙体系の、アリストテレス『自然学』に対する重大な背反とは何か。

〔発展問題〕プラトニズムとは何か。プラトンの洞窟の比喩をふまえた上で、コペルニクスがプラトニズムの影響を受けている証拠を教科書から抜き出しなさい。・・・興味のある人は人文主義的伝統との対立についても、調べておきなさい。

  
 
5.ケプラーと新天文学  新プラトン主義の影響  第二章第三節
[授業目標]ケプラーにおける新プラトン主義の神秘主義を押さえる
 ★予習:ケプラーの三法則を調べてくること

■折衷家ティコ・ブラーエ(1546-1601)
 ティコは、コペルニクスの体系による『プロシア暦表』の優位性を信じてもいたが、地球の運動論には躊躇した。ティコの研究の特質は研究成果の菟集(しゅうしゅう)という点にある。
→1572年のティコの新星。完全で無変化であるはずのアリストテレス的自然観への異議申立。
〔課題〕ティコの折衷案について説明せよ。


■ヨハネス・ケプラー(1571-1630)の登場・ティコの弟子。


【問題意識共有メモ】
 プトレマイオスの理論体系とコペルニクス説とによって古代と近代の理論を代表させ、あれかこれかというかたちで、古代と近代との差を言い立てるような考え方は誤り。

※ガリレオの「プトレマイオスとコペルニクスの二大世界体系についての対話」という表現はmisleading.

■教p.103 「ケプラーはしばしば太陽を父に、恒星を子に、そして惑星系を聖霊に見立て、三位一体の原理のアナロジーを与え、また、惑星が六個(水、金、地球、火、木、土星)であることの理由として不思議な数論的根拠を立て、さらに、そうした数値を音楽的に応用して、旋律を作り、それぞれの惑星にあてはめて、音楽的秩序と調和(和声)を「発見」するという発想をとった」。

http://1000ya.isis.ne.jp/0377.html
を参照のこと。→惑星の音楽

■惑星運動の運動論上の中心としての太陽→教p.98
 面積速度一定というケプラーの第二法則が導かれる。近日点と遠日点における惑星と太陽との距離の差と、等しい時間内に惑星と太陽とを結ぶ動径の描く(掃く)扇形の面積との関係を折り合わせる唯一の可能性は、実際の速度が距離に伴って反比例して変化し、その結果、動径によって描かれる扇形の面積が一定となると考えること。
 離心円を考えたとしても、近日点・遠日点から90°離れた軌道上では、円軌道よりかなり内側に火星の位置が落ちるように思われる。→火星の軌道が真円であることへの疑い。

〔資料〕教科書,98-99ページ。
 火星と太陽との距離は、多くの地点で観測されて算定されていた。中心となるべき太陽の位置は、近日点と遠日点の差から考えれば、地球などの場合よりはるかに大きな離心率をもって、真円の中心からはずれなければならないようであった。しかも、そのような離心円では、近日点と遠日点の部分での距離は辻つまが合っても、それらの点から九○度ずれた軌道上の点付近では、どうしても、円軌道上には実際の火星の位置が収まらず、かなりそれよりも内側に落ちるように思われた。
 ではもしかして、火星の軌道は真円ではなく、近日点と遠日点とを結ぶ直径の部分に対して真円を扁平に押しつぶした図形を考えてみることができるのではないか。真円として考えていた場合には、公転周期と円面積とが一致し、したがって、ある扇形の弧を描くのに必要な時間がその弧を弧とする扇形の面積に一致すると考えなければならないために、この方法を実際のデータに適用すると、とくに短径に当たる部分で誤差がでる。それだけの扇形に対して、真円の弧ではなく、それより扁平な内側の曲線を火星が描いているのであれば、実際の速さは、真円で計算する場合より大きくなり、ここで生じる誤差は、ちょうど、データと理論値との誤差に一致する。とすれば、火星の軌道が真円であることは、疑ってよいのではないか。

■ケプラーが円軌道を捨てようとする動機となったのは、単に、火星と太陽との位置群を平面上にプロットしていくと、どうしても離心的な真円軌道にはならない、という観測事実に強制されたものではなかった。→真円軌道を放棄したとき、真円を扁平に圧しつぶした形として誰でも真先に思い浮かべる幾何学的図形として楕円ではなく、卵円形(上掲図参照)を火星の軌道に選んだ。ただし卵円形の求積が困難であった。
→卵円形を二つの非対称な部分に分けると、円により近い部分と、楕円により近い部分が生まれるが、ちょうどその中間に楕円を想定してやると、そこからはみ出した部分とそこに足りない部分とが相互に補綴(ほてつ)し合って、近似的に楕円の面積で満足し得る、と考えられた。
■楕円軌道は、計算を簡略化するための数学的道具として提案された。→妥協策であったのが、実際は楕円軌道と合致→教p.100。


〔資料〕Kepler,J.,Gesammelte Schriften,S.366.
 私は理性の権限を駆使して苦吟したけれども、火星がなぜ式から暗示されるような楕円軌道を描くのか、その理由が判らなかった。……
私は愚かであった。……次の章で、物理の諸原理から導かれた根拠と、観察事実に関する経験、そこにここで行なった推測から導かれた仮設とがみごとに一致した点、すなわち、惑星の軌道の形態が完全な楕円以外にあり得ない、という点を証明しようと思う。
【問題意識共有メモ】
 楕円軌道は観測から導かれたのではない。はじめ数学的な道具として提唱された。

■空所を補充せよ→教p.101。
 従来とはまったく異なった天文学体系、まさしく彼の1609年の著作の題名である「①     」〈Astronomia nova〉が構築されることになった。この段階では、第三法則、つまり惑星の②    の二乗と、③    の三乗の比とが、すべての惑星について同じになるという法則は、まだ到達されておらず、その法則だけは、1619年の『④     』《Harmonic mundi》 にはじめて明らかにされた。
 その背景にあったのは、世界の数的な調和への憧憬。
■ケプラーは、太陽と惑星の間に、一種の神秘的な運動力を考え、それが両者の距離に反比例することを示している。単なる天体の問題に限局されず、運動一般において考えられるためには、フック、ニュートンまで待たなければならなかった。
■ニュートンのattractioという語には、「人間」と「人間」との間に働き合う「魅力」の含意が残っている。

〔課題〕ケプラーは「近代的」だったと思いますか。意見を頂戴したいです。 http://www.christiantoday.co.jp/articles/17890/20151130/kagaku-no-honshitsu-18.htm

〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新潮社。
橋本毅彦、2016、『図説科学史入門』ちくま新書。

〔問い〕月は27.32日の周期で地球の周りを公転する。地球から月までの距離は地球から静止衛星までの距離の約何倍か。静止軌道半径は42,164kmなら月の公転半径は?
ヒント:静止衛星の公転周期は約1日。27.3=3.01^3

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12110587757

6.古代の運動力学 アリストテレス自然学  第四章第一節
[授業目標]自然の本性に従って「変化」する ★予習:フィシスとは何か

■アリストテレス以来の動力学を扱う。
 アリストテレス:物体の速度は、その物体に加えられた力に比例する。V=kF
 ニュートン:物体の加速度は、その物体に加えられた力に比例する。
■空所を補充せよ→教p.143。
 アリストテレスは、世界を二つに分ける。①  の天球より上の世界と下の世界である。便宜的に、天上界と②   と呼んでおくことにしよう。アリストテレスは、自然の③   を認めない。「地球を含む宇宙のあらゆる場所において自然法則は同じものでないのである」。天上界と④   とを峻別し、存在の様態も、起こる現象も、それゆえまた現象を支配する⑤  も、それぞれこの二つの世界において異なる。天上界は⑥   ⑦    は不完全であり、天上界には、⑧  な運動として⑨  運動のみがふさわしい、という発想から、➉    によってようやく打破された「円の魔力」が現われてくる。
 地上の運動は、自然運動と⑪   運動とに二分される。自然運動を考えるためには、物質観が関与しなければならない。⑫    の物質はすべて、「⑬  、 、  、 」の四つの「原質」(elements)から成り立っており、それら四つの原質には「⑭    」場所が定まっている。宇宙の中心、すなわち、地球の核心部から順に、⑮  、 、  、 の順序に従って層を形成することになるはずなのである。それゆえ、「⑯   」運動とは、物質のなかの「原質」が、みずからの「⑰    の」場所に到ろうとする「⑱   」傾向に従って行なわれるものである。⑲  は、最外殻を形成するが、それゆえ⑳  にとっては、その「㉑   の」場所である最外殻に向かって立ち昇るのが、「㉒   」運動である。㉓  にとっては、地球の中心に向かおうとするのが、「㉔    」運動ということになる。

https://www.amazon.co.jp/客観性の刃――-科学思想の歴史-新版-チャールズ・%EF%BC%A3・ギリスピー/dp/4622075849

column
 日本の空気の概念http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1357556403
→空気は、江戸時代の終わり、蘭学者が考え出した訳語です。「砲術語選」(一八四九)に「Lugt リュグト 空気」とあるのが最初の訳とされています。
 『英和対訳袖珍辞書(一八六二)』は、その訳語を受け継いで、英語のairに「空気」の訳をあてました。この訳は、明治になって一般化しました。
 『空気』という単語はもともと日本にはなく、江戸時代の終わりから明治の初めにかけて使われるようになりました。

フィシス(ピュシス)  96歳の(元)美少女占い師。小さい頃にブルーに誘拐され宇宙船シャングリラ内に連れてこられた1000の仮面を持つ(元)少女。タロットは常に「運命」か「死神」しかひかない。
■F=WV
 (Fは運動力,Wは重さ・質量ではない,Vは速度)
→運動体を動かし得る運動力が存在している場合、同じ運動力に対して、同一時間内には、小さく軽い物体は〔それだけ重い物体よりも〕長い距離を通過する。
■V=k/R
 (Vは速度,Rは媒体の密度もしくは抵抗,kは比例定数)
→同じ運動力で同じ重さの物体が動かされていても、その運動体が、空気中にあるか水中にあるかで当然その速度に変化が生じる。そしてこの速度変化は、媒体の密度に反比例するかたちで起こってくる。
■「真空嫌悪」
 「真空」という状態のなかでの物体の運動を考えてみよう。「真空」とは媒体の存在がないということであるからRがゼロであれば当然Vは無限大となろう。つまり「真空」とは、不合理なことが起こることになるので、在りうるはずはない。

〔課題〕アリストテレス運動理論のもつ問題点を二点挙げよ。


 これらの問題点は力が質量と加速度の積である、というニュートンの第二法則によってはじめて解決されうる。(実はニュートンは『プリンキピア』の中でf=mαという定式化を与えているのではない。)第一の問題は外力がゼロの場合、加速度がゼロであるから、等速運動x=v0t、つまり慣性運動が引き起こされることを示す。第二の問題は外力一定のとき、等加速度運動x= v0t +1/2(αt^2)を行うことになる。(v= v0+αt)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129119057

「F=G(m
1×m2)⁄r^2     万有引力の方程式」(超絃理論によって修正が提案されている)

■原動者の働きかけが絶えたあとも運動が続くのはなぜか。
 プラトンの答え:antiperistasis「媒体の密度変化に対する抵抗」。
 例えば空気中の投射体の場合、手から離れた瞬間、手と投斜体との間に一瞬真空に近い状態が生まれる。すると、自然は密度の変化をなくそうとして、周囲の空気が、その部分に突入し、この空気の流れが、投射体をさらに前進せしめる。
  アリストテレスの答え:
 手を離れた投斜体と手との間の媒体が、手が与える運動力を投斜体に伝える。したがって、もし媒体がないと(真空中では)、手からの運動力を投斜体に伝える媒介者がないために、手から離れた瞬間に、(自然運動以外の)運動は終わってしまうということになる。これは不合理であるから、真空は存在しない。
■なぜ加速度が生じるか、アリストテレスはどう説明したか。
 「加速度」は、「土」「水」という原質が、その本来あるべき場所へ戻ろうとする傾向と考えられる。すなわち自分の故郷や我が家(その人のあるべき場所)から離れていた人間が、故郷や我が家に戻ってゆく過程で、しだいに足取りが速くなるのと同様に、物体も(「土」や「水」を多く含んでいるからこそ落下するのであるから)、自分のあるべき場所に近づけば足取りが軽くなる(加速度を生ずる)、という説明もあった。
■ヒッパルコスによる、加速度の説明。
 自然落下する物体は、自然の落下傾向に逆らって強制的にその場所に〔もち上げられて〕あるのだから、そのもち上げたときの力が残留力として残っていて、その残留力が、自然の落下傾向の力に逆らって、速度を減らしている(すなわち上方へともちあげようとする方向に、下降速度を滅する)。この残留力が減ってくると、落下力に対する抵抗が漸減することになるので、それに伴って、下降速度を増やすことになるというのである。つまり、上方に投げ上げたとき、投げ上げた力が残留力となり、落下傾向が残留力に勝って落下が始まったあともなお、落下を引きとめる働きをする、という考え方に由来する。


【問題意識共有メモ】アリストテレス運動論
 宇宙観や物質観の一部として運動の問題も定位するという性格のものであった。

アリストテレス→ガリレオ・デカルト・ニュートン
 アリストテレスの運動論が十分に満足を与えるものではなかったにもかかわらず、さまざまな攻撃に堪えてこられたのは、そうした非常に広大な範囲にわたる哲学=自然学・形而上学の体系全体が、人間のものの考え方の基調として、ヨーロッパ世界の思潮の枠組みを形成してきたからである。
■空気抵抗http://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/mech/houteisiki/kuukiteikou.html
  この程度のことは常識に属するが、理解を促すためサイトから問題を引用する。
「たとえば、地上500mの高さから重力の作用だけで落下してくる物体の、地面に到達するときの速さは、
『自由落下運動を表す式』v^2 = 2 g y* に代入して求めますと、
    v^2 = 2 × 9.8 × 500 = 9800
 ∴  v ≒ 99[m/s] ≒ 360 [km/h]
約時速360キロです」。

*運動エネルギーで考えると終端速度での運動エネルギーは 1/2mv^2
他方、重力ポテンシャルで考えると地上yメートルの高さの位置エネルギーはmgy(mgの力を常に与えてyメートルの仕事をしたのだから力×距離より仕事量が求まる)
 位置エネルギーがすべて運動エネルギーに変わると考えられるから
  1/2mv^2=mgy   ゆえにv^2 = 2 g y」


〔文献一覧〕
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新潮社。

〔問い〕水平θの角をなす斜面上に帆のついたそりをおいて、その動きを調べる。そりの質量をm、斜面に沿って下向きの速度をv、加速度をα、摩擦係数をμ、重力加速度をgとし、また帆にはそりの速度に比例する抵抗kvが逆向きにはたらくとき、そりが等速運動をするときの速度を求めよ(1977年、東大理系物理二次試験、第二問(1)・悪問であると言ってよい)。斜面方向にかかる力F=mg sinθ―mgμcosθ―kv  運動方程式F=mαが基本。 等速運動つまりα=0なら、F=0。

 

7.アリストテレス力学の変容 第四章第二節
[授業目標]中世の運動力学を理解できる
 ★予習:資料の数式に注意

■アリストテレス力学の変容としてのピロポノス。空所を補充せよ→教p.152-153。
 アリストテレスの場合、運動の継続に①   の存在が不可欠であるとした。ピロポノスは大胆にも②   中での運動を認めることから出発した。彼はアリストテレスとちがって、③   中の運動速度を④    とは考えない。⑤    に置かれた物体に、ある運動力が加えられたとき、それは、ある有限な⑥   Tだけかかってはじめて⑦   Dを運動する。そして、ある媒体中の同じ運動体が同じ運動力によって同じ距離を行くためには、真空の場合要する時間Tと媒体の密度もしくは抵抗Rに比例した付加的な時間tとの和、すなわちT+t時間だけかかる、と考える。
 真空中の速度V
0、ある媒体α中の速度をVαとすれば
 V
0=D/T
 V
α=D/(T+t)  (ただしt=kR)
 V
0を考えたのはいっしゅの理想化である。
■ピロポノス(6c.)は媒体を考えなかったにもかかわらず、アリストテレスのように、直接運動力の働きかけが終われば運動も終わるという考えにとどまっていた。
 そこでピロポノスは真空でも作用する「非物体的な運動力」、つまり手を離れた投斜体のなかに、手から、この「非物体的な」(媒質が介在しない)運動力が刻み込まれ、その刻み込まれた運動力が投斜体を内部から推進するために、運動が続けられる、と考えた。
→アヴェロエスの『アリストテレスの自然学注釈』のなかで、イブン・バージャ(アヴェンパーケ。?-1138)の考えが否定的に紹介されている。
 アヴェンパーケ:運動体の速度は運動力と抵抗の差に比例する。
 ピロポノス的な考えはアヴェンパーケやイブン・シーナ(アヴィセンナ980-1036)に受け継がれる。とくにアヴィセンナは、真空中での運動を容認し、投斜体の「非物体的な運動力」は減衰することなく、真空の場合、それは永久に続く、という「慣性運動」に近い着想に言及している。
■運動学の中興。空所を補充せよ→教p.156。
 それは、⑧  世紀初頭に、力学的問題を、数学的な形で定式化することに、新しいやり方で成功した⑨             を中心とする、イギリス、オックスフォードのいわゆる➉      学派と、その影響を受けていると思われる同世紀後半のパリのオッカム主義者たち、例えばニコール・⑪    、ジャン・ビュリダンらの仕事のなかに見受けられるものである(パリ学派)。 ⑫            (1290-1349)は、1328年の『⑬    』《Tractatus de propositionibus》のなかで、速度を、運動力Fと抵抗Rとで表わそうとする試みを展開している。
 抵抗と運動力との比(差ではなく)で速度を与えるとすると、ある速度Vをある抵抗Rとある運動力Fとの比F/Rによって定義する場合、その速度の2倍の速度を与える比は2F/Rとはならない。そうではなく(F/R)^2の時である。
 速度をx倍するとそれはF/Rのx乗と関数関係にある。
 V=log
a(F/R)
 このときlog
a (F/R)^x=xloga (F/R)=xV
 なぜならa^V=F/Rでa^xV=(a^V)^x =(F/R)^x
 この考え方にしたがえば、F=RのときF/R=1でV=log
a(F/R)=loga1=0となり、運動は生じない。つまり速度を関連する二量の比で定式化する方法である。
 ただブラッドウォーディンは、たしかに、運動法則の幾何学的、代数的な取扱いに一時期を画したが、それはあくまで、思索の段階に属し、そうした定式化を、実際に実験にかけて確証しようとする方法論に欠けていたことは認めなければならない。実証的方法論の欠如という意味で、ブラッドウォーディンは中世的であった。
■インペトゥス理論 ref.ピロポノスの「非物体的な運動力」→アヴィセンナの〈mail〉〈qūwat mustatādat〉(「籠められた力」)
先のブラッドウォーディンの定式化にも影響を与えたジャン・ビュリダンを中心とする、いわゆるインペトゥス理論の信奉者たち。
ピロポノス―アヴィセンナからインペトゥス理論への伝承関係は薄いものと思われる。
・ピロポノスのラテン語訳は、13,14c.にはまだ存在しなかった。
・シンプリキウスの『自然学』注釈書のなかにピロボロスへの言及が見られるにとどまる。
・アヴィセンナの著作の場合も、ラテン語訳されたとき、問題の箇所は省略。

 14c.に入って、フランシス・デ・マルキア(1320年代に活躍)が、インペトゥス理論を敷衍した。→「残留力」〈virtus derelict〉という概念を記述。これは、投射体の運動を続けさせる運動力として、原動者から投射体のなかに残された運動力であり、また同時にその運動を支援するために媒体のなかにも残される運動力である。この運動力が単に投射体にのみ考えられているのではなく、媒体に対しても考えられているところは、アリストテレスの媒体推進原因説とも重なる。この「残留力」は、ピロポノスの場合と同様、しだいに減衰すると考えられる。
■ビュリダン派(パリ学派) このデ・マルキアにつらなる線に、パリ大学の総長を勤めたジャン・ビュリダン(1300頃-1358)がいる。彼のインペトゥスは、アヴィセンナの「籠められた力」、デ・マルキアの「残留力」と同じように、投射体のなかに「刻み込まれ」、それが、投射体の運動を続けさせる推進力となるものである。ただし、デ・マルキアの場合と異なり、インペトゥス自体は、抵抗がなければ、永遠に続くものとみなされている。例えば天体の円運動も、神によって、永続的に円運動が続けられることの説明も可能となる。こうして、インペトゥス理論は、「慣性運動」に関しては、運動力が運動を持続させる、というアリストテレスの運動論の根本的テーゼは保持しているにしても、ほぼ、「慣性原理」の先駆的な着想によって説明し、しかも加速度の問題も、同様に説明しようと試みている。
ref.自然落下が始まるとき、その運動は、物体の重さによって起こされる。しかし、その後、いくばくか落下することによって、落下する「いきおい」を獲得する。この「いきおい」は落下に「籠められ」た付加的なインペトゥスとなって、付加的な速度を与える。したがって、その次の落下単位では、最初の速度と「いきおい」によって得られた付加的な速度で落下する。その間にさらに新たな「いきおい」を獲得する。こうした方法で落体の加速度現象が説明されるわけである。

by the way
 人生を加速度現象になぞらえることができるかもしれない。つまり、生きることをつうじて死への「いきおい」を獲得するのだ。いわば人生とは「インペトゥス」が充填されていく運動なのである。

〔資料〕死への疾駆=死へと加速してゆくさま(インペトゥスを獲得してゆくさま)樹村みのり、1978、「見えない秋」『病気の日』主婦の友社より
死が不可逆性を旨とするものであるから、以下の作品(詩)の時制は永遠性=不死を拒否していると言えよう。
 「たとえばあの時のあの子の涙は?/
足を飾った/木もれび…/
地面の/ぬくもり…/
空に向かった/あの子の/想いは?/
そうしたこともみな/
あの子の死とともに/
なくなって/しまうのでしょうか?」同書,167ページ
 この独白は、死へと確実に加速していくさまを描いているのではなかろうか。もしそうなら、死を受け止めることにおいてのみ、「出口」は見出せるだろう。斉藤次郎によって不当にも無視されている、次の〈生の祝祭〉を銘記しておかなくてはならない。
 「だから小さい子/
こわがってはいけません/
おびえてしまってはいけません/
死ぬことは死ぬことにまかせなさい」/同書,178ページ
〔オマケ〕
 毒ありてうすばかげろふ透きとほる・・・山口誓子
 母老いてうすばかげろふさへ怖る・・・平間真木子

 人生にはやり場のない悲しみが漂うことがある。だからこそ、死に向かった生を、しっかり受けとめて生きなくてはならない。いや生きざるをえないのだ。
 前向きに生きるか否かの以前 に、厳然としてある生の事実。
■空所を補充せよ→教p.162。
 さて、14世紀に、⑭     学派において、運動を数学的、幾何学的に定式化することが試みられていたことはすでに述べたが、1335年ころまでには、⑮      の定義や、それに付随して、瞬間速度、平均速度などの定式化も進められた。⑯     は、はっきりと、等時間間隔に等しい⑰   の増加分(減少分)がある場合と定式化され、さらに、均一な速度、減速運動で、一定時間に通過する距離は、その時間間隔の⑱   における瞬間速度で、その時間間隔の間運動し続けたときの通過距離に等しい、という点も明らかにされている。

■「どの部分をとっても、その部分の最小速度と中間速度との比が、中間速度と最大速度との比に一致する」とは、速度変化の比が一定であるとのことではないでしょうか。つまり、速度は、一次関数的に変化するということでしょうか。西中恒和先生のアドヴァイス。

〔文献一覧〕
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新潮社。

〔問い〕左はガリレオが確立した古典力学における時間と速度の関係を示した図形である。横軸が時間、縦軸が速度を示している。
 
AD=BE=V0  AB=T  CE=aT
 の時、台形ACBDの面積にあたる通過距離は、いくらになるか。
























8.ガリレオ・ガリレイ 自然落下 第四章第三節(第四節予習)
[授業目標]ガリレオはどの程度、実証主義的だったのか? ★予習:思考実験とは何か

■ガリレオ(1564-1642)は、その劇的な生涯ゆえに、あたかも真理の殉教者のごときイメージで捉えられることが多い。ガリレオは、文字通り、16-17c世紀最大の天才であり、近代①   の父という名を与えることが決して過大でないことは、以下に示すとおりである。にもかかわらず、ガリレオの生涯は、家柄にも財産にもあまり恵まれなかった一人の天才が、自分の才能を最大限に利用して、富と権力の梯子をはい上がろうとする、一つの典型例を、われわれに見せてくれている。ガリレオは、私たちが、真理の探究者、禁欲的な求道者(ぐどうしゃ)として、ひたすら真理を追究し、その結果、憐れにも真理の圧制者のために、悲劇的な結末を招いた殉教的な人間として思い描く孤高、高潔、有徳の隠者のごとき存在ではない。
 名誉心にも燃え、自分の業績の優先権には執拗であり、業績を現世的に利用する術にも長け、権力者の庇護に神経質な、きわめて人間臭い人物であった。
■何でも構わないAnything goes.をモットーとする立場の思想=アナーキズム
 なぜ科学の営みの中で、ガリレオは勝ち抜いてきたのかと言えば、目的のために方法を選ばなかったから。それ故にガリレオは勝利したのです。〔とファイヤアーベントは解釈する。〕
〔資料〕Einstein,Albert,1951, ed.Schilipp,P.A.,Albert Einstein:Philosopher Scientist,New York,pp.638f.
 「経験の諸事実が〔科学者に〕提供する外的諸状況からみて、科学者は、その概念上の世界の構築に際して、認識論的体系に固執することによって、あまりに制約された立場にとどまることは許されない。それゆえ科学者は、体系的な認識論者には節操を欠いた便宜主義者の一典型だと思われるに相違ないのである……」。

■レオナルド・ダヴィンチと比較してみよう。以下、星野之宣『ボルジア家の毒薬』よりhttps://www.youtube.com/watch?v=04p1XUIY5aI
 ・・・そのようにレオナルドはチェーザレを厭いながらも、彼に加担し自らの才能を戦争に利用していることに悩みます。チェーザレは彼を責めます。
「だがこの国をフランスやトルコから守るためには 多くの血で手を汚さねばならないのだ レオナルド おまえは違うというのか?」
「気高い天使や聖母を描く一方で おまえはあらゆる発明の天才でもある」 連続して発射できる続砲 一度に数十人を殺せる砲弾 巨大な臼砲 石弓 戦車 城塞・・」
 レオナルドもまた自分の手が血で汚れていることを悩むのです。 「おまえの手は汚れていないのか ヴィンチのレオナルド!?」
〔課題〕ガリレオの依頼状に現われている人間像はどのようなものか。

〔資料〕ガリレオ・フィレンツェ招聘の依頼状
 「我、極めて有益で、興趣に富み驚嘆すべき特別の秘物について模造を、あまた作るにすぎしため、損益をこうむり、ここに至れり。と申すも、一つこそあらば、大いなる尊敬に遇しけれ、その売却に与らば、某(なにがし)かの偉大な君主のもとで、幸運に浴したらむ。……ワレハ枢要デ驚嘆スベキモノ具シタリ。しかれども我、君主に仕えるのみ。比して然るべき言説を使はば、君主のみ我をして働かしめん。と申すも、戦に赴き、続行し、さらに築城、防城の為、はたまた王の悦愉の為、ひときは費えをなすのは、ご主君のみ、吾や貴顕紳士にはあらず。……我、軍事にかかわる書物を幾ばくか書く所存なり。これ、単に意想を披歴すのみならず、ごく厳密な規則を そなえし学にも属し、数学に依拠し教示せむこと、ことごとくかかわれり――すなわち、布陣・命令・築城・攻略・妨害除去・視測にわたる諸知識とともに、もろもろの武具を用いた軍事学なり」。

■ガリレオは音楽・美術にも才が秀でていた。とくに美術の才を月のスケッチに関連して述べる。
■自然落下への興味
ピサの斜塔で落体の実験をしたという俗説がある。
〔ガリレオ『新科学対話』での思考実験〕
 金子務、1986、『思考実験とはなにか その役割と構造を探る』講談社ブルーバックス、214ページ以下。
 「仮にV∝W(Vは速度,Wは重さ)、つまり「重いものほど速く落ちる」が正しいとする。すると、遅いのv
1と速いのv2とを結びつけたもの(v1+2)は、速いほうは遅いほうにブレーキを掛けられ、遅いほうは速く落ちようとするものに急き立てられ、たがいに足をひっぱりあう結果として、遅いものとの中間ぐらいの速さで落下するだろう。したがって、
(1)  v
1<v1+2<v2
しかるに、二つの石を結合したのだから、結合したものはそれまでの二つよりも大きな一つの石になったと考えられるから、
(2) W
1+2=W1+W2
 になるはず。これは明らかに
(3) W
1<W2<W1+2
 である。したがってV∝Wならば
(4)  v
1<v2<v1+2
(1)と(4)は明らかに矛盾。故にV∝Wではない」。
■この思考実験の生ぬるさについて言及せよ。金子務、前掲書よりの引用。
 「第一に、二つの石を結びつけたとて、二つは二つ、どうして二つの石が一つのより大きな石とするのか、式(2)がどうして言えるか、反論すべき。例えば科学思想家コイレが言うように、「二頭の馬を手綱で繋いだとて一頭のより大きな馬になるわけではない。二人が手をつないで飛び降りたとて二倍の速さになるわけがない」 と。
 また第二に、媒体がない真空中ならV∝1/Rとアリストテレスが言うことに従えば、落下速度は無限大になる。ガリレオが議論を真空中に設定すること(空気中では麻屑は石よりも抵抗が大きいので、実際、遅くなる)に対して、そうすることは(速度無限より)不合理だからと言って反論できたはず。さしずめ「一包みの麻屑を石にくくりつけたからといって、麻屑は麻屑、石は石。麻屑の抵抗が大きく、V∝1/Rよりゆっくり落ちるなら、結合した方がゆっくり落ちるから、V∝Wではないとは必ずしも言えない」と」。
■すでに、ベネデッティ(1530-90)は、同じ物質でできたものを、複数個糸で結び合わせて一つの塊として落としても、あるいは、それぞれをバラバラにして一団として落としても、速さは変わらないはずだ、ということから、同じ物質にあっては、重さが違っても、等しい時間内に等しい距離を落下する、というテーゼを見つけていたし、また、シモン・ステヴィン(1548-1620)もまた、鉛で作った、一方が他方より10倍の重さのある二つの球を、同時に落とした場合、両者は同時間に地上につく、「斜塔の実験」そのものを試みている。
→裏返せばピサ時代のガリレオに旧来の枠組みを崩壊させる新しい知的試みを探すことは、現象的には難しい。
(第四節、前途瞥見)
■1604年、サルビ宛ての手紙にて
 自然落下の物体に関し、落下距離は落下時間の2乗に等しい。等しい時間内に落下する距離が1,3,5,……という奇数列をなすこと。
 私たちはともすれば、正しく距離と時間の関係を表わしていると理解しがちである。

〔問い〕a1=1,a2=3,a3=5, ……an=2n-1の時、Σak=n^2を証明せよ。
 しかしながら、ガリレオは1604年の段階においての議論は撞着を含んでいる。実は1604年のガリレオは、自然落下の速度は、落下距離に比例すると考えているのである。つまりv=kDが成り立つと考えているのである。ガリレオは自然落下の物体に関し、落下距離は落下時間の2乗に等しいという考えに矛盾するはずなのであるが、ガリレオは、その矛盾に気づいていない。ガリレオの有名な斜面の実験は、この落下速度が落下時間に比例するか、落下距離に比例するかを確認するために試みられたものと解せよう。

https://www.youtube.com/watch?v=owG1QK5de68

『新科学対話』(1638)
斜面の実験:時間の測定には脈拍が使われた。


〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新潮社。
金子務、1986、『思考実験とはなにか その役割と構造を探る』講談社ブルーバックス。
R・ハレ著、小出昭一郎訳、1984、『世界を変えた20の科学実験』産業図書。

〔問い〕インターネットを使って、今日において「科学が必ずしも、理想的に営まれていない」ことに関して自分の意見を述べよ。ref.東京大学多比良事件
科学が理想的に営まれていないことを捉える視角は二つあります。
一、科学の応用が社会的なひずみをもたらしていないか(たとえば公害問題)。
二、科学研究が自律的に行われているか(たとえばデータの捏造)

9.ガリレオ・ガリレイ ガリレオの天体観察
[授業目標]俗に、アリストテレス天文学に実証的反例を示した、と言われるが正しいか ★予習:HPをダウンロードのこと

以下動画17:00まで。
https://sciencechannel.jst.go.jp/C990501/detail/C000501027.html
■ガリレオの伝説。
・それでも地球は動くの伝説。
 「地動説を教皇庁から破棄するように裁判で迫られて、結局、やむなくそれを受け入れたとき、発したとされる言葉」。〈Eppur si muove〉後世の作り話と今では判断される。悲壮というよりは、便宜的な態度ではなかったのか。ガリレオの処世術の一端。
・ピサの斜塔の伝説。・振り子の等時性。
http://washimo-web.jp/Report/Galileo/Mag-Galileo.htm

〔問い〕軽い羽毛と、重い石を落下させると、どちらが早く地上につくか。これはガリレオの落下の法則に矛盾しないか。

図1 落下の法則


























図2 振り子の等時性 ・・・等時性は近似的に成り立つにすぎない。
 https://www.youtube.com/watch?v=L0gCmxMy224


・カトリックの伝統遵守の伝説。
・太陽黒点の発見者という伝説。

【問題意識共有メモ】
 望遠鏡の観察は、天上界と月下界(月より下の世界です)が基本的に同じであることに対して、証拠を与えたのでしょうか。このことには、望遠鏡を通して見た恒星の、見かけの大きさに関する微妙な問題が絡みます。このガリレオ研究のケーススタディに即して、現実の科学の歴史においては、流布している考え方の枠組みが観察を左右したことを確認しておきましょう 。・・・天上界でも同じ法則というのがガリレオの基本的な枠組み。
 
テキスト ボックス: 簡単な見取り図:
天上の世界の秩序は月下界の世界の秩序をはるかに凌駕するというのが旧い見解。ガリレオはそれに反対するために、望遠鏡で天上界も月下界同様の法則が成り立っていることを論じようとしました。つまり月下界が変化に富んでいるのならば、天上界も変化に富んでいると考えました。
 
〔資料〕村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社、170-171ページ。
 「とにかくガリレオにとって、1600年前後の10年間は、きわめて画期的な時期であったことは明らかであろう。1609年に、天体望遠鏡をガリレオ自身が製造し、新しい星の世界が開けたことは、すでにさまざまな分野、領域から攻撃を受けて、崩壊の危機に瀕していたアリストテレス体系に、いわば致命的な決定打を与えることになった。
 ガリレオの『星界の報告』《Sidereus nuncius》(1610年)は、望遠鏡を通じて得られた新しい世界の報告である。月の表面は、アリストテレス以来信じられていたような、完全に滑らかなものからはほど遠く、あたかも地球と同じように、山、海、凹地などが散らばっていること、自分で光っている恒星と、太陽の光を反射している惑星とは、望遠鏡で得られる像に、非常に大きな差が出てくることから、恒星と惑星とは本質的に異なった存在であること、月は地球のヒナ型であり、地球も他の天体から見れば、まったく月のように見えるであろうと思われること、さらに、木星にそれまで一度も報告されることのなかった四個の衛星を発見したことなどが報告された」。
 

〔課題〕以上のことは、どのように反アリストテレス主義に利したか、述べなさい。
新聞の切り抜き も見てね。(^_-)-☆
http://www.astron.pref.gunma.jp/flash/venus2.html

〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新潮社。

〔問い〕ガリレオの論拠はアリストテレス学説を打ち破るほど強固なものだったのでしょうか。
1.思う
2.思わない
3.どちらとも言えない


10.ガリレオ・ガリレイ 月の観察・ガリレオのスケッチは正確か
[授業目標]正確か・不正確か議論は分かれる  ★予習:HPをダウンロードのこと。

注意 望遠鏡が、このことに説得性を与えるためには、天上界についての望遠鏡の報告に信頼性が賦与される必要がありました。実は当時、この点、恒星について正しいことを望遠鏡は教えないのだ、という見方があったこと言っておかねばなりません。

ガリレオ衛星を見る分には、対象が拡大されて見える。
・ガリレオ衛星~イオ・ガニメデ・エウロパ・カルスト



■処世の失策→教p.171-172
 ガリレオは、この段階で、故郷のトスカナ大公国、フィレンツェに良い待遇を得て戻りたいと考えた。木星の衛星にメディチ星と名をつけたのも、その下準備であり、先のガリレオの自薦状もまた、彼が、フィレンツェへ戻るための工作の一つとして書かれたものである。
 ガリレオはフィレンツェへ、トスカナ大公のお抱えの首席の哲学者として凱旋した。『星界の報告』が、トスカナ大公に献呈する形で発表されてから四カ月後のことである。ガリレオは、当時の最大の有力者の庇護を受け、さらに多くの貴族、教会の皇位聖職者のシンパサイザー、パトロンを得るようになっていた。
 しかし、いわば生涯の絶頂期にあったガリレオに、一つの暗影が忍びよった。それは、パドヴァ時代に気づき、フィレンツェに戻って詳細な観測を行なって観測したもう一つの重大な天文学上の発見、つまり太陽黒点をめぐる問題だった。
■太陽黒点の変化→アリストテレス主義に反する。
シャイナーの反論→水星と金星の影による。
実際、太陽黒点の発見じたいはシャイナーの方が先駆。
イエズス会の一部に反ガリレオ感情を醸成。
新聞の切り抜きも見てね。(^_-)-
ピサ誕生(1564)→ピサ大学数学教師→フィレンツェに移住
パドヴァにて結婚生活・パドヴァ大学教授(1592)
『星界の報告』(1610)に前後してフィレンツェに帰る→ローマへ出頭(異端審問:1632)
ローマに軟禁後、シエナに拘束→アルチェトリの別荘
脱線http://wired.jp/2016/06/19/oceano-europa-chimica-vita/
以下引用。

「1990年代後期に撮影された木星の月、エウロパ。PHOTOGRAPH COURTESY OF NASA/JPL-CALTECH/SETI INSTITUTE」

※注意:天上界の変化(というよりは月下界と天上界の同質性、いずれにおいても同じような秩序が保たれていること)を説くガリレオ的自然観が、理論に先行する思考の枠組みに支配されていたことは、綿密な科学史研究によって明らかにされるものです。とくにガリレオ的自然観の問題はもう少し先の授業内容となります。
 以下ファイヤアーベント、1981より。惑星運動の三法則 で有名なケプラーの、弟子ホーキイは1610年に次のように書き記しました。
 ガリレオは実証主義的であったことがしばしば強調されます。これは科学史家ファイヤアーベントの解釈とは違っています。


〔資料〕P・K・ファイヤアーベント著、村上陽一郎,・渡辺博共訳、1981、『方法への挑戦:科学的創造と知のアナーキズム』新曜社、159-161ページ。
 「私は424日と25日には、昼も夜も全く眠らずに、ガリレイの例の器具をこの下界の事物と天上の事物の双方について千にも上る方法でテストした。それは下界においては見事に働く。が天上にあってはわれわれを欺く。ある恒星〔たとえば乙女座のスピカが地上の炎と並んで言及されている〕は二重に見えるからである。私の証人としては大層卓越した人々や高貴な博士たちがいる……」。つまり望遠鏡は正しく天上界について教えないという考え方があったのです。
 「……そしてすべての人々が例の器具〔望遠鏡〕が欺くことを認めた……このことはガリレイを沈黙させた。そして26日の朝大層早くに彼は悲しげに去った……マギーニに素晴らしい夕食の礼をのべることさえせずに……」。ガリレオの論敵マギーニは161026日にケプラーに手紙を書いています。「ガリレイは何事も成就させなかったのです。というのも20人以上の学識ある人々がいて、しかも誰も新しい惑星をはっきりと見なかったのですから。彼はそれら惑星のことを主張し続けることはまずできないでしょう」。
 いかに望遠鏡による天空の最初の観察は、不明瞭で、不確かで、矛盾に満ちていたかが明らかにされています。ファイヤアーベントから再び引けば、「数カ月後(ルフィーニの手で署名された手紙の中で)彼〔ガリレオ〕は繰り返す。「鋭い視力の持主である数人だけがある程度まで納得した」。これらばかりか他の否定的な知らせが四方八方から紙のなだれのように届いた後にケプラーはガリレオに証人を依頼した」。
 「また一方で恒星の見かけの直径が減少したにもかかわらず月、および木星のようないくつかの惑星は拡大された」。

ガリレオ式望遠鏡
■空所を補充せよ。
 そもそも異常な条件下に適用された感覚が①   によって誤るように、望遠鏡の観察は誤りである、と考える余地は当時、十分あったのです。こうした感覚についての見解に関してばかりではなく、②    に、望遠鏡の像の位置づけと倍率のあいだにズレがある、という困難もありました。
 このように望遠鏡の観察に全幅の信頼を置くことはできません。したがってガリレオが月の凹凸をスケッチしているからと言って、当時の人は鵜呑みにしませんでした。少なくとも、凹凸が③    月の様子を反映していないと考えました。このように言うと、その時代はまだ望遠鏡が発達していなかっただけであって、今日から後知恵的に考えれば、ガリレオによる月の凹凸のスケッチの方が、より真理に近いと言いたくなります。しかしながら、事はそう簡単にすみません。ガリレオの描いた月と、現実の月はかなり食い違っています。先取りして言えばガリレオは正当化すべき④  を押し付けて、観察を解釈しようとしたのです。むろん、仮説なしには観察も実験もできないのが、当然だとしても・・。


【問題意識共有メモ】
 ここまで述べたように、望遠鏡には信頼が置けなかったのです。しかも、ガリレオは月観測に限って言えば、月も地上と同じ性格を持つという色眼鏡を通して観測したので、正確でないスケッチしか残しませんでした。つまり、ガリレオは「天上界の物体が地上の物体と類似している」という仮説・理論に基づいて、その仮説・理論に整合的な形で観測行為を行なったことになります。・・・現象の再現性ということが重要だとしても、再現されたことを価値観を共有した共同体の間で承認してもらわなくてはならない。
 









これに対する異論:ホルスト・ブレーデカンプ著、原研二訳、2012、『芸術家 ガリレオ・ガリレイ 月・太陽・手』産業図書株式会社。
 訳者あとがき、558-559ページ。「だれが最初の発見者なのかというレベルの話なら、月の表面を望遠鏡で最初に覗いた人は、ガリレイではない。ハリエットあたりに功ありとすればいい。太陽黒点を最初に覗いた人もガリレイではない。ガリレイがプライオリティをやっきとなって争った相手のシャイナーの方に軍配をあげるのもいいだろう。そもそも黒点自体、大昔から認識されていたという話である。どちらもガリレイに功ありと記録されたのであれば、それはライヴァルをあらゆる手段を弄してガリレイが蹴落としたから……ではない。
 そこでブレーデカンプは問いをたてなおす。最初に見たからといってどうだというのか。むしろ、いっせいに同時代人も宇宙を覗き込んだのであって、にもかかわらずガリレイ(と、その友人たち)以外、月面が滑らかではなく山あり谷ありなのだと、どうして発見できなかったのか。どうして黒点は黒点と分からなかったのか。
 見れば一目瞭然だったはずなのでは? 見たことがガリレイの勝利だったのでは? それゆえ以下(本書)はガリレイだけが見ることに成功した理由の追求である」。
『星界の報告(シデレウス・ヌンキウス)ML版』:ニューヨークの古書店「マータヤン・ラン」の所有していた版。これに載せられた月の図は銅版画ではなく素描である。おそらく、諸事情を突き合わせるとガリレイの手になるものと考えてよい。
 「よくよく観察して初めて認識できる、おそらく最も印象深い転換は、南極上部一帯でのこと、下方鎌形の輝部へと膨張する膨隆部において起こっている。1610年1月7日の書簡の中でガリレイがこの現象を詳細に吟味しているのも、格別に印象深い光の劇場がここで演じられているからである。そこで彼の関心を引いた現象はこうだ。満ちていく月相が示す光と影の境界線は一本道ではなく表面を彷徨い、夜のゾーンに島のように浮かぶ光斑は前哨のように姿を現し、そうしていわば光の花が咲きでるのである。彼の説明は、ほんの略図ふうに残された第2素描に描かれた、右下方にくっきりと見える、光のゾーンへと暗く突き出た膨隆部のことだった。
 ガリレイは、巨大膨隆部の何時間にもわたる観測のあとで突然この山の尖端が光を受けて輝きだす様子を、『星界の報告』において一部言葉で描写している。「しばらくこの膨隆部を観測し、すっかり暗くなるのを見てから、およそ2時間後、ついに膨隆部中央のいくらか下方に一つの峰が煌々と際立ち始めた。それは次第に大きくなりながら、はっきりと三角形の姿をとるのだが、光る平原からはなお切り離されているのだった」。これに付けられた銅版画ではこの不規則な三角形は、下方へと尖端を向けた形で描き込まれている。このトライアングルの右上方には一つのいくらか明るい斑点と左わき少し離れたところに二つのさらに明るい斑点が登場するが、それらは決して偶然に紛れ込んでいるのではない。「そこからすぐにその周りには、さらに三つの小さな峰が輝き始めた」。新しい峰のこれら3和音が陽光を浴びるうち、大きな三角形が拡大する」(182-183ページ)。
 「……ガリレイは1610年頃に月面と太陽黒点を観測しながら、倦むことなく光と影が物体を像とするときの影響について熟慮を重ねていた。そうした幾つもの事例の一つにペン画も数えられるのである。彼が木星計算式と同じ紙面に同じペンで伸長した月面クレーターを三つスケッチしたのも同じ例だ。このスケッチも光と影によってどのように高低差が生じるのかという問題に捧げられている。上方の造形は斜めから鳥瞰する楕円形クレーターを示しているが、真ん中よりの造形は右手の縁だけをクローズアップで見せている。その下方を目で追っていくと、最後はクレーター全体を望む低めのパースペクティヴが、クレーターの細長い形状をしっかりと環状に組み込んでいく」(3ページ)。
・・・ただし、これらの迫真的な素描にもかかわらず、中央下のアルバテギウスが大きすぎ真円すぎるという疑問は残る 。

〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社。
P・A・ファイヤアーベント著、村上陽一郎・渡辺博共訳、1981、『方法への挑戦 : 科学的創造と知のアナーキズム』新曜社。
ホルスト・ブレーデカンプ著、原研二訳、2012、『芸術家 ガリレオ・ガリレイ 月・太陽・手』産業図書株式会社。

〔問い〕ガリレオは事実に対して忠実だったと思いますか。
1.思う
2.思わない
3.どちらとも言えない


〔発展問題〕ガリレオの主張が、理論中立的な観察に基づいていた、という見解を検討せよ。


 

11.ブレヒトの戯曲を題材にしてガリレオ裁判の真相を知る
[授業目的]ブレヒトの戯曲を題材にしてガリレオ裁判の真相を知る ★予習:ガリレオの人となり

 ドイツのマルキストにして戯曲家B・ブレヒト著/千田是也訳、1995、『ガリレイの生涯 』 (ブレヒト戯曲選集; 第3巻)白水社で、ガリレオの科学の営みを見ましょう。 以下配役を割り当ててブレヒトを読むことにします。

★以下の戯曲の配役を決める。配役ごとに戯曲を朗読せよ。
     アンドレア     哲学者     数学者      :ガリレイ〔訳を尊重してガリレイ戯曲部分だけガリレイにします。〕
〔課題〕前回述べた、「観察の理論依存性」と違っています。ガリレオの実証主義的態度、つまり観察の中立性を強調しているのが、いささか古びています。一応ブレヒトの話を、前提として認めたとき、登場人物は各々どのような性格を持っていますか?以下動画17:00より。
https://sciencechannel.jst.go.jp/C990501/detail/C000501027.html
 科学の客観性について                            。
 経験についての考え方                            。
 論争するための資格について                         。
 
【問題意識共有メモ】
 ここでは検証主義者としてのガリレオ像が強調されています。むかしからあるスタンダードな、(前回やったのとは異なる)科学観が現われています。
 
 
〔課題〕第六場のクラヴィウス神父の、立ち居振る舞いは、科学VS宗教という図式を肯定するものか、答えなさい。
 肯定しないように見える                           。
 その根拠                                  。
 科学に対立する宗教か                            。
 
 
※コラム 天動説 カトリック教会が天動説の根拠として引き合いに出したのは、例えば以下のような聖句(新共同訳の聖書より)の文言です。
(1)コヘレトの言葉15節:
「日は昇り、日は沈み、あえぎ戻り、また昇る。」
(2)詩篇1045節:
「主は地をその基の上に据えられた。地は、世々限りなく、揺らぐことがない。」
 
哲学者   ありがとう坊や、すべてのことはそう簡単にいかんのじゃないですかな、ガリレイさん。あなたの有名な筒望遠鏡にとりつく前に、われわれに討論の喜びを与えて下さい。テーマは「かかる遊星は存在しうるか」です。
数学者  形式論的討論の喜びをね。
ガリレイ  ただ筒を除いてさえいただければ納得なさると思っていたのですが。
アンドレア こちらへどうぞ。
数学者 参りますとも--もちろんあなたは、先哲の意見では、地球以外の別の中心をまわる星も、天に支えをもたないような星もありえない、ということはご存知ですね。
ガリレイ ええ。
哲学者 それに、この数学者のお方が(数学者に会釈する)疑義を呈されているそのような星の存在の可能性は抜きにしても、わたしは哲学者として、非常に謙虚に次の質問を呈したい。アリストテレス ディヴィニ ウニヴェルズム……(神のごときアリストテレスの宇宙像は……)
ガリレイ 日常語のまま話を続けませんか、同僚。フェデルツォーニ君はラテン語がわかりませんから。
哲学者 その人がわれわれの話を理解することがそんなに大事ですか?
ガリレイ ええ。
哲学者 失礼ですが、彼はあなたのレンズ研磨工だと思っておりましたが。
アンドレア フェデルツォーニはレンズ磨きで同時に学者です。
哲学者 これはありがとう。坊や。もしフェデルツォーニさんがどうしてもと申されるのなら……
ガリレイ 私がそう申します。
哲学者  私の論証はラテン語でないと光彩を失ってしまうのですがね。でもここはあなたのお家だ--神のごときアリストテレスの宇宙像は、神秘的な音楽を奏でる天空、透明な水晶体の天殻、天体の運行、太陽の軌道の傾斜、衛星表のさまざまな秘密、南半球にある星の豊富さ、天球のあまねく明らかな構造などを完備した、完全なる秩序と美の体系でありまして、この調和を破壊することにはわれわれはためらわざるをえませんな。
ガリレイ でも殿下が、この不可能であり、かつまた不必要な星を、この望遠鏡で確認された場合はどうでしょう。
数学者 存在しえないものを見せるあなたの望遠鏡は、あまり信用できる筒とはいえないはずだと答えたい気になりますが、ちがいますか?
ガリレイ それはどういう意味ですか?
数学者 もしあなたが、ガリレイさん、不変の天空の最高の領域に星座が宙に浮きながら運動しているという仮定を抱くにいたった根拠をおあげ下されば、そのほうがもっと有益なのではありませんか?
哲学者 根拠を挙げて下さい。ガリレイさん、根拠を。
ガリレイ 根拠ですって?ご自分で星をごらんになり、また私の記憶したこともこの現象を示しているのにですか?討論など馬鹿げています。
 
第六場(クラヴィウスの調査委員会のメンバーのひとりである平修道士はガリレイのそばに立ち止まる)
修道士 (そっと)ガリレイさん、クラヴィウス神父は出てゆく前に申されました。いまこそ神学者たちも天の軌道をどうやったら修正できるかわかるようになるだろう!と。あなたはお勝ちになった。(退場)
ガリレイ (彼らをひきとめようとして)勝ったのは私ではない!理性が勝ったのですよ。
 
 
聖書解釈
〔課題〕ガリレオが『聖書』〔の字句〕の解釈に対して取った態度をまとめよ。
 ガリレオにとっての自然                           。
 ガリレオにとっての聖書                           。
 宗教の問題                                 。
 調停                                    。
ガリレオの最もよき弟子であったベネディクト会の神父ベネデット・カステッリ(1578-1643)は反ガリレオ統一戦線の雰囲気をガリレオに伝え警告している。そのことについては以下の〔資料〕参照。
 
〔資料〕村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社、173ページ。
 「聖トマス以来、キリスト教神学とアリストテレス体系との融合を目指してきた一般神学者の反撥が始まった。その中心的存在はルドヴィコ・デル・コロンベ(1565-?)であり〔太陽黒点のことでガリレオと争った〕シャイナー以来ガリレオに恨みのある一部イエズス会士、ドミニコ会士、保守的なアリストテレス学者たちが集まり、政治的な反ガリレオ統一戦線が張られ始めた。ガリレオは、コロンベが「鳩」を意味するところから、「ハト戦線」と仇名したという。・・・ガリレオはカステッリに返書を送り、聖書が、天文学を教えるために書かれたものではないこと、それゆえ字義通りに解釈することは、少なくとも科学的な言及に関するかぎり、不必要であることを主張している」。
 
■空所を補充せよ。
こうした聖書に対するスタンスの違いを、ガリレオ裁判にあって、見逃すことができません。教皇の態度変化が、上で述べた政治的対立に拍車をかけます。教皇①     は、ガリレオの地動説に異を唱えたものの、ベラルミーノ枢機卿が間を取りもったため、ガリレオに対する態度は抑制的であった、と言われています(②    年の禁令)。そしてガリレオによる地動説の放棄の誓約が、第一次裁判の結果として為されます。しかしこの「誓約」に関して、ガリレオの署名はないばかりか、逆に、ガリレオは、自分が何か約束させられたという噂に驚いて、自分は何ごとも誓約しなかった旨の証明書さえ、ベラルミーノ枢機卿からもらうこと(ベラルミーノの署名入り)に成功しています。ともあれ、いずれにしても、ここに一種の政治的な解決の匂いがします。その後、教皇③       が即位(1623)するのですが、この教皇はガリレオに対して高圧的な態度に出ました。間が悪いことにガリレオは、『天文対話』(1632)を公刊し、コペルニクス説を唱えました。そこで教皇ウルバヌス8世は、自分の指示が無視されたと思い、激怒します。そうして決定的な対立(異端審問官文書1632 )に至ります。④    断罪というのが、第二次審問の結末。
■ウルバヌス8世の怒りが激しかった理由。
① 『天文対話』のなかで、教皇の名が汚されているように思われる表現があること。
② 出版許可がローマ教会をいつわるような形と「陰謀」によってとられていること。
③ イタリアにおけるハプスブルク家の「出店」のごときトスカナ大公国を叩く機会をローマ教皇庁は狙っていたこと。(トスカナ大公国・ハプスブルク家vs.ローマ教皇庁・ブルボン家)

 
※コラム ガリレオ裁判 1960年代以降、バチカンでは「ガリレオ裁判」の全面見直しの作業が開始され、その作業は1990年代まで継続しました。その間、ローマ法王によって「ガリレオは無罪であった」との宣言も発せられています(「ガリレオ359年ぶり破門解く 誠実な信仰者と一転、称賛」『朝日新聞』1992年11月2日など)
 
まとめ:
 事を大局的に見ればガリレオは真理の殉教者ではなかった、と言えます。ガリレオ裁判についての実証的な研究が盛んです。けれども従来の、宗教と科学の対立図式で捉えられるべき問題ではなく、たとえば、ガリレオ裁判の真の争点は聖書解釈をめぐる論争であり、裁判を左右したのは、ガリレオを取り巻いていた政治的対立であったのです。ガリレオも、そしてニュートンも含めて、近代科学の創始者たちはすべて、熱心なキリスト教徒だったことを忘れてはなりません。

〔文献一覧〕順不同
B・ブレヒト著、千田是也訳、1995、『ガリレイの生涯 』 (ブレヒト戯曲選集; 第3巻)白水社。
C・A・ラッセル他著、渡辺正雄監訳、1983、『OU科学史Ⅰ、宇宙の秩序』創元社(David C.Goodman,1974,Galileo and the Church,The Conflict Thesis and Cosmology, in:Science and Belief,Block,1,The Open University.)。
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社。

★1600年当時の政治的対立については地図を参照のこと。



〔問い〕ガリレオが刑に処せられたのは何故ですか?
1.科学の立場に立ち宗教に刃向ったから
2.宗教的にカトリック教会と相容れなかったから
3.政治的・党派的な争いに巻き込まれたから


〔発展問題〕ガリレオ裁判についての感想を述べよ。
 

12.ガリレオ・ガリレイによる新力学 第四章第四節
[授業目的]加速度について  ★予習:ガリレオの誤りについて

■空所を補充せよ→教p.183
 『天文対話』は、タイトルからしても、あるいは、その捲き起こした波紋から考えても、地動説をとるか天動説をとるか、という議論がその主題ではあるが、ケプラーの『①     』(1609年)以来、学問的に言えば結着のついているこの問題よりも、そのなかで展開されている運動論にわれわれは惹かれるのである。その運動論は、1638年にオランダの出版社を通じて発表されたもう一つの主著、『②       』《Discorsi e dimonstrazioni mathematiche, intro á due nuove scienze attenenti alla mecanica & i mouvimenti locali》によって完成された。『③       』も『天文対話』と同じ登場人物が四日にわたる討論を展開するが、ガリレオはさらに五日目以降の続篇を考えていたらしい。しかしガリレオは業なかばの④     年に亡くなってしまうのである。
■1604年のサルピ宛ての手紙
 自然落下の物体に関し、(a)落下距離は落下時間の2乗に等しい、(b)等しい時間内に落下する距離が1,3,5,……という奇数列をなす。
■もっとも落体の法則の定式化として、ガリレオよりも早く、レオナルド・ダ・ヴィンチが「重さも形も等しい多くの物体を、等しい時間間隔で次々に落下させると、それら距離の間隔の差は相互に等しくなる」と指摘。
 AB-BC=BC―CO 当時間による速度の差が一定だから、速度は時間の一次関数であるから初速度0のときTまでの速度v=αtと予測される。平均距離OC=1/2αT×Tになるのは時刻T(Tは定数であることに注意)
同様に平均距離BC=3/2αT×Tになるのは時刻2T 平均距離AB=5/2αT×T になるのは時刻3T より
AB-BC= 5/2αT^2―3/2αT^2=αT^2
BC―CO= 3/2αT^2―1/2αT^2=αT^2    constant

ガリレオが、自分の原理(v∝D)の間違いに気が付き始めたのは、以下の手稿 116v を書いた時期と推定される 1609年の初期の頃である 。
注意:D= 1/2αt^2でt∝v(なぜならばv=αt)よりD∝v^2

Fig.GN. v∝D と v^2∝D のどちらが正しいかを決定する実験に関する1609年初期の頃のガリレオの手稿(一部)。テーブルから放物線を描いて落下するボールの軌跡が複数描かれている。Source: Electronic representation of Galilei’s notes on motion, folio 116v (media) Max-Planck-Institut für Wissenschaftsgeschichte


★『近藤洋逸数学史著作集 第五巻』「近代科学の形成とプラトニズム」1994年、333頁。近藤が指摘するように、以下のガリレイ像は適切でない。・・・ガリレオの実証性を過小評価してはならない。物理は数学とちがう。
 「ここでコアレが念頭においているのは、斜面落体の実験、われわれの考えからするならば、ガリレイの落下体論を支える法則、すなわち落下距離が落下時間の2乗に比例するという基本的な法則を発見させた重要な実験である。彼は二丈あまりの角材に真すぐな溝をつくり、その内側につやつやした羊皮紙をはり、その上を固くて丸い真鍮の球を転がす。そしてその傾斜をいろいろ変えながら「この実験を100回はたっぷり繰返したのですが、かような実験において、われわれは常に経過距離が時間の2乗に比例すること」を見つけたとガリレイは述べている。
 ではこの重要な実験をコアレはどのように始末するのであろうか。それは簡単である。ガリレイの斜面の装置はあまりにも粗末だし、その時計は水時計ではないか。そのような粗雑な実験からは「かような〔法則と実験結果との〕厳格な合致は厳格に不可能である」とコアレはいう。かような厳格な合致というのは、一脈搏の十分の一以下の誤差で、上記の落下法則を立証する結果が出たことである。こうした精密な結果は、ガリレイの述べているような粗雑な実験装置から出てくる筈もないから、結局ガリレイの自慢する実験そのものも信用できなくなる。これがコアレの主張であり、また次のようにもかく。――
「そこでガリレイがわれわれに物語る実験も、古典科学の重量を支えることは、全く不可能である」。「ガリレイの設ける実験は、じつに巧妙に考えられている。自由落下のかわりに斜面上の落下をおく考えは、実際天才の手ぎわである。だがその実行はその思想の高さまでは達していないことを、考慮にいれるべきである」。

■距離と時間
ex.ベークマン 落下現象は、地球が落体を引くことによって起こり、さらにその加速度は、各瞬間瞬間に、地球が、今まで引いていた力の上に重ねて同じ力で引き直すために生ずるのだ、という解釈をとったのである。この考え方では、各時間点(瞬間)ごとに、速度が増加している、言いかえれば、速度増加は時間に従って起こる、とみなしていたものと考えてよかろう。
ex.これに対してデカルトは1604年頃のガリレオと同じく、速度を時間の一次関数とは考えず、速度を距離の一次関数と考えている。
 デカルトにとって図のような線分の長さは空間の長さ以外の概念を象徴することは考えられなかった。時間軸などの存在は、デカルトにとって、「おいしさ」軸や「空腹」軸のように思いもつかないものであったかも知れない。この空間軸から時間軸への移し換えこそ、ガリレオにとっては、もっとも重大な一つの転換であったに違いないのである。
■慣性の法則→教p.188~
 AからBまで落ちたとして、さらに斜面が同じ角度でCまで続いていたとすれば、
∠ABO=∠CBO その速度の増加は、AからBまでとまったく同じになるはずであろう。一方もし、Bから同じ角度の上り斜面がDまで達しているとすれば∠ABO=∠DBO、理想状態ではAと同じ高さまで減速しながら上ってゆくであろう。つまりBCなる下り斜面は、さらなる加速の、BDなる上り斜面は、シンメトリカルな減速の、それぞれ原因となるであろう。それでは、Bから先が、斜面ではなくBOなる水平面であったとしたら、加速も減速もしない。減速しないのであるから静止する原因はありえない。とすれば、その水平面を永遠に、同じ速度で運動し続けるはずではないか。ガリレオはこのようにして、重力の方向、すなわち地球の中心に向かう方向に対して直角をなす平面において、永遠の運動が続くと考えた。



  つまり地球と同心球面において「慣性」的運動が成立すると考えた。
〔資料〕『天文対話』
 円運動にあっては、運動体はつねに自然的な端から出発し、つねにその自然的な端に向かって動くのですから、この運動体のなかでは抵抗と傾向とがつねに等しい力をもつのです。この力の等しさから減速でも加速でもないもの、すなわち運動の斉一性が生まれます。この斉一性と限界づけられていることとからたえず回転を繰り返して永遠に継続しうることとなります。
 

■空所を補充せよ→教p.191
 ガリレオの「慣性」運動は⑤       であった。ガリレオにとっては、⑥        だけが、自然の運動のなかで、永続的な斉一運動であった。ガリレオの天体観測の結果は、⑦          以来の「天上界」と「月下界」という二分法を、完全に駆逐した。それゆえ、天体に適用される運動学も、⑧  の物体に適用される運動学も、まったく同一のものであることが暗黙の前提になった。自然の⑨     の要請 が確立された。そして皮肉なことに、あれほど➉        の体系に対して徹底した戦いを挑んだガリレオが、地上の物理空間のなかで(近似的に)実現される「慣性運動」を、天体にも適用することによって、逆に、天体の運動が⑪   である、というプラトン=アリストテレス以来のドグマを、理論的に支援することになった。https://www.youtube.com/watch?v=YQ2ZiTmIYDY
→注:ガリレオはケプラーの第一法則を受け入れなかった。


〔資料〕デカルト『哲学原理』
 同じものが同じ時に場所を変えるとも変えないとも言い得ると述べた如く、同じものが運動するともしないとも言うことができる。いかなるものもそれ自らに関してはつねに同じ状態を保つそれゆえ、一度動かされたものはつねに運動し続ける。
 すべての運動はそれ自らとしては直線的である。従って円運動をするものは、それが描く円の中心から遠ざかる傾向を有する。
 

■等速直線運動→教p.192
➀ガリレイ変換対称性(並進対称性・回転対称性)
②「慣性」が直線運動方向
③運動と静止の間に本質的な区別はないこと
④円運動は接線方向への直線運動と、中心方向への加速度運動との複合

 落体の運動に関して幾何学者デカルトは、ベークマンの示唆をつかみ損ねた。
 慣性運動に関して物理学者ガリレオは、物理空間を離れることができなかった。
注:ここで言う幾何学者は「幾何学的な傾向をもっている人」、物理学者は「物理学的な傾向をもっている人」という程度の意味に過ぎない。しかし、こうした傾向が自然現象の科学的な把握に、大きな影響を与える。


〔資料〕David C.Goodman、大谷隆昶(たかのぶ)訳、「デカルト哲学における神と自然」『OU科学史Ⅰ 宇宙の秩序』創元社、234ページ。
 「この運動物体のもつ直線的傾向に対して、デカルトが与えた明確な理由は、神の不変性ということと並んで、作用の優美さという意味での神の単純性であった。神はひとつの物体中の運動を維持するが、それはかつてそうであったままにしておく、ということではなく、瞬間ごとに絶えずそうするのであった。したがって神は、より単純な直線の方を、それより単純でない円よりも好むのである(同様に彼は『省察』の中で次のように述べている。神は私の一生の間、瞬間ごとに絶えず私を保っていて下さる――神の世界創造は、過去におけるたった一度の行為ではなく、絶えざる維持の過程なのである)」。
 

〔文献一覧〕順不同
C・A・ラッセル他著、渡辺正雄監訳、1983、『OU科学史Ⅰ、宇宙の秩序』創元社。
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社。

近藤洋逸、1994、「近代科学の形成とプラトニズム」『近藤洋逸数学史著作集 第五巻』日本評論社。

〔問い〕最初ガリレオは速度と距離との関係をどう誤解し,どのように正していったか?

〔発展問題〕デカルトは思考により「慣性」運動の法則を導きました。その背景にある思想に言及しなさい。
時間とはデカルトの場合、「その部分が相互に依存せず、またけっして同時に存在しない」ものであり、神のみが時間の連続性を創出しうる。
(『哲学原理』第一部21)
私の生にぞくするすべての時間は、そのどの部分も他の部分にまったく依存しない無数の部分へと分割される。だから、私がすこしまえに存在したことからは、私はいま、存在しなければならないということは、この瞬間に或る原因が、私をもういちど創造する、言い換えると、私を保存することがないかぎりは、帰結しない。
(『省察』三、第三一段落)


13.ニュートン力学の成立 ニュートンに消された男フック 第四章第五節
[授業目的]逆二乗の法則はフックによっても同時発見されていた
 ★予習:円運動の加速度を調べる

■ニュートンの戦うべき相手
光学・万有引力におけるフック(1635-1703)、微分法におけるライプニッツ。
■空所を補充せよ→教p.197《Principia mathematica philosophiae naturalis》
 『プリンキピア』(1687)において、「①     」の定式化を行った。この著書の第一巻(の序章)では、ニュートンの運動の三法則が語られ、いわゆる②    の法則が定立されている。もっとも、有名な運動の第二法則も、f=③ というような表記 はまったく使われず、ことばで表現されていることは注意しなければならない。
https://www.youtube.com/watch?v=NWE_aGqfUDs
第一法則 すべての物体は、それに力が加えられることによって現在の状態を変化させられないかぎりは、静止の状態もしくは④        の状態を保持し続ける。
第二法則 運動状態の変化は、加えられた運動力につねに比例し、その運動力が加えられた⑤   方向に起こる。
第三法則 作用に対してはつねに等しい⑥     がある。言い換えれば、二つの物体間の相互作用は、つねに相等しく、⑦  方向に起こる。


● ジェットエンジンとロケットエンジン
鉄腕アトムはジェットで飛ぶか、ロケットで飛ぶか。
http://tezukaosamu.net/special/atom/
 

■逆二乗の法則→教p.198
『プリンキピア』が書かれたそもそもの動機は、距離の逆二乗に比例する力で、楕円運動をする惑星の」運動が説明できるか、どうか。
 フックは、1666年に重力を磁力にたとえ(この着想は、1600年に著わされたウィリアム・ギルバート(1540-1603)の『磁石論』《De magnete》に見られる)、地球の重力は距離の二乗に反比例して減少する、というアイデアを立て、さらに、惑星が直線方向に向かう運動に対して、その直線方向を太陽の方に向かってたわめ直す力の存在を考えなければならないことを示した(ロイヤル・ソサイエティ報告)。さらにフックは1674年には、すべての天体は自分の作用範囲内の天体を引きつける重力の作用をもっていること・円や楕円運動をするためには慣性の直線運動に対して作用の中心に向けなおすような強制力が働いていること・その強制力は作用の中心から離れれば離れるだけ弱くなること、を発表していた。『プリンキピア』に先立つこと13年前である。
ニュートンに消された男――ロバート・フック
 1679年、フックはニュートンに書簡を送り、1674年の自分の三つの論点について、ニュートン自身の見解を知らせて欲しいと頼んでいる。ニュートンのフックに対する返事は、フックの仮設も知らず、健康上の理由からも、そうした問題について最近はあまり考えたことがない、という無関心な調子で書かれていた。
 1680年、フックはニュートンに引力の働きは、引力中心間の距離の2乗に反比例すると考えるべき、という見解を伝えている。文字として公けにしたという点から見れば、1674年の論文以来の一連の書簡におけるフックの方が早い。
→クリストファー・レン(1632-1723)、ハレイ(1656-1742)等も同じような考えをもっていた。
『プリンキピア』は、ハレイのヒントと尽力がなければ、出版がいつになったか判らない。
→フックはニュートンに対して、逆二乗の法則に関して剽窃の抗議を申し立てた。
∵ 1679年のニュートン宛書簡に対するニュートンの返書では、自分は最近まったくそういう問題に対して関心がないと言っていた。1680年の手紙で、フックははっきりと逆二乗の法則に言及。
→ニュートンは、1666年に、すでに逆二乗の法則の定式化を完成していたと答える。ハレイに伝えたこと。「惑星の公転周期はその軌道の中心からの距離の3/2乗に比例するというケプラーの法則から、私は惑星をその軌道に保っている力は、惑星の回転からの中心からの距離の2乗に反比例しなければならない、と結論した。このできごとは1665年と6年のペストの二年間にあったことである。というのは当時の私は、創造力の絶頂期にあり、後のどの時代よりも一層数学や自然学について思索していたからである」。
 種々の残された証拠によると、この時代のニュートンの考え方は、『プリンキピア』のそれとはちがっている。1679年のフックからの書簡がニュートンの関心を再燃させたことはたしか。問題解決のきっかけには、フック・レンの触発を受けたハレイの問題提起にあったから、フックに対する非難がましいニュートンの発言は、彼に対してアンフェア。

■ケプラーの法則と、逆二乗の法則
 等速円運動で近似し逆二乗の法則を前提するなら、第三法則を導く。やや近似値的に、加速度を求めるなら(微分法を使って)以下のようになるが、
α=v^2/rを覚えてください。

rは軌道半径、aは角速度、αは加速度。ここで円運動で楕円運動を近似する。
x =(rcos⁡at, rsin⁡at)
v =(-arsin⁡at, arcos⁡at)      |v|=ar 速度は角速度×半径
|α|=(-a^2rcos⁡at, -a^2rsin⁡at)  |α|=v^2/r=a^2r つまり加速度は(速度)^2/半径=(角速度)^2×半径
  ところで|f |=f=m|α|がなりたつならf=v^2/r=ma^2r ここで角速度=a=2π/Tだからf=m(4π^2/T^2 )r
万有引力公式よりf=GMm/r^2
よってm(4π^2/T^2) r= GMm/r^2  故にr^3/T^2=GM/(4π^2 )  constant

■ポープの讃歌
Nature and nature’s law lay hid in night, God said: ”Let Newton be!” all was light.
(自然と、其を司る掟こそ、暗夜の裡に隠れ伏しぬれ。神のたまはく「ニュートンあれかし!」然ればことごと啓きけり)

■ブレイクのニュートン批判
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❦微分と数学の補説
・角速度×時間=角度 一周期で考えると360°=2πラジアンだから a×T=2π
故に角速度= a=2π/T 
・三角関数と微分
➀  y=cosθ    dy/dθ=-sinθ
②  y=sinθ    dy/dθ=cosθ


・合成関数の微分
 y=f(g(x)) u=g(x) と置くとdy/dx=dy/du×du/dx


〔文献一覧〕順不同
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社。

〔問い〕ブレイクのニュートン批判とはどのようなものであったか。絵から想像しなさい。


14.ニュートン力学の神学的前提  第四章第六節
[授業目標]対象の大きさのまま、それを把握する神 ★予習:ニュートンの信仰について

 ニュートン[Isaac Newton](1642-1727)イギリスの物理学者・数学者・天文学者。自ら開発した微積分学をもとに力学体系を構築、大著『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』で天体の運動を万有引力の法則によって体系的に説明しました。このほか反射望遠鏡の発明、ニュートン環の発見など光学研究においても業績を残しています。彼の確立した古典力学はアインシュタインの相対性理論まで継承されます(ただし、量子力学との対比においては、アインシュタインも古典的世界観の域にとどまっている、という言い方ができます)












脱線するとこの二大科学者に対する評価として、以下の記事が載ったことがあります。
※コラム 貢献はアインシュタインよりニュートン 英王立協会投票
2005年12月04日
 物理学の巨人2人、ニュートンとアインシュタインのどちらが、科学や人類により貢献したか……そんな投票が英王立協会で行われた。世界物理年の記念行事で、約200年間・英仏海峡を挟む「時空を超えた対決」は、ニュートンに軍配が上がった。 
 英国のニュートンは万有引力や微積分法の発見などで知られ、近代科学の祖ともされる。1687年、物理学の古典的名著「プリンキピア」を出版した。
 世界物理年は、ドイツ出身のアインシュタインが、特殊相対性理論など革命的な論文を相次いで発表した「奇跡の年(1905年)」から100周年を記念し、国連などが定めた。

■空所を補充せよ。
 ニュートンの業績もまた、①     的背景に負ったものでした。つまり帰納主義のように、理論と独立の②   から出発したのではありません。ニュートンはプリンキピアの中で、Hypotheses non fingo 「私は仮説を作らない」と、あたかも帰納主義を標榜しています。しかしニュートンの営みも、後から振り返ってみれば、③      的背景に基づいた自然哲学として理解されるべきなのです。
復習 〈帰納主義帝国〉の崩壊→規約主義へ。
帰納主義の前提。
①観察が知識の確実な基礎となる。
②科学は観察から始まる。
規約主義は20世紀の科学観の転回。今、話題にしているニュートンが規約主義的科学観をもっていたわけではない

※注意:
《Hypotheses non fingo.》を理解するためには、デカルトの渦動説との対決を意識しておかなくてはなりません。〔課題〕デカルトは,宇宙には「エーテル」が満ちていて,それが回転することによって、それに浮かんでいる天体も一緒に動いていると説明しました(渦動理論)。デカルトの渦動理論では、一体どうして宇宙で、最初に運動が生じたと考えられたのでしょう。またデカルトの運動の法則によれば、なぜ直線運動をすると考えられたのでしょう?
   
〔資料〕デカルト『宇宙論』第七章
 「現にあるかぎりでの、また直線運動であるかぎりでのこの世にあるすべての運動の造り主は神のみであるが、物質のさまざまな状態がこの運動を不規則にし、曲線状にするのである、といわねばならない。同様に神学者たちも、現にあるかぎりでの、またなんらかの善を含むかぎりでのすべての行為の造り主は同じく神であるが、しかし私たちの意志のさまざまな状態がその行為を誤らす虞(おそれ)があると教えている」。
   
   
※注意:ニュートンは、デカルトの渦動説に反対し、渦動説について「わたくしは仮説を立てません」(hypotheses non fingo)と言うのです。そもそも『④      の第2巻の執筆動機は、渦動仮説を粉砕することにある、とされており、実際第2巻(「抵抗を及ぼす媒体内での物体の運動)末尾には、「そういうわけで,渦動仮説は諸天文現象とまったく相容れないものであり,諸天体の運動を説明するためによりもむしろ混乱させるために役立つものです 」と書かれています。
   
〔資料〕アイザック・ニュートン著、河辺六男訳、1971、『プリンキピア』中央公論社・世界の名著『ニュートン』、65ページ。Philosophiae naturalis principia mathematica(a1726),ed.
by A.Koyré and I.B.Cohen,Vol.II(Cambridge,Msss,1972),p.46.
(1) 絶対の、真正の、数学的時間は、それ自体として、またその本性から言って、外界の何ものとも無関係に、均等に流れるものであって、別名を持続と言う。相対的、仮現的、通俗的時間は、運動によって、持続に対して、何らかの感知しうる外界の測度を与えるものであり、通常は、真正の時間の代わりに用いられる。例えば一時間、一日、一年などがそれである。
(2) 絶対的な空間(スパテイウム・アブソルトウム)は、その本性として、どのような外的事物とも関係なく、常に同じ形状を保ち、不動不変のままのものである。相対的な空間は、この絶対空間の測度、すなわち絶対空間のどのようにでも動かしうる広がりで、われわれの感覚によってそれの物体に対する位置より決定されるものであり、人々によって不動の空間のかわりにとられているところである。例えば、地下の空間、大気の空間、あるいは天体の空間などが、地球に対してその位置によって定位される次元を言う。
   
 絶対時間や絶対空間は、ニュートン自身、外界にかかわりなく(感覚で捉えられたものは相対的だから――ニュートンはそうは考えなかった。ニュートンのバケツ)感覚にもかからない、と断言するのであるから、明らかに、現象から導き出された概念ではない。それゆえ、これらはまさしくニュートンの定義による「仮設」にほかならないのである。
 この絶対空間概念は、『光学』の疑問において、「彼〔神〕は無限の空間において、あたかも彼の感覚中枢(Sensory;Sensorium)におけるように、事物そのものを奥底まで見、それをすっかり知覚し、事物が彼自身に直接臨在するためにそれらを完全に理解するような存在である」(田中一郎訳、1981、「光学」『科学の名著 6 ニュートン』朝日出版社、二三○ページ)と説明している。Optice(1706),Q.20,p.315;Opticks(1718),Q.28,p.345;Opticks(1952)(n.75)p.370.

 デカルトにおいては、延長は物体の属性だったが、ニュートンにおいては、延長は空間の属性と見なされる。
 神は全知全能であるが故に、物体の大きさをそのままの大きさでとらえなくてはならない。つまり、物体をとらえる神と対象である物体の間に距離があってはいけない。これが物体を入れる容れもの=空間そのものが神の感覚中枢であるということの意味である。ref.万有引力


注:絶対空間を打ち破る端緒になったのは、マッハのバケツの考察と言われるが、実際には相対性理論が流布して、絶対空間の厳密な否定が確立されたのはきわめて近時に属する。https://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/18199504.html
また超大統一理論にむけて、超弦理論の可能性が模索されている。

【問題意識共有メモ】神の遍在[→教科書211ページ]
 「ただ、ニュートンにとって、自然の創造主としての神の最も重要な特性は「遍在性」「あまねく存在していること」であった。このことは、神が自然につねに、どこでも働きかけていることを意味している。ニュートンは、自然の働きはすべて(万有引力も含めて)神の働きであると考えていた。その意味で、近・現代の機械論とは一線を画すところがあることを無視できない」。

【問題意識共有メモ】
ニュートンにとっての、自然の造物主としての神の最も重要な特性は「あまねく存在していること」でした。つまりそれは(万有引力のように)、つねに、自然のどこへでも働きかけていることを意味しています。ニュートンにあって、自然の働きがすべて神の働きと考えていた点で、デカルトと似ています。したがって、デカルトvsニュートンの対立は、同じ神学的立場の上で行われた、コップの中での戦争だった、と言えるでしょう。

〔文献一覧〕
村上陽一郎、2002、『西欧近代科学〈新版〉』新曜社。
佐々木力、1992、『近代学問理念の誕生』岩波書店。

〔問い〕ニュートンのイメージを述べてください。

   

15.科学とキリスト教・まとめ(「モード1以前」の科学)
[授業目標]科学のキリスト教からの分離
 ★予習:教科書の予習

〔問い〕モード1以前の科学はどうだったのか?答え:科学は哲学・宗教と一体だった。
 モード1の科学が成立する以前、① なる「知」という発想が科学の根幹にありました。すなわち自然についての「知」が、神の②   、神の計画についての「知」に連なることは、自明であったのです。例えば花の構造を見てください。その花弁の微(び)細で巧妙に作られた構造には、神の③   の素晴らしい意図が見出せる、とされていました。またそれ故にこそ、科学を研究することは、世界をつくられた神様の意図を知る業でもあったのです。
 科学と宗教が分離した純粋科学の形態モード1を経て、モード2の知識生産における問題設定は専門分野の④    ではなく、社会的応用の文脈に即して進められるようになりました。そのため研究成果は、社会的問題解決とそのスピードによって評価されます。
 こうしたモード2の成立の背景としては、⑤    年代以降、アカウンタビリティ要求に呼応したものです。アカウンタビリティとは⑥   責任のことで一、投入すべき/投入した社会的資源が社会的問題の解決に役立つかを問う⑦   なものと二、研究活動やその成果が社会に及ぼす影響や研究活動内容を、社会に知らせて理解を求める⑧   なものとの二種類が考えられます。こうしたアカウンタビリティの増大に伴って、科学とコミュニケーションが結びつくようになりました。

■医師集団の場合→教p.22~
■中世の知的職能集団→教p.24~
■神との契約→教p.25~
■オノラリアという習慣→教p.27~
■Scientist→教p.37
physician内科医>dentist歯医者
musician音楽家>pianistピアニスト
-istがつく人の職業はより専門的な場合を指すのが普通。

 scientistは万学の知であるscientiaをちまちまと専門的に行う人という、変なニュアンスをもってしまう。しかもそれ以前のphilosipherは「知を愛しているからこそそれを追求する人」という語感があった。しかるに研究を飯の種にするかのような印象を与える。
※注意 昔の科学者は実は神様を奉じる哲学者と言えます。ガリレオも、地動説を唱えたコペルニクスも、科学者のチャンピオンのように思われているニュートンも科学者ではなかったのです。そもそもScientistという言葉は、ニュートンの時代には存在しませんでしたし、あったとしてもその造語法からしてニュートンはScientistと呼ばれるべきではなかったのです。
■空所を補充せよ。
 技術に関する掟として有名なのは(7)の誓いと呼ばれるものである。しばしば(7)は医学の父とも呼ばれる。この行動規範のポイントは、第一に医者は持てる知識の最善をつくすこと、第二に決して危害を加えないことという基本的な倫理観が妥当していた。これは何も医学に限らず、聖俗革命以前の(8)教的倫理に裏打ちされた科学一般について言えることである。というのも科学を含めて職業はすべて神に召命された天職と考えられていた節があるからである。ちなみに医学における(9)という習慣が、ふりさえあれば十分な報酬を持つとされたのは、そうした神学的背景からである。そうした(8)教的背景と無縁の単語(10)が生まれたのは、(11)世紀の半ばになってからである。(10)と綴るとすれば、知識を飯の種にするというニュアンスを持つので、それ以前の知識とは質的ちがいがある。

■科学者とは哲学者の一部である。
〔問い〕空所を補充せよ。
 世俗的知識が科学の中心となる前、聖なる「知」が知識の中核を占めていました。そうした聖なる「知」では、自然についての「知」が、⑨  の御業、➉  の計画についての「知」に連なるという前提は、自明のことでした。昔の科学者は実のところ、哲学者でした。今日、科学者と哲学者の区別が明確なのと同じように、両者を区別することはできません。あのニュートンといえども、⑪     とは言えませんでした。
 三期に分けられた科学の歴史は、(ニュートンが属す、)科学と宗教が渾然一体化した⑫     の状態から始まります。そして19世紀の半ばから成立した⑬       の科学(モード1)、そして20世紀末から21世紀の科学によって特徴付けられる⑭        の科学(モード2) に分けられます。


【問題意識共有メモ】
 前科学期に浸透している規範と言えば、キリスト教的倫理でした。ガリレオもデカルトもニュートンもみんな敬虔なキリスト教徒です。科学においてキリスト教が敵視されるのは、―村上陽一郎氏の命名に拠れば―18世紀の聖俗革命以後です。そして18世紀から19世紀半ばまでの過程を経て、プロトタイプ期の科学が登場するのです。

 例えば花の構造を見てみてください。その花弁の微細で巧妙に作られた構造には、素晴らしい神の創造の意図が見出せる、と了解できます。それ故にこそ、かつては科学を研究するということが、世界をつくった神様の意図を知ることでもあったのです。


〔問い〕空所を補充せよ。
 前科学期から⑮        期へと科学は変化することによって知識は世俗化しました。元来あった知識の形態では、それ自体として⑯    的価値のために知識を愛する必要がありました。本来、科学はキリスト教的真理を探究するものでした。ガリレオ・コペルニクスの時代は言うまでもなく、ニュートンの時代においてさえ、彼らの知的活動の本質は、まさにそのような神学的立場からなされてきました。しかしながらここで発生した前科学期後の科学の形態では、もはやそうした宗教的な目的を帯びなくなり、飯の種のために科学は研究されるべきであると変わります。つまり、フランス語の好んでするamareから生じた愛好家(アマチュア)から、「プロ」が科学研究を飯の種にする、というニュアンスが生まれました。

■さてこの思想的断絶、神の死を最終的に明確なかたちで宣告したのはニーチェです。

〔資料〕フリードリッヒ・ニーチェ,1988, Nachgelassene Fragmente, 1885-1887, Werke, De Gruyter, S.125f.
 「キリスト教の没落、キリスト教から解き離すことができないその道徳における没落、キリスト教の道徳がキリスト教の神に反抗する。すなわちその真実性の感覚がキリスト教によって高度に発達して、すべてのキリスト教的世界解釈と歴史解釈の虚偽や欺瞞に対して吐き気を催す」。

〔復習若しくは、以前に述べたことの若干の修正〕この聖俗革命の結果、真理や知識は俗世間のものになりました。もちろん哲学者たちは、キリスト教徒なのですが、世俗化という一点から見れば、ベイコンにその先駆けを見ることが出来ます。
「ところで、諸学の発見のために私が採る方法は、知力の鋭さと強さに頼ることは少なく、知力の知性の優劣の差をほとんど無にしてしまうものである」(1620、『ノヴム・オルガヌム』Vol.Ⅰ.§61)。つまり科学観の世俗化へのシフトは「常識」Common scienceを科学に取り込むことで準備されました。


〔資料〕村上陽一郎、1976、『近代科学と聖俗革命』新曜社、15ページ。
「知識の担い手が、神から特に愛でられた人びとに限られるのではなく、原理的にすべての人間にその可能性を許されるということは、知識が「常識」〈common science〉であることを意味する」。

※注意 聖から俗への、第一の段階は「神の恩寵に照らされた人間だけが知識を担い得る、という原理から、すべての人間が等しく知識を担い得る、という原理への転換である」。第二の段階は「知識の位置づけのための文脈の転換であった。神-自然-人間という文脈から自然-人間という文脈への変化がそれである」(村上陽一郎、同書)。これが村上陽一郎が聖俗革命と呼ぶものの内実です。
■「近代科学者」とキリスト教→教p.291-292
 「その疑問の一つは、「科学革命」を担った「科学者」たちが一様にキリスト教的な世界観をもっていたこと、いやむしろ、彼らの知的活動が、例外なく本来キリスト教の内部に限局されたものであったことと、現代の「科学」がおよそ宗教的な言説とは無縁であることと(どころか、もう一昔前の常識に従えば、「科学」と「宗教」あるいは「キリスト教」とは、お互いに激しく排除し合うものとさえ考えられてきたこと)との極端な相違を、どのように解釈すべきなのだろうか。言い換えれば、キリスト教との関係という観点からすれば、「科学革命」以前と「科学革命」以降に誕生した「近代科学」との間に見られる強大な「連続性」を、どのように考えるか、という問題であった。もう一つ付け加えれば、それは、「近代科学者」と現代の「科学者」とのあいだに見られる、キリスト教をめぐる強大な「不連続性」を、どのように説明するか、という問題でもあった。
 筆者は、すでにこの問題に関しては、旧版執筆中に感じており、同じ書肆で、本書旧版の姉妹篇の形で出版された『近代科学と聖俗革命』によって、少なくとも部分的には答えたつもりであった。しかし、この回答の意味は、実はその著作のなかで筆者が意図したよりも、はるかに重大なものであったというのが、その後の歴史へのアプローチを重ねてきた筆者の現在の立場である。
 もし「科学革命」によって「近代科学」が生まれたのであるとすれば、その「近代科学」と今日われわれが「科学」として知っている知的活動とは、本質的に異なるのではないか。言い換えれば、近代科学者として認められてきたケプラーからニュートンにいたる人びとを、われわれが現在「科学者」という言葉で表現する人びととは本質的に異なっていると見なければならないのではないか。少なくともキリスト教との関係に関する限り、筆者の主張する「聖俗革命」を経ない限り、現在の「科学」も「科学者」も生まれてこないと言わなければならないのではないか。その点を認めてはじめて、常識的な意味での「近代科学」と、現在の「科学」との間に見られる、キリスト教をめぐる本質的な相違は解決される。この点で「近代科学」と現代の「科学」との連続性を素直に認めてしまっている旧版の立場は、現在の筆者のそれと異なっている」。


〔勉強のすすめ〕http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_51ee.html
2008年3月27日 (木)「聖俗革命の超克」よりの引用
〔問い〕以上の記述が含んでいる論理的陥穽を指摘せよ。
〔答え〕ブログ記事は、俗聖革命を謳っているが、そうした革命が容易に行われうるか、疑わしいところである。というのも、科学には観察による裏付け(ただし、それが後知恵によるこじつけである場合も少なくない)が必要なのであって、建前上はそうした裏付けが、他人によっても確かめられることで、はじめて科学的真理とされるからである。

〔問題〕西洋自然科学はキリスト教と、本来どのような関係にあったか(教科書を参考にしてまとめなさい)。

〔文献一覧〕順不同
Gibbons, Michael、小林 信一訳、1997、『現代社会と知の創造―モード論とは何か』 丸善。
村上陽一郎、1976、『近代科学と聖俗革命』新曜社。
Nietzsche,Friedrich,1988, Nachgelassene Fragmente, 1885-1887, Werke, De Gruyter.
村上陽一郎、1976、『近代科学と聖俗革命』新曜社。