出前講義の記録
2009/6/24 |
藤井学園寒川高校 |
13:45〜14:35の間、インターネットを使いながら、講義しました。正味45分の話で、あとの10分間は筆記にとりかかってもらいました。生徒たちの、元気よく迎えて下さった、声が耳に残っています。
以下:補足及び総括。
・資料の修正
1.宮澤賢治の家が信仰していたのは、浄土真宗。それに対して、賢治が国柱会(日蓮宗の一派)に参加したため、法華経の経典が引用されています。
2.生態に価値を認めることを、いろいろ言い換えていたのですが、生態系共存主義とこれから呼ぶことにします。
3.生態系共存主義と対峙する考えを<生態系から人間にとって有用な部分を取り出し、自然と調和する限りで、活用していけばよい>考えとして、まとめておきましょう。これは人間中心主義(人間が自然界の中で一番偉いんだぞ)という考えの変形です。
4.レトリック:高校生のみなさんにはなじみの薄いことばですね。あまり気にして下さらなくて結構です。
5.業:これも理解しにくいことばです。前世の報いとして背負っている罪のようなことをイメージして下さい。どうしても自然界の食物連鎖に入り込まざるを得ないことへの後ろめたさのようなものです。
・総括:想像の上で食物連鎖の罪を解決しようとした「よだかの星」⇔食物連鎖を含めた環境破壊への罪を現実において解決する必要性
この解決方法の軸に対応する形で、後者のためにはどのような具体的な処方箋があるか(もちろん「業」について的確な認識を持った上で)論じることが、課題として与えた対話に答えるためには必要でしょう。
講評
・対話編は大方、出前講義テキストをなぞったものが多かったです。「よだかの星」という作品が想像上の解決であるにせよ、その解決が私たちの心に迫ってくることを強調した解答は見あたりませんでした。そこのところが残念。^^;
・その中で二編、比較的よく出来た解答がありました。訂正すべきところは打ち消し線で書き直してあります。後、こんなことも考えられるというヒントを〔〕に括って挿入しておきます(誤字は断りなく訂正してあります)。
[解答例1]Y.O.君の解答
人間:よだかは他の生物を殺さなければ生きていけないのに絶望して星になったんですよね?
よだか:食物連鎖ってよく考えたら逆も残酷だと思うんです。世の中には主に誰かに食べられる為に(べく)生まれてきたような生物も存在するわけでしょう?立場的には(生存競争においては)。〔どんな生物も、生物学的事実以外に、食べられることを運命付けている事柄はありません。ただしそのことを罪と捉えることが出来るのは観念をもつ人間、もしくはこの対話ではよだかということになりましょう。〕
人間:そうですね。殆ど自分達の行いを言われているみたいで逆も耳の痛い話ですね。確かに私達人間は「家畜」など、(食用に他の動物を供するばかりか、その目的の)自分達が殺して捕食する為に、他の生物の遺伝子をも勝手に自分達の都合の良いようにコントロールして生み出して(い)ますから。そしてそれを平然と食べる。そこに「人間が他の生物を支配している」という自負にも似た感情(虚傲)が無意識に存在(露呈)しているのでしょうね・・・。〔生態系のバランスという観点も織り込んだほうがよいでしょう。〕
よだか:人類が増え過ぎた為に様々な生物の営みを犠牲にしていても、なお飢えて死んでしまう人が沢山いますね。〔ここで述べられているのはすこぶる政治的な話です。次元の異なる話を挿入するのは、いささか話の緊張度を弱めています。〕あなた達人間は自分達の存在をどう思っているのでしょうか。
人間:なるほど。確かに食料が有り余ってると(生物連鎖の言わば頂点にいると)他の生物を殺して自分達が生きているって当然である(ことに感謝す)べき実感(思い)すら薄れてくるものですね。私達人間は近年他の生物に対して感謝することを忘れかけている傾向にありますね。食料が乏しくなれば、そもそも自分達がいつも殺している生物がいないとどうしても生きて行くことが出来ないのだから、他の生物に対して(する)感謝の思いが甦り(の念に思い至り)、そこで初めて自分達が感謝すべき他の生物に対して何をしてきたかが分かるのではないでしょうか?
よだか:その通りかもしれません。而し人間には「何かあるとすぐ、他のもののせいにしたがる」という悪い癖があります。少し酷な言い方かもしれませんが、あなた達人間が自然界に生きる生命を今なお蹂躙し続けているのは、その傲慢さによるものではないですか?〔ここで言われている「他のもの」とは何でしょう。例えば人間にはどうにも消去することのできない「食欲」のことでも、思い浮かべればよいのでしょうか。ですが、もしそうなら、然るべき理由もあることになり、傲慢に直接つながるものではありません。〕
人間:残念ながらその通りです。でも(確かに)他の生物との共存を夢見ている人や、それの実現の為に努力している人もいます。(しかし)結局私達人間は自然界において他の生物の輝き(存在)(存在の価値)を奪って(絶滅させて)(絶滅の危険にすら晒して)自分達がより輝こうとしている言わば自己中心的な生物に違いありません。〔自己中心性を言うのはよいのですけれど、ミクロレベルでは利他的な存在でもありうるはずです。自己中心性とは地球系の自然史を貫く人類の有り様であることを、しっかり押さえておいて下さい。〕だからよだかみたいに自らの存在を悪く思うことは出来ないのかもしれません。〔悪く思うことは人間にもできるかもしれない。でもそれが、自己の存在の否定に繋がっているところに、よだかの特質があります。さらに言うなら、その自己否定が想像上の美しい星の姿をとったことも人間とは違うかもしれません。〕
よだか:地球は人間中心に回っているわけではありませんが、それは他の生物に関しても同じだと思います。〔弱肉強食的な食物連鎖に限定する必要。〕あなた達人間が自分達の立場をよく考え(に思考をめぐらし)、他の生物があなた達人間にとってどうなのか、本当の意味でよく考え、本当の意味で知ることができたならあなた達人間がどう輝くべきなのか、もしかしたら答えが見つかるかもしれませんね。〔比喩的な問題ですが、輝くためには、月のように他の星の光を反射する場合もあるかもしれません。としたら人間存在の星が輝くためには、他の生物の存在が必須かもしれませんね。〕
[解答例2]R.S.さんへ
人間:あなたは最期、星になって空に生きるもの(棲むもの)になりましたね。
よだか:そうです。食物連鎖の(と)関係ない、そんなものに私はなりたかったのです。
人間:なるほど、けれどあなたのように自然に生きて、自然に食物連鎖を行っている生き物であるあなたがそう思うなら、私たちのような人間はどうなるのです。
よだか:確かに、人間は私たちのようにただ生きていくためだけではなく、選んで(選別して)殺し、食べ、(他の手段でその生命を)利用しています。そのことを考えると、人間は自分勝手でまさに死んで当然と言われてもしかたがない生き物ですね(かもしれません)。
人間:そう、極論してしまえば、人間こそ死んで当然の種族。〔この発言には議論の発展性がありません。いっそ省いてしまっては。簡単に人類の死を説くのは議論を急ぎすぎであるという、次のよだかの発言を繰り込んではどうでしょう。〕
よだか:しかしそれでは、なんの解決にもなりません。「人」として、知識〔百科事典に書いてあるような知識を持っていることが重要なのではなく、工夫して実地に活かせることが重要でしょう。〕をもつ生き物としてどうすべきか答えを出すのが人間という生き物のあり方ではないでしょうか。
人間:自分が地球(世界・環境)に生かされている事にすら気づかない人が多い今、その答えを出さねばいけないという事に生きている間に気づけるかすら難しい所です(覚束ないでしょうね)。
よだか:まったくですね。気づかないことは、罪と呼んでもおかしくないような有り様です。〔気づいていない、もしくは故意でないからこそ罪が減刑されることがあるのでは。〕その点では、どのように生き、どんなことができるか(をしてはならないか、)自分で理解している動物の方がよっぽどすばらしい。(わたしのような存在は自分を誇ってもよいのかもしれません)。