モード1の科学観 またはカント哲学とそれに連なるもの

カントにおける当為とは、経験や現実的な自分に拘束されるなというものであった。そのような道徳的な当為が人間の幸福と合致するのは、理念や理想の世界においてであると、カントは考えたのである。

現象の世界は帰納法によって知りうるような因果法則が支配しているのに対して、「魂と神の世界」は経験に束縛されない実践的領域(そこでは心理的な欲求法則ではなく、厳密な人間の内面の自由が要請される)である。すなわちここに現象の世界と、理念の世界を区別し人間存在は両世界に共属すると考える二対象説が登場する。

「だから、もし時間のなかで規定されている存在者に自由をあたえようと思っても、その限りでは少なくとも、その存在者をその存在においては、あらゆる出来事の、したがってまたその行為の自然必然性の法則から除外することはできない。……それゆえ、もし自由を救おうと思うのならば、時間のなかで規定しえられるかぎりの物の存在は、したがって自然必然性の法則による因果は、ただ現象だけにあたえ、これに反し自由は物自体としてのまさにそのおなじ存在者にあたえるよりほかに方法は残っていない。」

私たちは「現象世界」に現れているとき自然の因果法則から逃れることができず、自由をもたない。もし、自由を救おうとするなら、現象の外にある「魂と神の世界」=物自体の世界の側面を自らのうちに認めなくてはならないというのである。自由とは自然の因果法則をこえる道徳的な規則に自ら従うこと、すなわち自律に他ならない。したがって自律という形で自由を実現していくことは自己が「現象世界」と同時に「魂と神の世界」に属していることを実践的に証明するものであるとカントは考える。

このように経験的法則が成立する世界と道徳的当為が成立する世界のカントによる峻別から、科学的認識と人生上の価値の問題は区別されなくてはならないという主張が生まれた。

それが二十世紀初めのドイツにおける新カント学派(特に西南ドイツ学派)の科学論である。特に法学について新カント学派の法哲学

およそ学問においては何かをなすべしという、実践的な提言は慎まれるべきであり、事実関係の探求こそ、学問が本来はたすべき使命なのである。よって実践的にどのような当為をなすべきか、という問題は学問から棚上げにされるのであり、そうした価値命題と区別された事実関係をもっぱら追うのが科学となる。

科学と倫理規範

十九世紀後半から自然科学はもちろんのこと、人文・社会科学において「何であるのか」という事実関係を問う問題と、何を為すべきかという実践的問題は区別されるようになった。

というよりもモード1的な自然科学は、宗教と密接に関連する実践的問題を切り離すことにおいて、はじめて成立しえたのである。

科学は社会的規範については何も語らない。

科学と哲学資料集