科学と社会 空所を埋めよ

■ラッセル・(1)宣言を受けて核兵器の危険とその回避を訴えてカナダの(2)で開かれた「科学と国際問題に関する会議」を(2)会議と呼ぶ。以後科学者の平和に対する責任を論ずるために、各地で開催された会議も同様の呼び方がされている。そこで科学者たちは、核の登場による人類生存の危機を憂い、核戦争を避けるべきだと訴えた。これは、科学者の平和に対する責任を明確にしたものと言える。これに触発されて文学者の(3)は「『科学者の社会的責任』についての覚え書」の中で科学者らしくあること、すなわち(4)の自由と、人間らしくあること(科学者の社会的責任)とを同時に考えよ、と主張した。

■世界に存在する四つの力のうち強い相互作用を発見した湯川秀樹は、科学の原罪説を唱えた日本の物理学者(5)と同様に、核兵器の基礎となる理論を考案した科学自体の責任を問うた。特に(5)によれば、人間が人間でいる限り知的(6)を抑えることは出来ない、だから科学は人間の本性に根ざしている、したがって科学をやめることは人間をやめることであると主張したことで有名である。

■技術に関する掟として有名なのは(7)の誓いと呼ばれるものである。しばしば(7)は医学の父とも呼ばれる。この行動規範のポイントは、第一に医者は持てる知識の最善をつくすこと、第二に決して危害を加えないことという基本的な倫理観が妥当していた。これは何も医学に限らず、聖俗革命以前の(8)教的倫理に裏打ちされた科学一般について言えることである。というのも科学を含めて職業はすべて神に召命された天職と考えられていた節があるからである。ちなみに医学における(9)という習慣が、ふりさえあれば十分な報酬を持つとされたのは、そうした神学的背景からである。そうした(8)教的背景と無縁の単語(10)が生まれたのは、(11)世紀の半ばになってからである。(10)と綴るとすれば、知識を飯の種にするというニュアンスを持つので、それ以前の知識とは質的違いがある。

■従来の科学の進歩史観に対して、有名な科学史家(12)は反対し、(13)という思考の枠組みが科学には存在していて、危機に面していない(14)においては、答えはほぼついていると論じた。彼の考え方によれば(14)は「組織犯罪」と似ているということになる。科学がそのような性格を持っているために色々な不正が存在する。例えば優勢(15)と劣勢(15)が三対一の比で現れるという(16)の法則の場合もそのような原理的不正の所産であったと今日では考えられている。また無から有を捏造するような極端な不正もある。その一例がRNAからDNAに遺伝情報を伝達する逆転写酵素を発見した(17)が関与した(17)事件と呼ばれるものがある。こうした出来事から推察できるようにマートンが考えた科学の倫理(この倫理という語はギリシア語の(18)から派生したと言われている)は、到底当てはまらないと考えられている。その倫理とは第一に普遍性、次に公有性そして(19)からの解放、加えて組織化された(20)の四つである。現実の科学はむしろ「何をやってもかまわない」という行動規範や、何か新しいことを発見したら無条件によいと考える(21)が通用している。このように追試が「不正」に対抗できるような健全な性質を具えていないのが、今日の科学の実情である。そうした体質は、ダイナマイトを創り出した(22)の遺産から出来た(22)賞などがあるために助長される結果となっている。

科学と哲学資料集