かけがえのある地球        科学と哲学資料集

 「宇宙船地球号」とは、環境倫理的な地球全体主義に対する呼び名である。そうしたタイプの全体主義によって、地球の資源の有限性が説かれることになり、ひいては「かけがえのない」地球系がイメージされてきた。だが実は外部と内部の間で熱のやり取りの収支決算が釣り合っている非孤立系であるにすぎない。そこで次のようなことを考えてみよう。

 熱力学の第二法則に従うとエントロピーの増大による熱的死は、システムの環境と熱のやり取りができない孤立系において起こる。他方孤立系でなければ、例えばクーラーの効いた部屋のように、温度の低い屋内から高温の室外へと熱を捨て、温度差を増大させることは可能である。すなわちエネルギーを与える代わりに、システム内部のエントロピーを減少させることもできる。地球システムは孤立系でないのだから、エントロピーの増大によって熱的死に向かうとは限らない。実際、昨今まで熱力学的に安定した定常系として振る舞ってきた。

 ところが今日に至り、特に低いエントロピーの化石化燃料が燃焼された結果の熱は、地球外部へと放射しにくくなった。大気温度の上昇と化石化燃料の逓減という形のエントロピーの増大を招いている。人類の生存のために、いかに有限の資源を配分するかという「倫理的全体主義」において、このような地球の「かけがえのなさ」が説かれる。

 さて地球系内の一部システムが、あたかも熱力学の第二法則に背くかのようにエネルギーを加えなくとも屋内のエントロピーは減ることが自然に起こり得る。仮に宇宙空間に対して開いている波長の電磁波、すなわち八ミクロンから一三ミクロンのマイクロ波は地球外部から来ないのでエントロピーを放出する窓となる。旧聞に属するが、科学者集団ロゲルギストが『物理の散歩道』第四巻で紹介しているように―、そうした波長しか室外に通さないガラスを屋根につければ、放射冷却によって室内と室外の温度差が自然に産まれ冷房ができる。その屋内は他の波長で熱エネルギーを受け入れつつ、マイクロ波のバンドで、絶対温度三度の冷えきった宇宙空間へエントロピーの高い光子を放出するわけである。

これは、太陽電池と同様、環境に対する技術的な問題の一例である。そうしたアプローチは地球を限りある存在として想定しない。むしろ地球系は、エントロピーを外部に捨てることが可能な開かれたシステムと見做される。太陽はエントロピーの低い光子を地球系へと注ぎ、他方宇宙空間はエントロピーの高い光子の捨て場である。この二つを地球系はエネルギーの入り口と出口にし、近未来の技術によりエントロピーの増大が或る程度抑えられた熱機関となる可能性をもつ。

 このように考えると、非孤立系として地球系を捉えることが肝要であろう。すなわち倫理的視角に加えて、外部資源(太陽エネルギー)の有効配分、もしくは利用を図る「技術的全体主義」の視角からも考えなければならない。とはいえ、後者の技術的問題は現時点ではクリアされていない。

 そこでこうなる。地球系の内部資源は実際少ないのだから倫理的問題として扱うか、もしくは太陽エネルギーの有効配分・利用が近未来に可能だから技術的問題として扱うのか、というような問いの立て方自体、その前提事項が判然としないので、決定留保せざるをえない。倫理的問題や技術的問題を−もしくはその他政治・経済・文化的問題等を−共約するメタ的な価値問題が、地球環境を考えるにあたって問われる。これは「技術的全体主義」とも違う。様々な価値領域を複眼的に眺望する問題設定がわれわれに課せられているのである。「かけがえのある地球」とは、そうしたまた別の<地球全体主義>に対する標語であると言ってみてはどうだろうか。

エントロピーの基本的説明のリンク
 エントロピーの解説は左のサイトが参考になります。

槌田敦の開放系の熱力学 開放系の熱力学が環境問題にとって重要なことは槌田敦の論じる所でもある。