思考の論理的形式Ⅱ
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 思考の論理的形式Ⅱでは命題論理学・述語論理学の応用について学び、論理的な文章を執筆する能力を養います。授業は、野矢茂樹、『新版 論理トレーニング』産業図書に準拠しています。思考の論理的形式Ⅰと独立して修得できますから、興味ある人はHPを覗いてみて下さい。新しい発見があるかもしれませんよ(#^.^#)。
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1.論理的とは?
[授業目標] 論理的とはどういことか

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文章の前後の内容を明確に意識して、作文する
能力を養う。このことを主眼において講義をすることにします。

1. 接続関係のトレーニング一歩前 広い意味の「論理」とは言葉と言葉の関係である
   タコは8本足である。チョウはタコではない。故にチョウは8本足でない。これは論理的な推論と思いますか。

2~4では、まず文章読解の基礎として、文章の前後関係を明示する接続詞・指示詞の用法を主に学びます。作文の技術を学ぶための初歩です。
2. さまざまな接続関係 解説・根拠・(例示)
   教科書:野矢茂樹(2006)第1章
3. さまざまな接続関係 付加と転換
   教科書:野矢茂樹(2006)第1章
4. 接続の構造 接続構造の分析
   教科書:野矢茂樹(2006)第2章
   教科書の練習問題をベースにしますが、若干教科書の読みに違和感を覚えるところもありますから、HPの問題で代替します。

★解説〔主張の意味を分かりやすく噛み砕く〕・根拠〔主張の理由を提示する〕は、文章中でまとまり・補強を与える働きをする車の両輪。
★車の方向調整をするのが、付加・転換(かな?)。
5~8では、特に根拠の接続関係に注目してトレーニングを行う。根拠は意味の観点からと事実の観点から論じることができる。前者が演繹に係るものであり、後者が推測に係るものである。
5. 論証を評価する 根拠(意味規定・事実認識・価値評価)
   教科書:野矢茂樹(2006)第4章 インターネット検索注意・書誌事項の挙げ方
   根拠・導出・結論のうち根拠について学ぶ。
6. 導出の適切さ
   教科書:野矢茂樹(2006)課題問題を班毎に解く
   あえて反論することによって、導出の適切さが試される。そのさい、前提を認めて結論を否定するというトレーニングが有効である。
7. 演繹と推測のちがい 隠れた原因・統計処理
   教科書:野矢茂樹(2006)第5章
   ちょっと背伸びし、演繹の典型例としてペアノの公理系を学ぶ。同時に推測の特質を学ぶために課題を解く。
8. 仮説を評価する 
   教科書:野矢茂樹(2006)第5章
   科学方法論で扱われる仮説形成を学び、柔軟に仮説を構想してみる。

9~14では、演繹に関する基礎的な決まりを学ぶ。
9. 演繹1 否定とドモルガンの法則
   教科書:野矢茂樹(2006)第7章
   ド・モルガンの法則は頻出事項です。よく復習しておきましょう。
10.演繹2 述語論理学の基礎
   教科書:野矢茂樹(2006)第7章
11.演繹3 逆・裏・対偶 「のときだけ」の文法
   教科書:野矢茂樹(2006)第8章
   「のときだけ」を、逆・裏・対偶と混同する人がいますが、くれぐれも混同しないよう。
12.演繹4 条件連鎖のトレーニング
   教科書:野矢茂樹(2006)第8章
13.小復習 
   小テスト
   JAVAを使い、双方向の質疑応答を試みる。
14.推論の技術
   教科書:野矢茂樹(2006)第9章 予習してくること

まとめの意味で文章の書き方のスピリッツに言及する。
15.異論と批判
   教科書:野矢茂樹(2006)第10章 有事法制案の新聞論評を検討する

〔問い〕以下の資料の要点を110字程度で要約せよ。

〔資料〕大森荘蔵、1998、「思考と論理」『大森荘蔵著作集 第七巻』岩波書店、283-285ページ。
 「・世界の法則としての論理
 論理法則とは言語の意味規則から導かれるものである、というのがこれまで述べてきた言語規則説の見解である。しかし、そうでない、論理法則は世界そのものに適用される最も広範囲で基本的な法則なのだ、という考えが昔からあったし今もなお多くの人がそう考えているように思われる。確かにこういう考えに誘う原因が幾つかある。私が論理学を全域論理学と呼んだ(「思考と論理」5章)ように、論理法則はこの世界のあらゆる領域に成り立っている。それゆえ、経済学の法則や物理学の法則のように成立範囲に限界があることはなく、そこから森羅万象すべてに当てはまる法則のように思われるのである。
 ・論理は経験法則でない
 しかし、それは誤りである。この世界で事実的、経験的に成り立つ法則はその適用範囲の広い狭いにかかわりなく、論理法則の特性である必然性(8章)を持つことができないし、そういう必然性をもった経験法則は現に一つもない。どんな経験法則でもそれが成り立たない場合を考えうるのである。朝太陽は東に上る、という法則でも地球の自転方向が逆になれば成り立たない。生物はすべて死ぬ、というが老化を一切しない細胞はありうるだろう、そのような細胞は絶対ありえない、と言える人はいないのである。結局、どんな事実法則に対しても、その法則に従わないような事実がありうるのである。少なくとも、その法則に反した事実を考えることができる。ところが、論理学と数学にはそれに反した事実を考えることができない。例えば、明日のお天気が「雨であるか又は雨でない」ということが言えないような天気であることを考えることができようか。どんな異常な気候を考えても、それは雨であるかさもなければ雨でない。なぜならこの排中律という論理法則は気象学者が発見するような経験法則ではなく、「雨である」の反対は「雨でない」ということと同じである、という言語規則だからである。経験法則はこの世界について述べた法則であるがゆえに、この世界のあり方次第では成り立たったり成り立たなかったりする。しかし言語規則説が示してきた様に、論理法則は言語規則、またはそれから導出されたものであって、事実について何かを述べるものではない。だから事実がどうであるかにかかわらず、つまり事実世界がどうであるか、世界に何が起るかにかかわらずに成り立つのであり、このこと、すなわち「事実がどうあるかにかかわらず成り立つ」ということが「必然性」なのである。それは、何が何であっても成り立つ、ということだからである。
 ・論理は言語を通して世界に成り立つ
 こうして、論理法則はこの世界についての法則ではない。だがそれにもかかわらず論理法則はこの世界に成り立っている。これはおかしいと思う人も少なくないだろう。しかし、この一見おかしい、矛盾ではないか、と思えることも言語規則説は無理なく説明するのである。われわれは世界について言語を使って述べる。ところが、論理法則はその言語の規則から導出されたものである。したがって、論理法則は、世界について述べるその言語について成り立っていることは当然だろう。だから、世界について述べた言語に対して論理法則が成り立っている。だがこのことはとりも直さずに、論理法則が世界に対して成り立つことに他ならない」。(後略)

ノートの取り方
 「「哲学3.14」は、ヒュームの『人性論』*をもとにした哲学の入門書である。3.14と銘打ったこの本は、非哲学的知を反面教師として、哲学を知ってもらおうという意図で書かれた。3.14と言えば円周率の近似値であり、ゆとり教育で円周率3と教えられてきたという文脈で、一時期話題になった(旧聞に属するが)。円周率3に比べ、3.14はより「正確」であると考えられるかもしれない。それゆえ読者のなかには「哲学3」というものがあるとして、「哲学3.14」が、それより高度な哲学である、と期待する向きがあるかもしれない。しかしそうではないのである。3.14という近似は、円周率が無理数であることを素どおりしている。また超越数(有理数を係数としてもった代数方程式の解とならない数)であることについても、無頓着でしかない。しかも、円周率を近似値的に無限級数で求める努力すら放棄している(無限回計算をすればよいのであるが、さまざまな方法があることや収束の速度に優劣があることなど)。さらに言えば、円周率に7が十回続けて現われることを、人類はいまだ知らないが、この先、計算を続けていったとして、それを知る(そんなことができるか?)前に「十回続くか、続かないかのいずれか、あらかじめ決まっているかどうか」という類の基本的問題も、3.14という近似に対応した思考レベルの射程外にある。
 つまり「哲学3.14」は、「哲学3」と、さほど変わりがない非哲学的な思索にとどまっている。著者の筆運びは、はなはだ千鳥足であり、(ヒューム的)観念論と(大森的)実在論とのあいだで、多分に「人生論的決定」に左右され、さまよっている。両者を論理によって架橋する努力がなされていない。裏返して言えば、論理が欠如している。だから、これが「哲学の見本」ですよ、と太鼓判を押せない。論理の欠如は哲学にとって、致命的な欠陥であるから、非哲学的と言っているである。
 しかし「哲学3」のレベルよりは、いかほどかの「上昇」の望みを託している。何が哲学的でないかを学ぶことは、遠回りながら、哲学への一つの道だからである。最近は哲学的談話のなかで「善」という価値を積極的に考究しないような風潮、もしくはやみくもに、何でもいいから考えていたら哲学的と見る傾向もあるようである。そういう流行を頭から否定するわけではないが、少なくとも基本的な価値判断を放り出すような行為は、できるだけ避けてゆきたいものである。
 先取りすれば、ゆるい流れであるが、観念論から実在論へという方向で、ヒューム的観念論から大森的実在論?へとかじを切っている。どうか私の理解する大森哲学が――それが観念論であるという通説とは異なり――実在論の「極北」に位置することを、心して読み取っていただきたい。論理的根拠がないのに主張する独断的な物言いを、決定と呼ぼう。だから「人生論的決定」とは、人生観にしたがって決定することを言う。生き方が大森実在論の「かなめ」を占めるならば、そして、生き方に由来する「人生論的決定」が迫真力をもっているとしたら、それをかたどる「哲学3.14」では、論理的整合性は脇に置かれる。「哲学3.14」とは反哲学的断章のことなのである。
さらに言えば、現在、哲学の主戦闘は、観念論対実在論ではなく、現実性対可能性という戦場で繰り広げられているようにも思える。もう少し正確に言えば、言語に汚染されていない現実的なものを端的に認めるか、言語的処理にかかわり他の人とも比較可能なクオリア(感情・知覚の実質みたいなもの)*を想定するかの対立である。この本が、その議論の前に問題となる、観念論対実在論の考察となれば幸いである。ただし、ここで言う実在論とは、素朴実在論・科学的実在論とは関係のない、実在の信?とでもいったものである・そしてそれを実在論の「極北」と考えているのだが。その輪郭について示唆することができたら、望外の喜びである」。

ノートにとってみよう。[→専修大学出版企画委員会、2018、『新 知のツールボックス』専修大学出版局、workbook,2-3ページ。]
1.レクチャーの大事な要点。
2.語句や事項の説明部分。
3.実例や比較によって、1の要点を説明している部分。
4.学生間でノートを交換し、点検してみよう。

1.哲学3.14:哲学3よりずっと高度な哲学入門ではない。→哲学入門であることはたしか。ex.ヒュームの『人性論』をお手本。
 とはいえ、それは基本的な問題をちゃんと考えたいという趣旨で書かれている。→基本的価値判断をとり上げる。ex善という価値。
 実際、観念論から実在論への転換という高度な内容にも触れている。ref.大森実在論
 さらに、その先に広がる、現実性vs.可能性という哲学の主戦場の準備段階をしつらえている。?!

:   主語と述語。事項とその解説。
ex.  例示。example
ref.  とくに参照。比較せよ。refer cf.=conferでもよい。
←  根拠・もしくは論理的連関。
vs.  背反・両立困難。versus
?!  話が見えない。質問に行こう。

2.「哲学3.14」は、「哲学3」と、さほど変わりがない非哲学的な思索にとどまっている。「人生論的決定」とは、人生観にしたがって決定することを言う。
→人生論的決定に従う哲学3.14は論理的ではないので、高等な哲学書ではない。

3.「哲学3.14」が、高等な哲学入門書でない比喩的例示。
・3.14という近似は、円周率が無理数であることを素どおりしている。
・超越数(有理数を係数としてもった代数方程式の解とならない数)であることについても、無頓着でしかない。
・円周率を近似値的に無限級数で求める努力すら放棄している(無限回計算をすればよいのであるが、さまざまな方法があることや収束の速度に優劣があることなど)。さらに言えば、円周率に7が十回続けて現われることを、人類はいまだ知らないが、この先、計算を続けていったとして、それを知る(そんなことができるか?)前に「十回続くか、続かないかのいずれか、あらかじめ決まっているかどうか」という類の基本的問題も、3.14という近似に対応した思考レベルの射程外にある。

⇔それに対応して、「著者の筆運びは、はなはだ千鳥足であり、(ヒューム的)観念論と(大森的)実在論とのあいだで、多分に「人生論的決定」に左右され、さまよっている。両者を論理によって架橋する努力がなされていない。裏返して言えば、論理が欠如している」。

2.接続関係(順接)[→教科書:野矢茂樹(2006)第1章]
[授業目標]順接の接続詞の空所補充題を学ぶ

【例示と解説】
★例示は具体例による解説、もしくは論証を示す。その接続関係を示すものとして「例えば」が典型的である。この接続詞で結ばれる「A例えばB」はAが概説であるのに対し、Bは例示の関係にある。具体例は、あることがらを論証するための根拠に、用いられる場合もある。
 ex.惑星は衛星よりも半径が大きいとは限らない。例えば木星の衛星のガニメデは水星より半径が大きい。←この場合はれっきとした根拠になっている。
 
存在文「Sの中にPであるものが存在する」、もしくは「Sの中にはPでないものが存在する」(「すべてのSはPだ」の否定)の根拠には、例示が使われる。同じことだが、「すべてのSはPだ」を否定するためには例示が用いられる。これを反例と言う。

〔問い〕「O型のひとは気前がいい」ということを反駁するための例示を挙げよ。「O型のひとは気前がいいが、軽率である」ということを反駁するための例示を三つ挙げよ。(創作であってもよい、つまり実例であることを要求しない)

〔問い〕「ロボットは心がない」ということを反駁するための例示を挙げよ。ちなみに最近の機能主義的随伴現象説では、ロボットは意識をもちうるとされる。つまりソフト・シュミレーション内のキャラクターSIMは意識をもつとされる。

★解説はまとめ、敷衍・言い換えであって、今までと全く新しい議論を始めるわけではないとき用いられる。「すなわち」「つまり」が、その接続関係を示すものとして、代表的なものである。解説〔主張の意味を分かりやすく噛み砕く〕・根拠〔主張の理由を提示する〕は、文章中でまとまり・補強を与える働きをする車の動輪である。
★車の方向転換をするのが、付加・転換ということになるだろうか。

 例示が入るときA・Bは「A例えばB」の順序しかならない。「例えば」が入るかチェックするとき、「B例えばA」と書いてみて、おかしいなら、「例えば」が入る可能性が高い。それに対して解説が入るときAをBで言い換えても筋が通るはずである。したがって「BすなわちA」と書いてみて、おかしくないないなら、「すなわち」が入る可能性が高い。

例:S地区出身の学生は奨学金をもらえる可能性がある。奨学金志願者が少ないほど、彼女(/彼)は、奨学金をもらえる可能性は高い。したがって【根拠】「福利」の観点から言えば、奨学金を得ようと、同郷者と争っているとして、でしゃばった自己推薦をD、控えめな自己推薦をCとしたとき、同郷者もでしゃばると、頭割りの奨学金の期待値は少なくなる。もちろん自分が抑制的だとしても、できるなら相手にはでしゃばらないで欲しいから【根拠】、彼女(/彼)の選好順序は以下のようになる。DC>DD>CC>CD。
 ここで特別面談制度ができる場合を考察に加えよう。この特別面談制度で自己推薦すると、奨学金をもらえる確率が高くなる。とはいえ、特別面談制度はアングラマネーと関与している、S地区の有力代議士T氏を窓口とする。このとき、「主体性」の観点から言えば、CC>CD>DC>DDとなる(行為の主体であるからこそ価値にコミットする、「価値合理的な目的合理主義者」が協調的な価値観をもつ場合)。すなわち【解説】、自分にとって同郷者が抑制的であることが最も選好されるだろう。というのも【根拠】、奨学資金制度を悪い噂から遠ざけよう、という協調的「主体的」理由から言えば、抑制し合うことは自分にとって望ましい、と思われるからである。ただし非協調的「主体的」理由から言えば、醜聞に晒されるだけ競争者が脱落するから、あえてでしゃばることになる。容易に推察されるように、「主体性」の観点から、あえて裏切り合い・出し抜きに向かう場合もある。

【根拠】・・・つまり
解説と紛らわしい場合もある。
 ex.雄太は18歳だし、千尋は16歳だ。つまり、もう法的に結婚してよいというわけだ。
〔問い〕次の二つの文の意味のちがいを説明せよ。
①金があるので遊びに行ったのだろう。
②金があるから遊びに行ったのだろう。
「~から」原因・理由を表す。
 前件を受けて、後件に話し手の断言・命令・意志など主観性の強い表現がくることが多い。
   例・ほしい―買ったんだ
     ・むずかしい―できっこないよ
〔問い〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、19ページ例題1、21ページ例題2を解くこと。

【付加】

 付加「そして」は、ほとんど、どんな場合でも順接に使える。ということは、文脈をはっきりさせるために「そして」はできるだけ使わない方がよい。「そして」を多用する文章は悪文である。

・「今日は仏滅でない。むしろ結婚式には好ましい」(仏滅には普通結婚式を避けます)A(今日は仏滅の日である)またはC(今日は仏滅より縁起のいい日である)、Aでない、故にCならばB(結婚式には好ましい)、よってAでなく(むしろ)Bである。
 答え AまたはC、Aでない、故にCならばB、よってAでなく(むしろ)Bである
※注意:仏滅でなくても赤口だったら最悪のように思えるかもしれない。しかし赤口は正午のみ吉の日です。正午に結婚式を挙げるのならよいのでは・・・。いずれにいせよ・・・わたし達が結婚したのは先負だったんです。ですけど夫婦円満ですよ!(^^)!。
・「今日は誕生日だ。しかも両親の結婚記念日だ」(誕生日はめでたいものと仮定しましょう)。今日が誕生日(A)ならばめでたい(C)。今日が両親の結婚記念日(B)ならばなお、一層めでたい(C)
 答え AならばC、Bならば一層C、故にAかつ(しかも)Bこれを累加と言う。

〔問い〕 接続詞・指示関係を把握するトレーニングを解きなさい。『今昔』を今日によみがえらせたのは、芥川龍之介の小説『羅生門』や『藪の中』等によってではなく、黒澤明の『羅生門』*のような、視聴覚的な表現によってであった。映画『羅生門』を知っていなくては話が始まらないので、まず動画を見てください。*『羅生門』は小説『藪の中』の映画化です。念のため。
問一、
1.後続の文章が「ても」~「ではなかろうか」と譲歩の仮定+推測になっていることに着目する。
2.続く文章が『今昔』についての俗説を否定する文章になっていることに気をつける。「いや」は自問自答で否定する場合だからなじまない。
3.A「ではなく」Bという択一構造に目を向ける。単なる「付加」(そして)ではひねりが足らない。

〔勉強のすすめ〕
①描写のうしろに寝るとはどういうことか。説明しなさい。
②おしゃべりに熱中したことと、熱中するふりをすることはどうちがうか。説明しなさい。
③平安末期・鎌倉初期の口承の文学に、どのような現代の表現形式が対応しているか、答えなさい。
④『今昔』の文学的価値を簡潔に表現している語句を、文中より十字以内で抜き出しなさい。
⑤話すとおりに書くとはどういうことか、簡潔に述べなさい。
⑥今日の状況と「平安末期・鎌倉初期」の異なる点を述べなさい。
⑦芥川が説話文学に及ばなかった点を、具体的に説明しなさい。

3.接続関係(逆接も含む)[→教科書:野矢茂樹(2006)第1章]
[授業目標]順接か、逆接か文章の流れを押さえる

接続の構造:教科書に準拠して次の略号を用いることにする。ちなみに『新・知のツールボックス』では、主張の明確化の手立てとして、敷衍・例解・比較・対比・限定が挙げられている。[→野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、82ページ。]・・・例示は「解答」を与えることに限定されない。答えの手前の「根拠」であったりする。したがって、例解という表現を避けたい。
解説    A=B
根拠    A→B/A←B
例示    A例えばB
付加    A+B
転換    AしかしB
補足    AただしB

★【転換と補足】
「AしかしB」「AただしB」どちらも逆接・・・「AしかしB」で言いたいのはB(話の本線はB)。「AただしB」で言いたいのはA(話の本線はA)。

〔問い〕以下の四つの表現を区別せよ。それぞれの前提を明らかにせよ。
・この宝石は美しい。しかし高すぎる。
・この宝石は安っぽい。しかし高い。
・この宝石は高い。しかし安っぽい。
・この宝石は美しい。ただし高すぎる。

野矢茂樹、2005、「しかしの論理」『他者の声 実在の声』産業図書、267-279ページ
〔問い〕以下の空所を補充せよ。
私たちは、どういうときに「かつ」や「そして」でなく「しかし」を使うのでしょうか。例えば「太郎は試験勉強をほとんどしなかった。    、単位取得した」という場合、「そして」を使うと違和感があります。
 ですが「今日は大寒だ。でも、あたたかいね」と言うことも、「今日は大寒だ。かつあたたかいのはどうしたわけだろう」という二つのことは、両立します。つまり、構成要素をなしている「今日は大寒だ」と「今日はあたたかい」が共に正しいとき、――かつの場合、「今日は大寒だ、かつあたたかい」が真になるように、――「今日は大寒だ、しかしあたたかい」は真になるのです。このような観点から捉えるとき、「かつ」と「しかし」のちがいは出てきません。けれども「かつ」と「しかし」のニュアンスはちがうのです。「今日は大寒だ。    、寒い」では変です。この奇妙さは、構成要素の真偽に注目するだけでは説明できません。したがって、真偽とは別の観点を導入しなくてはならないでしょう。仮に「今日は大寒だ。しかし、寒い」がおかしいように、「きれいな夕焼けだね、でも明日はきっと晴れるさ」もおかしいことになります。
 「今日は大寒だ。でも、あたたかいね」において「しかし」「でも」「けれども」が用いられるのは、「大寒ならば寒いだろうと考えられている」という了解が先行しているからでしょう。その予想を裏切るからこそ、「でも」が用いられるのです。しかしこの了解は表立ったかたちでは、「命題内容」の中に現われていません。この〈事の真偽〉に関わる要素を、野矢茂樹は「命題内容」と呼び、表現にのってこない了解の要素を「前提」と呼んでいます。「今日は大寒だ。でも、あたたかいね」では、前提が「大寒ならば寒いと考えられている」であり、命題内容は「今日は大寒であり、   あたたかい」となります。「AしかしB」は「AかつB」と命題内容を共有し、それに加えて「AかつB」には含まれない前提をもっている、という事になります。
 
 そこで、ある主張に伴う前提を[]で括り、その前提のもとでの命題内容を()で括れば〔前掲の野矢論文に従う〕、
「今日は大寒だ。でも、寒くない」は[大寒ならば寒いと考えられている](今日は大寒であり寒くない)となります。
 一般に、「AしかしB」は次のように書けるでしょう。[AならばBではないと考えられている](AかつB)

 変形すれば[AならばBと考えられている](AかつBでない)となります。
 

〔問い〕以下の文章における「にもかかわらず」という逆接の接続詞が取られている理由を述べよ。
 「ぼくはかなり愛情深い(利己的でない!)親なので、自分の子供に道徳的に善い子になってもらいたいとは思っていない。むしろ道徳をうまく使いこなせる力と、良心の呵責のようなもので苦しまないですむ、細やかな道徳的感性に対する高貴なる鈍感さとを、身につけてもらいたいと思っている(思うに鈍感とは最も高貴な美徳だ!)。
 
にもかかわらず、三歳の娘が恐い夢を見て眠れないときなんか、こういう話が自然に出てくる。「恐いものは悪い子のところだけにやって来るんだよ。善い子にしていれば恐いもんなんて絶対に来ないからね」。この話は実によくできているではないか!一石二鳥とはこのことだ。子どもの恐怖心を取り去ってやり、同時に子どもを善い子(=親にとっても都合のいい子ども)に仕立てあげられるのだから」。[→永井均、1996、『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書、156ページ]

野矢茂樹、2001、『論理トレーニング101題』産業図書、問20をやること。
〔問い〕空所を補充せよ。「    」ということは検討に値する。ただし「    」と言ってもひと味ちがう。つまり    がついているからには、前とちがうことを言っているはずである。それも前の方が話の本線で後ろは ※1                 というように、脇道に逸れているのだ。では、一体どのように脇道に逸れているのか? 話のメインストリートは ※2                 であると考えられる。※1・2に入る文章を考えよ。〔この問題は悩ましいほど、難しい。でもトライしてみるだけの価値はある。〕

宿題:野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、課題問題1の問4.問5.問6.やってくること。

4. 接続の構造 接続構造の分析[→教科書:野矢茂樹(2006)第2章]
[授業目標]接続構造の理解を通して、文章の意味を掘り下げる

 指示関係をつかむ⇔議論を接続することを学ぶ
(単に指示詞の問題ではなく、内容把握に関わってくる)

 自分の書く文章で、指示関係を明確にしたいときは、文章を書くさいに、単語に1,2,3,の添え字を付けて紛らわしい表現を区別する。

例:共同行為は目的合理性の追求だけで、十分に解明されるであろうか。目的合理性(結果の善し悪しで行為を選択する原理)に対し、価値合理性(つまり或る程度、結果を度外視して行為を選択する原理)はより広範に行為をカバーすると考える。とはいえ価値合理性は、複雑なメカニズムの上に成立するのだから、それに則る価値合理主義者を理解するためには、まず基本的な、目的合理主義者と(価値合理性にコミットする)非帰結主義者の区別を、明確にしなければならない。目的合理主義者は帰結から推論して、行為を選りすぐる行為者である。非帰結主義者は、可能な選択肢から行為を選ぶとき、帰結を考慮せず、より豊富な選択肢(機会集合って言います。例えばレストランのメニューに模すことができるでしょう。)の中から選択する傾向を有する。
 これまでも厚生経済学は非帰結主義者を分析対象としてきた。だが例えば概説書、鈴村,2009,第13章の非帰結主義者の規定において、選択肢が同じ数の場合、その時に限り、非帰結主義者は個々の帰結に注意を払う。本論では、鈴村書の非帰結主義者を非帰結主義者1、帰結に配慮しない非帰結主義者を非帰結主義者2と呼び、非帰結主義者2を本来の意味での非帰結主義者として定式化することを試みる。
 というのもこれまで、あからさまに目的合理性を称揚しない人でさえ、非帰結主義者2、とりわけ「価値合理的な非帰結主義者」 を低く評価してきた、という事情――その裏返しとして、非帰結主義者1に当たる(?)「価値合理的な目的合理主義者」をモデルとしてきた、という事情――があるからである。

※『今昔』の問題の発展問題を復習しておこう。

※何を主張したいのかを、考察することが内容把握の基本。本文に書かれていない知識はできるだけ排除して、虚心坦懐に文章の言わんとすることに耳を傾ける。

〔資料〕高田瑞穂、2009、『新釈 現代文』筑摩書房、88ページ、赤紫補足。
 私の〔言いたい〕「たった一つのこと」とは、入試現代文という断片的な表現に関する方法なのです。そしてそれは、一言にして言えば「追跡」ということです。どこどこまでも筆者を追跡するという方法です。われわれの前に一個の文章が置かれ、その最初の文字が目に映った瞬間から、活溌な問題意識と、生き生きした内面的運動感覚によって、筆者のことばを追跡することです。筆者は一体どんな問題を【意味】、どのように説くのであろうか【理由】。私は一体、「どこからどこへ」連れてゆかれるのであろうか。出発した以上、もうわれわれは恐れたり、引き返したりは出来ません。どこへでも、どこまでも、筆者とともに行くほかありません。その文の最後の一行の終わるところまで。そしてその文の終わったところで、無論われわれも立ち止まります。そして静かに、自分の位置を、自分の前後左右を、自分に近い過去と未来を見渡すのです。
〔問い〕以下の文章の内容を分析的に把握せよ。[ →大森荘蔵、1981、「「論理的」ということ」『流れとよどみ』産業図書]
 (前略)もちろん多くの場合はこのように簡単でない。その時々の話題によってその話題特有の言葉が登場する。ということは、それらの言葉の使用規則(つまり定義)が五つの基本語〔ない・かつ・または・すべて・存在する〕の規則に追加されるということである【意味・・・話題特有の言葉が登場するとは、どのような意味においてか、解説している】。しかしそれら追加された言葉同士の間の関係(つまり言葉による言葉の定義)もまた五つの基本語で表現することができるのである【話題の転換・・・特有の言葉が追加されたら、もっと複雑な関係が必要となってくるように思われるがそうでない】そうして表現されたものがその話題の「公理系」と呼ばれる。例えば、幾何学特有の言葉である、「点」、「直線」、「平面」、そしてある点がある直線の「上にある」、等の間の関係をすべて五つの基本語で書き表したものが平面幾何学の公理系なのである【例示による解説・・・五つの関係だけで特有の言葉の関係が表現できる。例えば平面幾何学では】
 しかしこうしたこみ入った場合でも「論理的に正しい」ということの基本的性格には変わりがない【話題の転換・・・平面幾何学のようにこみ入ってくると、新たな事実が付け加わるように思われるかもしれない。この予測は裏切られる】。「ここのお菓子はみんなお前のだ」と言うとき、それは「このお菓子はお前のもの」、「その隣のお菓子も お前のもの」、……といったことを言うことなのである。だからあらためて「このお菓子はお前のもの」と言うことは、もうすでに言ってしまったことを繰り返して言うことなのである【結論・・・新たな事実が付け加わるのではない故に、論理的なことは同じことの繰り返しなのである】。すでに一度述べたことをあらためて再度繰り返す、だから間違いっこない、だから論理的に正しいのである【結論、このことを言い換えると次の文になるだろう】。前提から帰結を正しく引き出すとは、五つの基本語の規則に従って前提ですでに述べたことを帰結で再度述べることなのである。


練習問題2・教科書を若干軌道修正しながら、やってゆきます。
問1

 一、記号②の前に接続詞を入れるとしたらどのような接続詞が入るか。「なぜなら」以外の可能性を考えてみよ。
 二、記号⑤の文は②から④を根拠にして出てくるか。
 三、以上を前提にして接続構造の分析を行え。
問2
 一、記号①の文の内容は記号③の文の内容と同じか、それともちがうか。
 二、記号③の「販売力が弱体なら着想を他人に教えただけのことに」は記号①の文と同じになるから、記号①の文の内容が帰結するのではないか。
 三、記号④の文「このような方法が合理的である」ことの理由を⑤以下の文から二点要約して取り出せ。「データが有難い」とは「予測が難しいデータを得られることが貴重である」こと。
 四、記号④の後の「このような方法」と下線部「この方法」の指示対象のちがいを説明せよ。
 五、「この方法」が利巧な方法ということができないとしたら、それは販売力に十分の自信がないときである、と言えるか、言えないか。
問3
 一、記号②の例示となっているのは、③だけか、それとも③と④をともに含むか。
 二、記号⑤の文の理由となっているは④だけか、それとも②~④全体か。例示が、根拠の役割を果たすことに留意せよ。
 三、「このような帰結」の内容を例示抜きで述べよ。

〔宿題〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、課題問題3の問4


〔勉強のすすめ〕以下の引用文において、指示詞赤字・代名詞、連体詞、副詞が指示する内容を答えよ。[→中島義道、2002、「モラリスト」の項、『事典 哲学の木』講談社、849-850ページ。]
 モラリストに特徴的な方法は「観察」である。総じて、観察を怠って理念や概念がひとり歩きするところに、偏見や狂信が生まれるのであるとすれば、まず先入見なしに虚心坦懐にさまざま現象とくに人間という複雑怪奇な現象を観察することが必要であろう。そして、それを統一原理に基づいて体系化しようとするのではなく、そのまま記述することが必要であろう。人間を一定の枠に閉じ込めるのではなく、その矛盾を矛盾として微妙な襞にいたるまで精確に記述することが必要であろう。こうして、周到な人間観察眼をもった彼らは、その教祖とも言えるモンテーニュに代表されるように、人間に関することなら、いかに醜悪なことであろうといかに瑣末なことであろうと大まじめに取り上げ、人生における「より重要なこと」と「より些細なこと」との区別を意図的に無効化する。とりわけ、原理原則が人間を迫害し窒息させ不幸にさせたという共通の了解のもとに、宗教上や哲学上の崇高な理念を引き下げ日常卑近な現象を引き上げて、すべてを「平均化」しようともくろむ。このことからヴォルテールやディドロの場合顕著であるが、宗教的政治的権力に対する揶揄諧謔的な態度も生まれてくる。他方で、パスカルのように「人間の惨めさ」を、シニカルにしかも観念的にではなく具体的な日常の目線で執拗に記述するという手法も生じてくる。
 だが、こうしたモラリストにも限界がある。彼は、隠者とは異なり、時の権力の間近におり、権力に吸い寄せられる人間の醜さから逃避するのではなく、宮廷を中心とする貴族やブルジョアの社交界に照準を合わせて人間を観察している点、やはりその「人間」は厳しく限定されたものである。社交界に集う男女の虚飾にもとづいた「習性」こそモラリストのモデルなのであり、彼はここから高慢・虚栄心・軽蔑・嫉妬・嘘・欺瞞などの心情を鋭く批判的に記述しながら完全にそこから離れることはない。すなわち、モラリストはこうした虚飾だらけの愚かな人間たちを高みから断罪するのではなく、心底では彼らに親近感を覚えている。

5. 論証を評価する 根拠(意味規定・事実認識・価値評価)[→教科書:野矢茂樹(2006)第4章 インターネット検索注意・書誌事項の挙げ方]
[授業目標]論証の根拠を自覚的に明示する

 何かを言おうとするなら、単なる言い換えにとどめたくないとして、根拠が必ず必要である。根拠には言葉の意味の定義:意味規定、事実の確定:事実認識、価値的な判断:価値評価の三種類がある。

 根拠が意味規定のみの場合、演繹という過程を辿って結論が導出される。ただし事実認識が根拠となる場合は、推測という過程を辿る点でちがってくる。
 太陽は恒星である、ゆえに自ら輝く。太陽が輝くのは昼である、ゆえに太陽が照っている時は大体明るい。ちがいが分かるかな(^^♪

意味規定の例:国民の祝日とは、自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日のことを言う。
〔問い〕配布した『社会システム論』の文章において、〈環境〉はどう定義されればよいか。
※ヒント:冗長でない表現で定義するように心掛ける(・・・冗長でないとは同じ言葉の繰り返しでないことです)。
 ex.冗長な定義:2の倍数とは、2で割り切れる偶数のことである。
 論文を書くとき、その論文に限定して、意味を定義する場合がある。例えば〈環境〉とは、システムの外部を指すといった場合。そのように「新しい」意味で使うさい、ヤマ括弧〈〉で括る。それに対して、従来から使われてきた意味で用いるさいは、カギ括弧「」で括る。
 ex.「環境」とは、人間や生物の周囲にあって、意識や行動の面でそれらと何らかの相互作用を及ぼしあうものである。
 ■
意味を区別して使いたいとき小文字の数字を添えることがある。
 ex.生態系主義1とは生態系の価値を人間存在の価値より重視する立場であり、生態系主義2とは生態系の価値と人間存在の価値を等しく捉える立場である、のように。生態系主義2は人間中心主義の変形かもしれません。

事実認識の例:商大で論理学を学んでいる学生の人数は少ない。
 ■単に辞書を引くだけでは分からないことを根拠にする場合。実地の調査・インターネットの検索ということが必要となってくる。引用にさいしては、細心の注意が必要である。→著者、出版年、書名、出版社、ページ数を明記する必要。インターネットの場合はURL/閲覧日。
 インターネットに書かれていることは、
六割は嘘というぐらいの心構えでいた方がよい。必ず元の資料にあたって、裏を取ることが必要。
 ex.wikipediaではバークリという哲学者を紹介するさい、esse est percipiという表現を使っているが、正しくは原文では、esse is percipiである。前者は「存在は知覚される」に対して、後者は「存在とは知覚されることである」を意味する。意味的に自明な前者ではなく、後者を表現したいなら、どうしてもisでなくてはならない。アメリカの大学で島原の乱に関する誤答が頻出したのはwikiのせいだという。

〔資料〕George Berkeley,1949(←1734,17101)A Treatise concerning the Principles of Human Knowledge,Thomas Nelson and Sons Ltd.,PartⅠsection3.
For,as to what is said of the absolute existence of unthinking things without any relation to their being perceived,that seems perfectly unintelligible.
Their esse is percipi,nor is it possible they should have any existence,out of the minds or thinking things which perceive them.

価値評価の例テロリズムに対しては、断固とした報復がなされるべきである。
 ■価値評価に対しては、前提に対する拒否という、態度が考えられる。そのさい、異なる価値評価を提出することが必要である。
〔問い〕上の価値評価を拒否するとしたら、どのような代わりの評価があるだろうか。価値評価の根拠をさらにさかのぼり、その各々の(価値評価の)根拠に対して異なる価値評価を考えなさい。

〔問い〕以下の資料はどのような価値評価を根拠にしていると思うか。

〔資料〕蓮實重彦、1996、「〈美〉について」『知のモラル』東京大学出版会、142ページ。
 来るべき世紀〔21世紀〕の〈知〉が演じるであろう振る舞いをめぐっては、いかなる具体的イメージもいだくことができない。したがって、その「モラル」を論じることも不可能なのですが、いま私たちが生きつつある世紀にどんな別れの言葉をつげるべきかについては、まったく考えがないわけではありません。この世紀が、「20世紀の19世紀化」ともいうべき反動形態を世界のすみずみにまでゆきわたらせることで、かろうじて安定をはかってきたという事実に対する反省の言葉が、どこかで発せられねばならないと思っているからです。
 たとえば、普通選挙による議会制民主主義が基盤とする「代表」的な思考は、決定的に19世紀の産物です。にもかかわらず、20世紀もおしつまったこの世紀末に、自分が何ものかによって「代表」されるという状況は何の矛盾もなく受け入れられ続けている。それが不思議でなりません。国会は日本国民を「代表」することになっていますが、いまでは誰も、そんな事態を信じてはいない。にもかかわらず、それに変わる制度が見当たらないというだけの理由で、議会制民主主義は21世紀まで無傷で生きのびてしまうでしょう。だが、はたして、それでいいのだろうか。
 こうした疑問は、民主主義の否定を提起しているかに思われがちですが、そんな意図などこれっぽっちもありません。日本の議会制民主主義が、選挙区を小さくするといった手直しで21世紀にふさわしいものとなろうとはとても思えない。誰かが誰かを「代表」するという制度の意味を改めて考え直してみないかぎり、到底、安心して20世紀に別れの言葉を告げることはできそうもないのです。

〔勉強のすすめ〕万引きをめぐる以下の対話における価値評価を吟味せよ。[→野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』24-25ページより改変。]
・・・かつて、コンビニで子どもをつれて買い物をしている若いお母さんが、子どもがほしがるものを、勘定をすませる前に、子どもの手ににぎらせてしまうことが問題になったことがある。それをめぐるオバサンの対話である。
A「子どもには、よそ様に迷惑をかけるなということを、よくよく教えておかなければなりません。品物を、籠の中に入れておかないのでは、レジの方にもご迷惑でしょう。それに、わがままにならないよう「待つ」のを教えることも、大切だと思います。私の孫が小さいときには、コンビニというものはございませんでしたが、駄菓子屋でも果物屋でも、子どもがほしがるから「しようがない」ということはございませんでした。最近は、そういう躾ができておりませんために、若い人の万引きが流行るのではないでしょうか」。
B「万引きがふえるというのは、店の管理が悪いからです。品物を子どもの手に持たせたって、お金はちゃんと払うんですから、どこが悪いんですか。お金を計算するのが仕事なんだから、子どもがどう持っていようと、ちゃんとレジで計算すればいいんです。周りが悪いのに、躾を何とかいうほうがおかしんです」。

〔補足〕書誌事項の掲げ方↓著者・訳者、刊行年、書名・論文名(雑誌名・巻・号)、ページ数。

ex. ここでパウンドストーンによる定式化を借り、広い文脈で考えよう(パウンドストーン,1995,277ページ以下)。二人とも協調して、協力し合った場合の、片方の利益をCCとする。二人とも裏切って、裏切り合った場合の、片方の利益をDDとする。片方が出し抜いたとして、協調的な側のプレーヤーの利益をCDとし、裏切った側のプレーヤーの利益をDCとする。これらに対応する選好順序は4!=24通りである(ただし相手も同じ選好を取るとする。もしそうとは限らなければ242通り)。次の二つの見込みが成立つ。①自分が協調したとき、相手も協調してくれると大きな利益を得られるから、CC>CD。②自分が裏切っても、相手に協調を求めるものだから、DC>DD。この条件を充たすものは24通りの半分の半分、つまり以下の6通りである。
DC>CC>DD>CD 囚人のジレンマ(タイプα)
CC>DC>DD>CD 鹿狩りゲーム(タイプβ)
CC>CD>DC>DD タイプβ'
CC>DC>CD>DD タイプβ''
DC>CC>CD>DD チキンゲーム(タイプγ)
DC>DD>CC>CD 行き詰まりゲーム(タイプδ)
 タイプβ・β'・β''・γにおいては、CC>DCかまたはCD>DDだから協調選択をするなら、得るものがある。とりわけタイプβ'はセンがOR選好と呼び、協調への強い促しをもつ。しかし、例えばバイア(Baier,K.,1977)は個人にとってCCより割の合わないCDを、相対的に高く評価しているがゆえに非合理的だと考えた。同様の理由から、これらβ'・β''・γは非合理的と見られることになるだろう。逆の見方をすれば、個人にとってDDより望ましいDCを、相対的に低く評価するβ・β'・β''を、非合理的と見なす論者もいるかもしれない。ここでは合理的か疑わしいβ'・β''(「弱すぎる目的合理性ゲーム」)を脇に置こう。
〔文献一覧〕
 Baier,Kurt,1977, "Rationality and Morality",Erkenntnis,Vol.11(1),S.197-223.
 Poundstone,William, 1992, Prisoner's Dilemma, New York: Doubleday. (1995,松浦俊輔訳『囚人のジレンマ』青土社。)

〔オマケ〕CCは協力、DDは裏切り合いと呼ばれるべきである。ではCD、DCはどう表現されるべきだろうか?

6. 導出の適切さ [→教科書:野矢茂樹(2006)課題問題を班毎に解く]
[授業目標]導出にあたっての適切さを確かめるため、「あえて反論する」トレーニングにチャレンジする

 前提を自覚する:何が前提かによって結論が変わってくる。
 前提に対する感覚を磨こう。

例:囚人のジレンマにおいて、弟が自白したとき、自白したほうが都合がよい。また弟が黙秘したとき、自白した方が都合がよい。つまり私にとって、自白が一番よいと考えられる。弟の方でもそう考えるだろうから、双方は自白すべきである(罪の軽減という短期的利益を前提)。もしくは、相手との利得の差ができるだけ顕著になるよう、意図するなら、自白が優先されるかもしれない。

私\弟 自白 黙秘
自白 懲役五年実刑 釈放+一億円
黙秘 終身刑 執行猶予つきの懲役一年

 仮に上のことを認めたとしても今、犯罪が完結しておらず、双方ともに、犯罪の続きを繰り返そうと思っていたとする。それなら早く出所できる執行猶予付きの懲役一年という方が、犯罪(共同行為)を継続できるという、利益が得られるから、より望ましいとは言えないか(共同行為の継続という長期的利益を前提・こちらの方が「道徳的に」推奨される二人共同体の協力)
 再犯が可能な点(共に最善の行為を目指すという点)でも黙秘し合うのが、望ましいだろう。ただし、ここでの犯罪は、一応、独裁政権に対する、民主化闘争の一環だったとする。
〔問い〕終身刑ではなく、死刑であったら、貴方は自白するか・黙秘するか。
〔問い〕繰り返しの無限回の囚人のジレンマで、相手がトリガー戦略を採るとしたら、自白すべきか、それとも黙秘すべきか[→岡田章、1996、『ゲーム理論』有斐閣、207-208ページ]
私\他人 自白 黙秘
自白 2 5
黙秘 0 4


〔問い〕CC>DC>DD>CD 鹿狩りゲームのとき、CCを採るとは限らないことを説明せよ。
 「例えば以下の鹿狩りの場合(Rousseau,J.J)を考える。鹿狩りともなれば、自分の鹿狩りの持場を守ろうとふつう、思う(CC)。だがそのさい、ウサギが誰かの持場のそばを走っていったとする。その者は罪の意識もなく、そのウサギを追いかけて、鹿狩りの持場を離れてしまう(DC)かもしれない。自分だけウサギをしとめて、残りの仲間がシカを取り逃がしたことなどまったく気にもとめないかもしれないと、疑ってしまうのだ。もちろん、鹿もウサギも狩れない場合(CD)が最悪である。
 このさい戦略によって、CCが採られたりDDが採られたりする。例えば、CCをあえて実現しようとせず、「少なくとも動物性蛋白の補充はしておきたい。ウサギさえ狩れないのは最悪である」という考えから、DDを採る場合が考えられる。もしくはあえて「主体的」にDDを採る場合は、「まあ鹿なんて狩っても、しかたがないさ」という非協調的な価値観、つまりニヒリズムが背景にあるのかもしれない。結局鹿狩りゲームの場合、「独特な価値」にコミットすることで、CCとDDのいずれを選択するかの、差が出てくる」。


導出の関連性が強いかどうかは、前提を認めたうえで、結論が成り立つか調べて見るとよい。

あえて反論するという手続きが有効である。前提を認めたうえでなお、結論には達しないことを示すことが、導出の関連性を調べるためには有効。


例:男女の生理的な特徴はちがう。したがって、雇用に当たって、その特徴を考慮した上で、男女間に格差が生じることはやむをえない。
あえて反論する→たしかに男女の生理的な特徴はちがう。したがって、業務を行う上で片方の性別でなければならないならば(守衛・モデル等)、雇用に制限されることはあるかもしれない。しかし、両性は、法的権利を斉しくもつものであるから、生理的特徴から推測される顕著な、差異に基づく雇用にあっての例外を除いて、可能な限り雇用機会の均等が保障されなくてはならない。

例:デモは常に暴徒と化す可能性を孕んでいる。ゆえに公共の福祉の観点から、デモは許可制にすべきである。
あえて反論する→〔非暴力のデモもあるから、かなり前提は疑わしい。しかし〕仮に常に暴徒と化す危険性を含んでいるとしよう。しかし、許可制が唯一の制約手段ではなく、届出制にすればある程度、デモの暴徒化を抑制する効果を期待できる。また仮に届出なしととしても、隊列の幅の制限・橋梁の占拠の禁止等、暴徒化を防ぐための手段は他にも考えられる。

〔問い〕班ごとに野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、課題問題4の問6、問7をやること。

7. 演繹と推測のちがい 隠れた原因・統計処理[→教科書:野矢茂樹(2006)第5章]
[授業目標]演繹と推測のちがいを理解する

〔問い〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、練習問題5の問1。

例えば「三角形の内角の和は2直角である」を確かめるにはどうするでしょうか。まず分度器をあてて足し算をするでしょうか。そんな、経験に訴えることはしません。三角形全部においてどうして正しいの?と聞かれたらどうします?無限個ある三角形を全部描いてみたの?と貴方が家庭教師をしている生徒に聞かれたとします。そんなコトできっこないよ、と答えるのが関の山でしょう。じゃあ、どうしてぜんぶ必ずそうだって分かるの、と生徒に聞かれたら。[→野矢茂樹、1994、『論理学』東京大学出版、2-5ページ。]
恐らく貴方は証明してみることでしょう(補助線を書く)。「ほら証明してみたじゃないか」と答えようとします。しかし、貴方の教え子はひるみません。でもこの三角形でしか証明してくれてないよ。お手上げです。
そもそも一個一個確かめようとしたのが間違いだったのでは?例えば正しい演繹の例として次のようなものがあるでしょう。
独身者には配偶者がいない。
配偶者がいなければ結婚していない。
ゆえに独身者は結婚していない。

この演繹の正当化は、ひとえに「独身者には配偶者がいない」「配偶者がいなければ結婚していない」という定義、つまり辞書の参照にかかっています。したがって演繹の本質は?という問いに答えるなら、「観察」ではなく「言語に焦点を絞るべきでしょう。先の「三角形の証明」も三角形の意味に関係する「点」「線」「頂角」等々に依拠するのです。要するに「証明」とは、言葉のもっている「意味」の中にあるものを、さらに引き出してくることなのです。つまり演繹とは意味が関わる導出のことです。例えば「三角形は三つの辺をもっている」ことを正当化するのは意味そのものです
 それに対して推測とは「意味だけからは導出されないような事実を導く」ことで、帰納的推論「昨日も、おとついも、さきおとついも、太陽は東から昇った。故に常に太陽は東から昇る」がその典型です。

 帰納的推論とは、推測の一種である。

〔資料〕野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』中公新書、66-68ページ。推測の根拠が薄弱な場合。
 水俣市で奇病が発生したとき、熊本大学医学部や市の奇病対策委員会は、病因の解明に血のにじむような努力を重ねなければならなかった。奇病が細菌やウイルスによるものではなく、魚介類の汚染によることがほぼ明らかになってからも、いったい何の物質による汚染が病因であるかが、なかなか確定できなかった。それにしても、マンガン、セレン、タリウム、水銀など、新日窒水俣工場の廃水に含まれる物質が候補にあがり、また疫学的調査からも、工場廃水が原因であることは早くから推定されていた。しかし原因物質がはっきりしないと、水俣湾での漁獲を法律で禁止することができない。そこで「魚をとってもよいが、食べないように」という苦しい指導をしている間も、工場の廃水はひき続き流されていた。
 このような状況の中で、「新日窒の責任ではない」という学説もいくつか提案された。そのひとつは日本化学工業協会の報告による「敗戦のときに旧軍隊が水俣湾に捨てた爆薬が原因かもしれない」という珍説である。また東京工大のK教授による「水俣病の原因は工場廃水ではない」「病因は水銀ではなく、アミン系の有毒物質と考えられる」という説もあった。
 「爆薬説」のほうは、素人眼にもアヤシげであって、企業側の「ウヤムヤにしてしまおう」という意図が露骨に感じられる。こんな思いつきの説と、まじめな研究班の苦心の学説とをコミにして、強引に相殺されたのでは、これは詭弁どころか「強弁」といわれても仕方がないであろう。
 このような、「……とも考えられる」とか「……かもしれない」という論法は、詭弁的相殺法になりやすいものである。ひとつやふたつ反駁されても、次から次へと新説を並べてウヤムヤにしてしまおうとする作戦なら、それはまぎれもない詭弁である。もちろん「……とも考えられる」という説が、学問的にも現実性のあるものであれば、それは貴重な反論として、真剣にとりあげなければならない。しかし、ただ論理的・抽象的可能性として「ありうる」だけで、「多分そうだろう」という現実性・蓋然性を無視した説にこだわるのは、本人が主観的にどういうつもりで述べていようと、詭弁といわれても仕方がない。

 普遍的な法則を推測するさい、もちいられるのが帰納法なのに対して、(個別的な)条件にあたる事実を推測するさい、もちいられるのが仮説形成です。


※教科書例題2には深入りしません。箇条書きに要点をまとめておけば、
一、証拠や前提によって仮説が形成されます。仮説形成は厳密な演繹ではありません。
二、逆に仮説や前提によって証拠が説明されます。

〔問い〕食塩は温度20℃ではたいてい湿度75%以上なら潮解性を示す。(ならばを使うと「温度20℃ならば「湿度75%以上ならばこの食塩は潮解性を示す」。
 「この食塩が今、潮解性を示さないという証拠」からどのような仮説が形成されますか。そのさい前提となって働いているのは? またその仮説を補強するにはどのような証拠をさらに加える必要がありますか
ヒント:湿度の測り方?

〔問い〕「地面が濡れている」として、「先ほど雨が降った」とは異なる仮説を作ってみよ。また「先ほど雨が降った」を根拠に、「地面が濡れている」と主張できるか、検討してみよ。

〔問い〕「酒場「悲の器」は交歓会に適している」という仮説形成(推測)を支持する論拠をできるだけたくさん作りなさい。

〔問い〕キリギリスはひと月働くと3000ドルもらえる。ではキリギリスの年収は、優に3万ドルをくだらない、と言えるか。

〔問い〕ドーナッツ店に足繁く通っていた、大学生のX子さん、Y子さんたちは、生理不順に見舞われた。ということは、ドーナッツが生理不順の原因と言えるか。若い子の生活パターンを考慮して、別の因果関係を考えよ。

〔問い〕テレビは社会のモラルを荒廃させている。どの番組も暴力や利己主義や不法行為を描いている――現実の世の中を見れば、まさにそのとおりではないか! テレビの内容以外の、社会のモラル荒廃の原因として、どのようなものが考えられるか[→アンソニー・ウェストン著/古草秀子訳、2005、『論理的に書くためのルールブック』PHP研究所、77ページ]。

〔問い〕雑誌社は選挙の事前に、有権者から折り込みはがきで選挙動静の調査を行った。しかしながら、帰ってきたはがきの、勢力分布とは全く異なる選挙結果となった。どのような理由が考えられるか。

〔勉強のすすめ・・・結構むずかしい・ペアノの公理系〕以下の公理から演繹される構造をもつ集合Nにおいて、足し算が成り立つことを示せ。以下の*が足し算に対応する演算子(すなわち関数だからa=bならばa+=b+)である。
(1)Nは壱番目を含む。これを1で表わす。
(2)Nの任意の要素aに対してaの次に来る要素a+をNが含む。
(3)a+=1となるようなaは存在しない。
(4)a+=b+ならばa=b
(5)MがNに含まれる集合であり、1を含み、Mに含まれる任意のaに対して必ずその後続者a+を含むならM=Nになる。
定義(1) x*1=x+
定義(2) x*y+=(x*y)+

Nのすべての要素x,yに対してx*yが定まる。
 証明 すべてのxに対してx*yが定まるようなy全体の集合をMとする(仮定)。
 x*1=x+(定義(1)と仮定)は定まるから、Mはたしかに1を含む。
 yがMに含まれればx*y(仮定)が定まる。またx*yが定まれば定義(1)より(x*y)+も定まる。定義(2)より(x*y)+=x*y+。よってy+もMに含まれる。そういうMは公理(5)によってM=Nになるはずだから、Nのすべての要素yに対してx*yが定まる。故にNのすべてのx,yに対してx*yが定まる。

Nのすべての要素x,y,zに対して(x*y)*z=x*(y*z)(結合法則が成り立つことを示せ)
 証明 すべてのx,yに対して上の等式が成立するようなz全体の集合をMとするとM=Nである。
 証明の手順 
 ①Mは1を含む:(x*y)*1=x*(y*1)を示す。
 ②zがMに含まれればz+がMに含まれる。つまり(x*y)*z=x*(y*z)が成り立つようなzを仮定して(x*y)*z+=x*(y*z+)を示す。
          左辺の+を作ると定義(2)より[(x*y)*z]+(x*y)*z+ 
          右辺の+を作ると定義(2)より[x*(y*z)]+
x*(y*z)+
                                    =x*(y*z+)
よって
 (x*y)*z+=x*(y*z+)①・②と公理(5)より題意は示された。

・交換法則は結合法則を複数回適用することによって証明される。

8. 仮説を評価する[→教科書:野矢茂樹(2006)第5章]
[授業目標]説明力が豊かな仮説を形成する

〔問い〕教科書79ページ。例題3を解け。「なぜ?」と問われている事実が証拠である。①から③は前提であって、それじたいは問われている証拠でない。証拠こそが仮説によって説明が試みられる。そのさい証拠を説明する仮説が複数考えられることがある。仮説を強固にするためには、他の仮説を排除しなくてはならない。

仮説の適切さ
(1)仮説の説明力 証拠となる事実を(前提と合わせて)仮説から演繹できるか(仮説演繹法)。

 説明力は、現象と一致するかどうかによって、試されます。例:科学史ではニュートンは帰納法を採ったのではなく、仮説演繹法(法則の発見は、たいてい、基本的には科学者の創造的な洞察力によるのであって、何らかの帰納的推論に拠るのではない。法則の正当化は、それからの演繹結果と観察の一致によってなされる)をとった、と言われます(松山壽一、1999、「ニュートン自然哲学における実証と思弁――自然科学と自然哲学(再考)」『科学技術のゆくえ』ミネルヴァ書房、83-84ページ)。→惑星の運動法則が認められるとして、それを説明する仮説として万有引力を考えました。それを想定すると、現象がうまく説明できた、というわけです。

(2)前提条件は確かか?
 水星の近日点〔水星が太陽に一番近づいた位置〕移動が説明されるさい、ニュートン力学が正しいことが前提されていました。しかしそれは誤りで、正確には、一般相対性理論を適用しなくてはならないことが、明らかとなっています。仮説は、前提を主題化することなく、それによる証拠を説明する、という機能を果たすのです。

〔例題〕「福島第一原発2号機は冷温停止している」という仮説と競合する、他の仮説を提示しなさい。どちらの仮説が消去されるか、その理由と共に述べなさい。
 冷温停止とは(=知恵蔵2013の解説.に拠ると)核分裂を抑制し、核分裂が一定の割合で持続するという臨界状態から脱却させ、温度を下げて安全に原子炉を停止させること。
 原子炉は、制御棒(核分裂によって生まれる中性子を吸収する素材でできている)を核燃料の間に挿入し、核分裂の連鎖反応を抑制することで停止させることができる。制御棒の挿入で、臨界を脱すると、原子炉の出力は低下し、炉心の温度も下がる。
 日本の商用原子炉で採用されている軽水炉では、減速材(中性子が核燃料と効率良く反応するように速度を下げるためのもの)として軽水(普通の水)を利用する。同時に、原子炉から熱を取り出す冷却材としても水を用いている。水の沸点が100度であるのに対して、定常運転中の原子炉の炉心温度は300度前後になる。燃料棒交換などに際しては、炉内の水の温度が100度未満となり、継続的で安定した冷却が保たれ、放射性物質が放出されない状態にする必要がある。この状態を維持することを「冷温停止」という。  
【ポイント】①仮説は証拠を説明する。仮説と暗黙の前提から、論理的に証拠が演繹されなくてはならない。
例・・・「福島第一原発2号機は冷温停止している」(仮説)+原子炉の温度計は正常な機能を果たしている(前提)→原子炉の温度計は100度未満の値を示すと予想される。実際、2013/3/1現在、圧力容器底部温度計は31.6℃の値を示している(証拠)。
 仮説と前提から証拠を導くのは演繹である。
 証拠から仮説を導くのは推測である。仮に証拠が正しいとしても他の仮説は存在しうる。

 
たとえば100度以下の温度に原子炉内が一時的になったとしても安定的に核分裂は抑制されておらず、一時的に核分裂の速度が水の減速効果から、低減したこと(=冷温停止していないこと)は考えられる。この冷温停止していないという他の仮説、つまり一時的な低減を消去するためには、ガイガーカウンター等の補助観測機器の指標を手掛かりにしなくてはならない。
 仮に証拠が正しいとしても、前提が違えば他の仮説が存在しうる。すなわち31.6℃の値を示す原子炉の温度計が破損しておれば、冷温停止していないことも考えられる。
【ポイント】②証拠は仮説をつくり出す。原子炉の温度計は100度未満の値を示しているなら、おそらく冷温停止しているだろうと推測される。(仮説形成の推測たるゆえんである)
〔宿題〕冷温停止と判断されるためには何が必要条件か、調べてこよう。

+α(3)他の有力な仮説との競合関係において、仮説が生き延びるか決まってくる。以下の文章の理論を仮説と置き換えると、意味が通じるでしょう。

例:彼の性格はおうようである。なぜなら彼の血液型はO型だからだ。←経験的内容に乏しい仮説・証拠少、つまり「退化的」な血液占いという研究プログラムに依拠している。
例:彼の性格はおうようである。なぜなら両親の性格がおうようなので、彼の教育方針に反映したものと思われる。←経験的内容がより豊かな仮説・証拠多

 前提は証拠と仮説が共通して、根拠とするもの。
 証拠は仮説から論証されるもの。

〔問い〕「今日の九鬼教授の機嫌はすこぶる悪い」。この仮説を確かめるさい、証拠・前提となる事柄を列挙しなさい。
ヒント:声が震えている(証拠)。・声が震えている人は概して気分が昂ぶっているものだ(前提)。
注:気分が昂ぶっているとしても、機嫌がすこぶる悪いとは限らない。もしかすると、コーヒーを飲んで気分がちょっと興奮しているのかもしれないからである。九鬼教授がコーヒーを飲んだせいで、気分が昂ぶっているという仮説を消去するためには、どんな証拠がさらに必要か。

〔問い〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、練習問題5の問3を解きなさい。
〔問い〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、課題問題5の問6を解きなさい。

〔勉強のすすめ〕次の文章を読み、仮にこの文章が正しいとした場合にこの文章から正しく推論できるものを下の①~⑤のうちから1つ選べ。
 「最近、あるダイバーによって、日本海沿岸に巨大な洞窟が発見された。その洞窟へは海中にあるトンネルを通ってしか行くことができない。洞窟の中は完全に海水で満たされており、巨大な石筍が何本も立っていた。この石筍は、洞窟内のある一地点に水滴が何年にもわたって落ち続けることでできた、ミネラルの堆積物である」。
① 日本海の水位は今より昔のほうが高かった。
② 現在、洞窟の中の水位は以前よりも高い。
③ このダイバーは、その洞窟につながるトンネルがあることを発見した最初の人間である。
④ かつては、この海中トンネル以外にも、洞窟への入り口は存在した。
⑤ 日本海の海水は、石筍が形成される前に比べ、ミネラル分が減少した。[→伊藤真監修、2003、『適性試験トレーニング問題集』中経出版、59ページ。]

9. 演繹1 否定とド・モルガンの法則[→教科書:野矢茂樹(2006)第7章]
[授業目標]否定の基本とド・モルガンの法則を学ぶ

 Aの否定はAにたいして中立と反対の可能性からなる。

義務should(must)の否定:許容(中立)+禁止must not(反対) must notに対しmay notの不許可。
ドイツ語の場合、必然的義務müssen(「必要がある」)の否定は禁止nicht dürfen (nicht müssenは「必要がない」)

ex.You must not miss such a good chance.
ex.You should refrain from judging others hastly.

必然mustの否定:可能(中立)+否定の必然cannnot(反対)  注意:必然のかわりに当然になったりする。
ex.Your letter must have reached him by this time.
ex.The rumour can not be true.=The rumour must be false.

〔問い〕以下の問いに答えよ。
①太郎は臆病でも向こう見ずでもないはどうなるか。
②太郎は臆病というわけではないと、太郎は臆病でも向こう見ずでもないは両立可能か。
③太郎は勇敢であるであると、太郎は向こう見ずであるは両立可能か。

〔勉強のすすめ〕左右の文が同じ意味になるよう、空所に1語入れよ。
I'm sure you were surprised to hear of his marriage.=You (  )(  )(  ) surprised to hear of his marriage.
It is impossible that he has done the work for himself.=He (  )(  )done the work for himself.

〔宿題〕中立にあたる徳を挙げよ[→アリストテレス著/高田三郎訳、1971、『二コマコス倫理学』岩波文庫]
肉体的快楽に関する放埓と無感覚・怒りに関する癇癪と意気地なし・状態に関する虚飾と卑下

「Aかつ B」というような文:連言文
「かつ」で代表されるような接続関係を連言と呼ぶ。

「Aまたは B」というような文:選言文
「または」で代表されるような接続関係を選言と呼ぶ。

■ド・モルガンの法則
(PかつQ)でない=(Pでない)または(Qでない)  下表の緑の可能性
(PまたはQ)でない=(Pでない)かつ(Qでない)  下表の黄の可能性
〔問い〕P、Qに対応する「真理集合」(つまり命題P,Qが成り立つ可能世界:この考え方は難しいから理解できずともよい)が交わりをもっているとして、ド・モルガンの法則をベン図で確かめよ。

Qである Qでない
Pである
Pでない
   
Qである Qでない
Pである
Pでない

〔問い〕「太郎はピーマンか宇治原が好きである」を、ド・モルガンの法則を使って否定せよ。
〔問い〕「太郎はピーマンが好きであり、かつ宇治原を慕っていない」を、ド・モルガンの法則を使って否定せよ。
〔問い〕「年度初めは4月1日であり、かつ嘘をついてもよい日である」を、ド・モルガンの法則を使って否定せよ。
〔問い〕「4月1日は嘘をついてもよい日であるか、嘘で災難にあう日である」を、ド・モルガンの法則を使って否定せよ。

〔宿題〕姉のいない生徒には、兄か弟がいる。妹のいる生徒には、兄も姉もいない。ゆえに妹のいる生徒には弟がいる、を正しく導けるか。
〔宿題〕以下の推論は正しいか[→野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』中公新書。一部改変]
① ストーン・ブレインは科学者か芸術家である。ストーン・ブレインは科学者である。ゆえにストーン・ブレインは芸術家でない。
② ストーン・ブレインは科学者か芸術家である。ストーン・ブレインは科学者でない。ゆえにストーン・ブレインは芸術家である。

10.演繹2 述語論理学の基礎[←教科書:野矢茂樹(2006)第7章]
[授業目標]三段論法の基本を学ぶ

 (すべての男は怠慢である)ということはない。=或る男は怠慢でない。(男のなかには怠慢でないものが存在する)
 (或る男は怠慢である)ということはない。(男のなかには怠慢であるものが存在しない)=すべての男は怠慢でない。
 すべてのPはQでない、と(すべてのPはQである)ではない、はちがう。
 或るPがQでない(PのなかにはQでないものが存在する)、と(或るPがQである=PのなかにはQであるものが存在する)ではない、はちがう。
 全称の否定=否定の存在  (すべてのPはQである)ではない=或るPがQでない
 存在の否定=全称の否定  (或るPがQである)ではない=すべてのPはQでない

 すべてのPはQである(A型)=すべてのxについてPxならばQx
 すべてのPはQでない(E型)=すべてのxについてPxならば(Qxでない)
 或るPがQである(I型)=或るxについてPxかつQx
 或るPがQでない(O型)=或るxについてPxかつ(Qxでない)
という四つの型の呼び方は、ラテン語の「肯定する」affirmo,「否定する」negoの母音に由来する。A:全称肯定 I:特称肯定 E:全称否定 O:特称否定

 なおここではアリストテレス論理学が密輸入していた存在仮定を、前提にして話を進めるため、以下のような表記を取ることもある。
或るSはPである=SのなかにはPであるものが存在する
或るSはPではない=SのなかにはPでないものが存在する

 すべてのPはQである(A型)の否定=或るPがQでない(O型)*2
 或るPがQである(I型)の否定=すべてのPはQでない(E型)*1

〔問い〕以下の言い換え規則*1をベン図で確認せよ。

*1すべてのPはQでない(E型)
=すべてのxについてPxならばQx
でない=すべてのxについてPxならば¬Qx
=(或るxについてPxかつQx)ということはない
=或るPがQである(I型)の否定
*2或るPがQでない(O型)
或るxについてPxかつQxでない=或るxについてPxかつ¬Qx
(或るxについてPxかつ¬Qx)ということはない)ことはない  ここで*1を使って、
(すべてのxについてPxならば¬¬Qx)ことはない
(すべてのxについてPxならばQx)ことはない
すべてのPはQである(A型)の否定

1挌 M-P S-M├ S-P
2挌 P-M S-M├ S-P
3挌 M-P M-S├ S-P
4挌
 P-M M-S├ S-P

〔問い〕以下の三段論法に合う例を考えよ。
(2格E-I-O)Festino すべてのPはMでない。或るSはMである。或るSはPでない。
(3格E-A-O)Felapton すべてのMはPでない。すべてのMはSである。或るSはPでない。
(3格O-A-O)Bocardo 或るMはPでない。すべてのMはSである。或るSはPでない
(3格E-I-O)Ferison すべてのMはPでない。或るMはSである。或るSはPでない。
(4格E-A-O)Fesapo すべてのPはMでない。すべてのMはSである。或るSはPでない。

〔問い〕
①すべての倫理学者は倫理的である、の否定を作れ。
②或る倫理学者は倫理的である、の否定を作れ。
③すべての日本人は白人でない、と同じ主張をすべての白人を主語にして述べよ。
④或る食品は危険物である、と同じ主張をある危険物を主語にして述べよ。

〔問い〕
①美しい人は、早死にする(佳人薄命)、の否定を作れ。
②倫理学者は、態度がでかい、の否定を作れ。
③努力は、必ずしも報われない、の否定を作れ。

〔例題〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、練習問題7の問6。

野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』中公新書、91-96ページ。
否定二前提の虚偽
 「すべての猫は犬ではない」「すべての小犬は猫ではない」ゆえに「すべての小犬は犬ではない」というのは誤り。
不当肯定の虚偽
 「天才は異常である」「彼女は異常でない」ゆえに「彼女は天才である」というのは誤り。
特称二前提の虚偽
 「或るユダヤ人は、借りたお金を返さない」「或るユダヤ人はケチである」ゆえに「或るケチな人は金を返さない」というのは誤り。
媒概念曖昧の虚偽
 「羊は羊飼いが導く」「あなたがたは迷える羊である」ゆえに「あなたがたは羊飼いが導く」というのは誤り。
 Nothing is better than my wife.A penny is better than nothing.Hence a penny is better than my wife.というのは誤り。
 「人間はすべて兄弟である」「兄弟は男である」ゆえに「人間はすべて男である」は誤り。
四個概念の虚偽
 「ピラニアはさかなである」「私が食するのに窮するものはピラニアである」ゆえに「私が食するのに窮するものは酒の肴(さかな)である」というのは誤り。

〔宿題〕すべての京風雑煮はカツオだしではない。京風雑煮の中には、くわいの入っているものがある。或るくわいの入っている雑煮にはカツオだしでないものがある。正しい推論かベン図で確かめよ。

〔問い〕×がAさんのとき
(1)Aさんは独身ですか。
(2)Aさんは仮面ライダーのファンですか。
(3)Aさんは大学生ですか。
(4)Aさんは配偶者はいますか。
(5)AさんはOLですか。
(6)Aさんは小芝風花さんですか。
  

11.演繹3  逆・裏・対偶 「のときだけ」の文法[教科書:野矢茂樹(2006)第8章]
[授業目標]条件構造をもった文章の逆・裏・対偶を作ることができる

■逆・裏・対偶
逆・裏は必ずしも真でない。「ペンギンは海を泳げる」の
逆:「海を泳げるならばペンギンである」は偽
裏:「ペンギンでなければ海を泳げない」は偽
対偶:「海を泳げなければペンギンでない」は真
※注意:逆の逆、裏の裏、対偶の対偶はもとの命題に戻る。
※注意:もとの命題と対偶の真偽は一致する。たまたま逆・裏の真偽がもとの命題と一致することはある。ex.三角形は3辺をもつ多角形である。逆:3辺をもつ多角形は三角形である。裏:三角形でなければ3辺をもたない。

 条件構造をもつ命題だけが、逆・裏・対偶を作れる→存在文は逆・裏・対偶を作れない。

ペンギンはすべて寒流を泳ぐ、というわけではない。=ペンギンの中には寒流を泳がないものがいる。・・・こうした文章には条件構造は認められない。

〔問い〕「信号機が赤ならば進んでいけない」の逆・裏・対偶を述べよ(便宜上、先と紛らわしいが、「信号機が赤」を命題Aと置き、「進んでいけない」を命題Bと置く)。便宜的に、「止まれ」の黄も進むことを許容していないものと解しておく。

〔問い〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、119ページ、例題2。

〔問い〕「文系の人は論理に弱い。O教授は論理に弱い。ゆえにO教授は文系である。」という推論が誤っている理由を挙げなさい。

〔問い〕「日本においては、犯罪の件数は増加している」「犯罪が増加しているなら、社会的不安は増す一方である」「日本においては、社会的不安は増す一方である」の前提、結論を検討し、この推論の正しさを検証せよ。

〔問い〕「単位を修得しているなら、履修登録している」の逆は正しいか。

〔問い〕「インフレならば、物価が上がる。アベノミクスが成功しているならば、インフレである。物価が上がるなら、アベノミクスが成功している。」という推論が誤っている理由を挙げなさい。

 対偶は、もとの命題と真偽が一蓮托生である→対偶をチェックして偽ならば、もとの条件法は偽である。

〔問い〕「魚でないならクジラでない」は正しいか。対偶を作り、チェックしなさい。⇔対偶「クジラは魚である」

〔問い〕「結婚していないなら未亡人である」は正しいか。対偶を作り、チェックしなさい。⇔対偶「未亡人でないなら結婚している」(男やもめは結婚しているだろうか?)

メアリーはジョンのいる時だけ、ピアノを弾く。
・・・ピアノを弾いているなら、ジョンのいる時です。しかしジョンがいても、メアリーはピアノを弾く代わりに、トランプをしていたとしても、「メアリーはジョンのいる時だけ、ピアノを弾く」と矛盾しません。したがって「ジョンがいるならメアリーはピアノを弾く」という条件法は成り立たず、逆に「メアリーがピアノを弾くならジョンがいる時である」という条件法が成立するでしょう。

あるレコード会社のサイトで「アンケートに答えてくれた方のみ、弊社所属のアーティストによる限定版CDを販売いたします」との告知があった。アンケートに答えたある人XがインターネットでそのCDの購入を申し込んだところ、「販売できない」との返信があり「詐欺だ」と腹を立てた。この人は腹を立てているが、詐欺として訴える理由にならないことを論理的な観点から指摘せよ。またこの人が腹を立てても仕方がない面があるとすると、レコード会社の対応のどのような点が不適切だからなのかを述べなさい。[→鈴木美佐子、2004、『論理的思考の技法Ⅰ』法学書院、68ページ。]

〔略解6〕アンケートを答えてくれた方のみ、CDを販売するからと言って、アンケートを答えたなら必ず、CDを販売してくれる保証はない。ひょっとしたら、アンケートを答えてくれたうちの抽選にあたったものは、CDを販売してくれるのかもしれない。そうした十分条件を明示しなかった点が不適切である。「アンケートに答えてくれた方のみ、弊社所属のアーティストによる限定版CDを販売いたします」=「弊社所属のアーティストによる限定版CDを販売します方は、アンケートに答えてくれた方です」。

〔勉強のすすめ〕「中身と分離した時に不要にならないものは、容器包装ではない」を「のみ」を使って言い直せ。[→野矢茂樹、2001、『論理トレーニング101題』産業図書、問67より一部改変。]

※注意:限りは難しい→「この図形は三つの等しい角をもつときに限り、正三角形となる」。「あなたが生きている限り、私はあなたのそばを離れない」。同じ「限り」をもつ文章でも、論理構造が違ってくる。

日本国憲法第13条を以下のように訳しているものもあります。Article 13. All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

12.演繹4 条件連鎖のトレーニング[→教科書:野矢茂樹(2006)第8章]
[授業目標]条件連鎖の問題に慣れる

〔問い〕以下の推論は正しいか。
論理的な人は理屈っぽい。淡泊な人は理屈っぽくない。それゆえ淡泊な人は論理的ではない。   正・誤  
論理的な人は理屈っぽい。理屈っぽくない人は淡泊である。それゆえ論理的でない人は淡泊である。    正・誤  
〔問い〕以下の推論は正しいか。 [→野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、131ページより改変。]
 カフェインには眠気を取る作用がある。ジュースにはカフェインは含まれない。だからジュースには眠気を取る作用がない。 正・誤  
 ヒント:カフェインには眠気を取る作用がある、を言い換えれば、カフェインが含まれていれば眠気を取る作用がある、となる。ここから、カフェインが含まれていなければ眠気を取る作用がない、を導くのは妥当な推論か。
〔問い〕以下の推論は正しいか。
 認識がア・プリオリでないならば、それは経験的判断である。認識がア・プリオリでないならば、それは必然的でない。それゆえ、経験的判断は必然的でない。 正・誤  
 ヒント:認識がア・プリオリでないならば、それは経験的判断である。これから、認識が経験的判断にであれば、ア・プリオリでない、を導いてもかまわないか。
 
〔問い〕ア~オのことを前提にしたとき、論理的に導かれるのは1から5のうちどれか。
ア 国語が不得意な者は英語が不得意である。
イ 数学が得意な者は英語が得意である。
ウ 社会が得意な者は理科が不得意である。
エ 国語が不得意な者は理科が得意である。
オ 体育が得意な者は英語が不得意である。
1体育が得意な者は国語が不得意である。
2社会が不得意な者は理科が得意である。
3国語が得意な者は社会が得意である。
4英語が不得意な者は国語も不得意である。
5国語が不得意な者は数学も不得意である。[→田辺勉、2001、『標準 判断推理』実務教育出版、5ページ、【例題1-2】]
 
補足:AならばB、AならばCから、Aならば(BかつC)が言えること。
Aを仮定するとB、Aを仮定するとC、BとCからBかつCが導かれる。故にAならば(BかつC)。
 
Aならば(BかつC)から、AならばBが言えること。
Aならば(BかつC)から、
Aを仮定するとBかつC。BかつCからBが導かれる。故にAならばB。
 
AならばC、BならばCから、(AまたはB)ならばCが言えること。
AならばC、BならばCから
CでないならばAでない、CでないならばBでない。Cでないを仮定するとAでなくかつBでない。故にCでなければAでなく、かつBでない。故に
対偶とド・モルガンの法則より、(AまたはB)ならばC。
 
(AまたはB)ならばCから、AならばCが言えること。
(AまたはB)ならばC、の対偶を取ると、CでなければAでなくかつBでない。①
Cでないを仮定。前件肯定式と①よりAでなくBでない。②
連言取りと②よりAでない。条件法入れよりCでなければAでない。③
③の対偶を取るとAならばCが言える。
 
〔問い〕次の推論のうち正しいものはどれか。
1健康な人は長生きする。
 タバコを吸う人は不健康である。
 ゆえに、タバコを吸う人は長生きしない。
 ヒント:不健康な人は長生きしないと言えるか。
2勤勉な人は人から信用される。
 おしゃべりな人は人から信用されない。
 ゆえに、おしゃべりな人は勤勉でない。
 ヒント:信用されない人は勤勉でないと言えるか。
3明朗な人はおしゃべりである。
 外向的な人はおしゃべりである。
 ゆえに、明朗な人は外向的である。
 ヒント:おしゃべりな人は外向的と言えるか。
4山が好きな人は海が好きでない。
 泳ぎが得意な人は海が好きである。
 ゆえに、泳ぎが不得意な人は山が好きである。
ヒント:泳ぎが得意でない人は海が好きでないと言えるか。
海が好きでない人は山が好きであると言えるか。
5几帳面な人は時間に正確である。
 遅刻が多い人は几帳面ではない。
 ゆえに、遅刻の多い人は時間に正確ではない。
 ヒント:几帳面でない人は時間に正確でないと言えるか。[→田辺勉、2001、『標準 判断推理』実務教育出版、6ページ、【例題1-4】]
〔勉強のすすめ〕対偶を使った推論の問題を解いてみよう。
 ①休日には久美子は英会話学校に行く。
 ②休日でない日には一人は講義に出たうえで、さらに英会話学校に行く。
 ③久美子が英会話学校に行く日はバスと電車が空いている。
 ②の対偶より
 ④一人が講義に出ないか英会話学校に行かない日は休日である。
 ④より
 ⑤一人が講義に出ない日は休日である。
 ①・⑤より
 ⑥一人が講義に出ない日は久美子は英会話学校に行く。
 ③・⑥より
 ⑦一人が講義に出ない日は電車が空いている。

〔勉強のすすめ〕以下の推論は正しいか。[ →W・V・O・クワイン著、中村秀吉他訳、1978、『論理学の方法 原著3版』岩波書店、103ページより改変。]
一、会社の株をもっている証人は従業員である。証人は従業員か会社の株をもっている。ゆえに証人は従業員である。
二、ヨーロッパ産スワンは黒くない。黒いスワンはヨーロッパ産である。ゆえにスワンは黒くない[→背理法を用いて証明せよ]。

13.小復習
[授業目標]これまでやってきた演繹の問題を復習する

判断推理問題集

〔問い〕課題問題8問8・問9を解くこと。

14.推論の技術[→教科書:野矢茂樹(2006)第9章] 予習してくること
[授業目標]推論の技術を磨く 以下、野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』からの改作である。

(全称と存在の推論)
 条件構造をもたない存在文がある場合、その個体をα、β、γ…等各々名前を付ける。
 ①殺人を好む者は倫理的でない。
 ②ある倫理学者は殺人を好む。
 ②より殺人を好む倫理学者をαとする。
 ③αは殺人を好む。
 ①・③より
 ④αは倫理的でない。
 ④から以下が推論される。
 ⑤倫理学者の中には倫理的でないものがいる。

(消去法)
 いまAでなく、さらにAまたはBであるとしよう。とするとであることが推論できる。
 ①おもしろくてためになる授業なら、向学心がおこる。
 ②向学心のおこる授業なら、大学に通いたくなる。
 ③おもしろいが、大学に通いたくない授業ならためにならない。
 ①・②から③を導きたいとき、③A→BのAを仮定しBを導く。
 すなわち④、ある授業がおもしろいが、大学に通いたくないを仮定する。
 ②の対偶より
 ⑤大学に通いたくない授業は、向学心がおこらない。
 ④・⑤より
 ⑥ある授業がおもしろいが、向学心がおこらない。
 ①の対偶より
 ⑦向学心のおこらない授業は、おもしろくないかためにならない。
 ⑥・⑦より
 ⑧その授業がためにならない。
 ④・⑧より③が導かれた。

 では応用問題をやって見よう。
 ①算数も理科も好きな児童は社会が好きではなかった。
 ②国語が好きな児童だけが理科が好きでなかった。
 ③国語が好きではないが社会が好きな児童がいた。
 それゆえ ④国語も算数も好きではないという児童がいた。
 この推論が正しいことを示そう。

 ③は存在文なので、
 ⑤国語が好きではないが社会が好きな児童をβとおく。
 ①の対偶より
 ⑥社会が好きな児童は算数か理科が好きではなかった。
 ⑤⑥より
 ⑦βは算数か理科が好きではなかった。
 ②より
 ⑧理科が好きでなかった児童は国語が好きだった。
 ⑦・⑧より
 ⑨βは算数が好きでなかったか国語が好きだった。
 ⑤より
 ⑩βは国語が好きではなかった。
 ⑨・⑩より(消去法)
 ⑪βは算数が好きではなかった。
 ⑩・⑪より
 ⑫βは国語も算数も好きではなかった。
 したがって①・②・③より④が推論された。

(背理法)
 A,B,Cの三軒の米屋があり開店状況は次のようである。
 このときA店は毎日閉店していることを背理法によって証明するには、結論を否定して矛盾が生じることを示せばよい。

 ①他の二店がともに閉店の日はA店は閉まっている。
 ②A店が開店かB店が閉店の日はC店は閉まっている。
 ③他の二店のどちらかが開店の日はB店は閉まっている。

 さてA店は毎日閉店していることを否定して仮定する。すなわち
 ④A店は毎日閉店しているとは限らない。
 ④より
 ⑤A店の開店している日をγとする。
 ①の対偶より
 ⑥A店が閉まっていない日は他の二店のいずれかが閉店していない。
 ⑥を言い換えると
 ⑦A店が開店している日はB店かまたはC店が開店している。
 ②より
 ⑧A店が開店している日はC店は閉まっている。
 ⑦・⑧より
 ⑨A店が開店している日はB店が開店しC店が閉まっている。
 ⑤・⑨より
 ⑩γはA店とB店が開店しC店が閉まっている。
 ⑪γは他の二店のどちらかが開店しB店が開店している。
 ③と⑪は
矛盾。よって仮定が誤り。
 「A店は毎日閉店している」が証明された。

〔勉強のすすめ〕以下が成り立つことを背理法によって証明せよ。[→W・V・O・クワイン著/中村秀吉他訳、1978、『論理学の方法 原著3版』岩波書店、49ページより改変。]
品目がインタープレックスであったなら、それは正月以来すえつけられていたのであり、または品目がインタープレックスでなかったら、会社には責任はない。
〔解〕「品目がインタープレックスであったなら、それは正月以来すえつけられていたのであり、または品目がインタープレックスでなかったら、会社には責任はない」のではないと仮定する。
ゆえに「品目がインタープレックスであったなら、それは正月以来すえつけられていた」①のではなく、かつ「品目がインタープレックスでなかったら、会社には責任はない」②のではない。
①より「品目はインタープレックスであり、かつそれは正月以来すえつけられていたのではない」。故に「品目はインタープレックスである」③。
②より「品目がインタープレックスでなく、かつ会社には責任がある」。故に「品目はインタープレックスでない」④。
③と④は矛盾。よって「品目がインタープレックスであったなら、それは正月以来すえつけられていたのであり、または品目がインタープレックスでなかったら、会社には責任はない」は正しい。
※補足:同じ論理で、神を信じていれば天国に行ける、または神を信じていなければ神様に救ってもらえる、も正しいことになります。

15.異論と批判[→教科書:野矢茂樹(2006)第10章 有事法制案の新聞社説を検討する]
[授業目標]批判的観点から議論を組み立てる。

 文章は、どういう意味で【意味】、何を根拠にして【理由】を軸にして構成されている。
 さらに文章の流れが同じ方向を向いているべきときに、飛躍や不整合を犯していない【あわせて首尾一貫性と呼ぼう】かが、問われなくてはならない。

〔問い〕野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』149ページ、例題1。同、153ページ、例題2。同、154ページ、例題3。

教科書152ページにおおよそ準拠して、相手の結論に反対することを異論、相手の論証部分を吟味することを批判と呼ぶとすれば、
 異論 - ・批判 -  =同調
 異論 - ・批判 +  =建設的批判
 異論 + ・批判 -  =不毛な異論
 異論 + ・批判 +  =「創論」~このような場合普通、異説と呼ばれる
建設的批判や「創論」のように、論証部分に光を当てることが望ましい。

以下の新聞社説を論評せよ。出典:朝日新聞(いくらか古びた問題だが、陸上自衛隊日報問題に思いを馳せながら解いていこう)

 有事法制に関連する法案の国会審議が新たな局面を迎えた。与党が修正案を出し、民主党は対案を提出する。
 万一に備える法律がなく、いざというとき超法規的な措置で対処せざるをえない状態を放っておくことは好ましくない。国民の十分な納得を得て必要最小限の法整備をしておく必要はある。
 安全保障をめぐる国民の不安は深まっている。大規模なテロが実際に起きた。北朝鮮の核開発や日本を射程に収めるミサイルに、多くの人が恐れを感じている。
 冷戦時代とは異なり、そうした「新しい脅威」を現実味をもって感じざるをえなくなっている。大地震のような自然災害も、いつ襲ってくるかわからない。
 これら有事にいたずらにおびえたり、過剰に反応したりすることは戒めるべきだが、備えは要る。
 自衛隊や警察がどういう活動を担い、首相や各省庁は何をしなければならないか。その仕組み、政府の権限とその限界をきちんと定めておくことは大事だ。
 その際、忘れてはならないことがある。
 法整備は、あくまで有事や国民の生命や財産を守るためで、政府や自衛隊の権限や裁量の拡大を主要な目的としてはいけない。とくに、国民の基本的人権や社会的な権利の制限には厳格な歯止めがかけられていなければならない。
 昨年末、継続審議となっている政府案は、旧ソ連の大規模な侵攻という事態を想定して作られている。いかにも時代遅れの「有事」である。併せて必要な国民保護法制も欠いている。
 与党修正案は、政府案に対する世論の批判に応えて、大規模テロや武装不審船にも取り組む内容となったが、基本的には政府案の微調整にとどまっている。
 一方、民主党案は検討に値する。
 テロや災害を含む「緊急事態」が起きた場合に備えて、国民の保護にあたる政府の中枢として危機管理庁を設ける。
 思想や良心の自由は「絶対的に保障」されるとし、「表現の自由の不可侵」も規定した。国民の自由や権利がどこまで制限されるかあいまいな政府、与党案に比べて、基本的人権の保障が明記されている。
 国会の関与も政府案より大きい。重要な決定は国会の事前承認が原則とされ、国会の要請に応じた情報の提供を政府に義務づけている。
 現実的な脅威への対処を重視し、有事にあっても国民の権利を最大限に確保しようとしている姿勢は支持できる。
 これから与野党の修正協議が始まる。
 法案が対象とすべき有事とは何か。文民統制は大丈夫か。国民の権利を最大限守れるか。論点はどれも重大だ。
 民主主義の原点に立った、慎重かつ実態に即した論議を望みたい。民主党の考え方は、その土台になる。

コメント:
・価値評価の前提が不明瞭である
・何を以って必要最小限というかあいまいである
9.11と同規模のテロが日本に起こるかどうかの根拠に欠けている
・制空権・制海権を他国に握られたまま、地上軍が上陸する事態と同列に扱われるべきではない
・場合によっては、国民は権利の制限をこうむる必要があるかもしれない
・思想犯への対処には難しい問題が伴う
・自分で規定していずに立論していたとは笑止千万である

補足:有事法制とは竹岡勝美によれば、「いずれかの国が日本と周辺の制空権、制海権を確保した上で、地上軍を日本本土に上陸侵攻させ、国土が戦場と化す事態を想定した法制(2002年2月8日、参議院『第154回本会議における答弁』第7号7頁より)、つまり便宜的に有事に関する法制を指して使われる。

〔勉強のすすめ〕一、死刑賛成・反対の立場から「建設的批判」を試みよ。
二、昔話法廷についてディスカッションを行え。

立論(A)・・・あることを主張し、それに対して論証を与えること。
批判・・・ みずから自分の立論の論証部に対して反論すること。
異論(A)・・・みずからの批判と対立するような主張を立論すること。

例:死刑賛成派(野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書改変)
死刑賛成の立論:死刑は賛成である。なぜなら、死刑があることによって凶悪な犯罪がある程度防げているからだ。もし人を殺しても死刑にならないというのであれば、殺人事件がさらに増加するに違いない。
ありうべき批判:死刑の犯罪抑止効果は過大評価されるべきではない。
批判への異論:犯罪抑止効果は有効ではないか。というのも死刑を目の前に突き付けられれば、大抵の人は恐怖のため、思いとどまる割合が増えると考えられる。もちろん、死を以て殺人を制するという矛盾は、指摘できるかもしれないが、社会全体で見た犯罪率の低下という実効に比べれば、その矛盾は無視できる。

〔宿題〕以下の問題をめぐるモニターとしての意見を、賛成・反対の立場から、反論を想定して、論述せよ[→適性試験委員会編、2004、『統一適性試験ガイドブック』商事法務、122ページ。改変]。
 A市は港町で、B国からの船舶が来航するため、B国人の船員が多数市内に繰り出し、商店街もB国語による案内板を設置したり、店員にB国語の研修をさせたりして歓迎していた。ところが公衆浴場では、入り方がよくわからないB国人が自己流で入浴し、日本人との間でトラブルが頻発した。そこで、A市公衆浴場組合に属するほとんどの公衆浴場では「外国人お断り」の張り紙を出して外国人らしき外見の客をすべて断るという手段にでた。これによって当のB国人はもちろん、B国人以外の外国人、さらには日本国籍をもった外国系住民などが軒並み入浴を拒否されるという事態となり、A市の国際交流ブームが冷え込む結果となった。
 A市の市民モニター懇談会では、モニターが市政全般について意見を提出することができる。モニターとして、この公衆浴場の外国人排除について容認または反対のいずれかの立場を明らかにして、以下の諸点を鑑み懇談会に提出する意見書を書きなさい。
・外国人の入浴習慣のちがい・民族/国籍による区別の是非・客を選ぶ自由・日本客へのサービス・地域振興・国際交流・言葉の壁・公衆浴場業の再生


〔文献一覧〕
アリストテレス著/高田三郎訳、1971、『二コマコス倫理学』岩波文庫。
Berkeley,George,1949(←1734,17101)A Treatise concerning the Principles of Human Knowledge,Thomas Nelson and Sons Ltd.
蓮實重彦、1996、「〈美〉について」『知のモラル』東京大学出版会
伊藤真監修、2003、『適性試験トレーニング問題集』中経出版。
村上陽一郎、1979、「現代科学論の系譜・反証主義の改良」『数理科学』NO.195
永井均、1996、『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書
中島義道、2002、「モラリスト」の項、『事典 哲学の木』講談社。
野矢茂樹、2005、「しかしの論理」『他者の声 実在の声』産業図書
野矢茂樹、2001、『論理トレーニング101題』産業図書。
野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』中公新書。
大森荘蔵、1998、「思考と論理」『大森荘蔵著作集 第七巻』岩波書店。
W・V・O・クワイン著/中村秀吉他訳、1978、『論理学の方法 原著3版』岩波書店。
岡田章、1996、『ゲーム理論』有斐閣。
専修大学出版企画委員会編、2018、『知のツールボックス』専修大学出版局。
高田瑞穂、2009、『新釈 現代文』筑摩書房。
適性試験委員会編、2004、『統一適性試験ガイドブック』商事法務。