思考の論理的形式T
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 思考の論理的形式Tでは命題論理学の「統語論」と呼ばれる分野を学びます。授業は、野矢茂樹、2006、『入門!論理学』中公新書に準拠しています。名前だけ聞くと難しそうですが、論理学の基本的発想をできるだけ記号を使わないで学ぶことができます。もしそれに習熟したら「意味論」にチャレンジしてみて下さい。旧課程の思考の論理的形式で「意味論」が学習できます。
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1.「論理的」とは?
[授業目標]「ピアノの先生なら、器用である」か「ピアノの先生は、楽器が上手に弾ける」
 
【問題意識共有メモ】論理って一体何なのだろう?
 「非論理的」とは「飛躍している」とか「支離滅裂」とか「理屈が通ってない」ことでしょう。しかし「インスピレーションを使って」「論理的にしゃべる」と言うことは一向に可能です。
 インスピレーションによるものであっても、それまでの発言ときっちり関係付けて次の発言をすることが、「論理的である」ということです。教科書ではこう表現されています。「おおざっぱに言えば「論理」とは、ことばとことばの関係の一種なのだ」、と。
 
論理とは、つまり思考の筋道をそのまま表わすのではなく、思考の結果を、できるだけ一貫した、飛躍の少ない理解しやすい形で表現したものです。したがって論理的な力とは、新しいものを生み出す力ではなく、物事をきちんと伝える力、言わば「読み書き」の力なのです。
論理的能力とは、言語的能力の内でも、取り分け、言葉の間の関係を把握する力のことを言います。
■空所を補充せよ。
ある前提からなんらかの結論が導かれるとき、その前提を正しいと認めたならば、言葉の使用上の規則、すなわち意味にしたがって、必ずその結論も正しいと認めなければならないとき、それは     正しい推論であると言われます。あるいはこうも言えます。「前提を正しいと認めるのに、その結論の方は正しいと認めない」人は矛盾を犯している、そんな推論が     正しいのです。
 
【例】どちらが論理的か。
例1 @クモは8本足である。Aジョロウグモはクモである。だから、Bジョロウグモは8本足である。
例2 @'クモは8本足である。A'蝶はクモでない。だから、B'蝶は8本足ではない。
 
注意 例1の場合、前提を認めたら、結論をいやおうなく認めなければならない推論になっています。けれどもか例2の場合、そうではありません。「クモは8本足である。蝶はクモでない。だけどクモでないとしても、蝶は8本足なのだ」という居直りができます。そのことは「クモは8本足である。タコはクモでない。だけどタコも8本足である」という居直りができるのとちょうど同じです。
要するにMはPである。SはMでない。これらからSはPでないを導けないのです。
 
■空所に1か2のいずれかを補充せよ。
さて例に戻りましょう。ここまでで確認したのは、例  が論理的であるのに対して、例  は論理的でないということです。例  は言葉の意味から認めざるを得ない事柄です。@とAの前提を正しいと認めたならば、必ず結論も正しいと認めなくてはならなくなります。実際、@とAという前提を認め、クモは8本足とし、ジョロウグモはクモであると仮定しているにもかかわらず、「でもジョロウグモは8本足ではない」など、主張したなら、矛盾していることでしょう。
 例えば「ピアノ教師」というと「器用な人」とか思う人も多いかもしれませんが、そうでない「ピアノ教師」がいたって、別におかしくありません。そうしたつながりは、意味上のつながりではないからです。
 
注意 「論理的」であることは、「常識的」であることとは別のことです。こう言うと「論理的な人は非常識な人」と反応する人がわりと多いのですが・・・。けれどもそれは違います。
もし「論理的な人は非常識である」ことを認めるならば、「常識的な人は論理的でない」?ことを認めなくてはならないでしょう。しかしながら「常識的な人は論理的でない」には、同意できそうにありません。だから、論理的ならば非常識と、言えません。論理的であることから導き出される可能性の中には、非常識的な可能性も含まれますが、常識である可能性も含まれていることを見逃してはならないでしょう。
 
〔まとめ〕「推測」と「演繹」
 ここで「あのひとはピアノの先生だ」ということから「それじゃあ、きっと器用なのだろう」を導き出すように、経験など?からおそらく言えることに対しては「推測」、言葉の関係から、論理的に導き出すことに対しては「演繹」という言葉を当てます。
 
〔問い〕以下の五つの事例は、演繹と推測のどちらに当たるか、今までの事柄を参考にして、考えてみてください。[→野矢茂樹、1997、『論理トレーニング〔旧版〕』産業図書より改変。]演繹を選んで解答してください。
一、彼女は憎まれ屋だから、彼女を好きな人間は誰もいないさ。
二、西の空に虹がかかっている。雨だったのかもしれない。
三、消防官は地方公務員だから、国家公務員試験に合格する必要はない。
四、彼女は今、お風呂に入っているみたいだ。帰ったばかりの彼女宅に、電話したけど誰も出なかったもの。
五、盲腸だったら下腹の右側が痛いはずでしょう。でも、痛いのは下腹の左なんだ。だから、盲腸じゃないと思うんだけどね。
〔発展問題〕教科書14ページの(1)(2)を演繹と推測のどちらかに区別してください。答えは教科書を見てください。
 (1)                                     。
 理由                                    。
 (2)                                     。
 理由                                    。
〔前途瞥見〕
 否定詞・ある種の接続詞(それから量化子)といった特殊な言葉の関係から、導かれるものを演繹と言います。
 ・・・オマケ:「漫画家は分かりやすい話をする」? これは推測にとどまっています。屁理屈ばかりこねる少女漫画家川原泉を見てみよ。
 
 花子はいつもA店かB店で買い物する。この日花子はA店には行かなかった。
故に花子はB店に行った。(後でやる選言取りより)
 花子は商品Pを買うときには必ず商品Qも一緒に買う。この日花子は商品Pを買った。
故に花子は商品Qを買った。(後でやる前件肯定式より)
故にこの日花子はB店に行って商品Qを買った。(後でやる連言入れより)

〔発展問題〕花子はいつもA店かB店で買い物する。この日花子はA店には行かなかった。故に花子はB店に行った。→このような推論形式(AまたはB、Aでない、ならばBである)を選言的三段論法と言います。選言的三段論法に合致する、演繹の例を考えてください。
 

2.演繹と推測の区別
[授業目標]特に演繹に注目して、推測と区別する

〔復習〕以下のものは、推測か推論のいずれか判定せよ。一は、野矢茂樹、2006、『論理トレーニング〔新版〕』産業図書、82ページより。
一、半跏思惟像は、半跏趺座という、片脚を反対側の太ももの上にのせる坐り方をしているが、なぜか腰掛けに坐ってそれをしている。もしかしたらこの姿勢はユーラシア大陸北辺の遊牧民の坐法に由来するものであるかもしれない。というのも、もともと遊牧民たちは地上に坐るよりも馬に乗る生活に慣れており、馬から降りて休息するときは、携帯用の腰掛けを取り出して坐るのが常だったからである。インドから伝わる間に、遊牧騎馬民族の文化に適合した、そう考えることもできるかもしれない。
二、著作権法第2条1項2号は、著作者を「著作物を創作する者をいう」と定義している。故に宇宙戦艦ヤマトを企画した故西崎義展は著作者人格権をもっていた。
 ※注意 故西崎義展は著作物を創作したとは言っていないことに注意・判例が具体的に例示されているなら、答えは変わってくる。宇宙戦艦ヤマト事件

 「演繹」とは、前提を認めたら必ず結論も認めなければならないようなもの(特に「でない」+「かつ」+「または」+「ならば」+「すべての」+「存在する」の意味から言えるもの)を指します。こうした特定の語彙を使う、演繹を扱ってゆきましょう。

コラム タヌキの雌は卵を産む? もし前提を認めたら必ず結論も認めなければならないようなものを演繹と言う。次は正しい演繹と言えるのです。
タヌキはカモノハシ科の哺乳類である。
カモノハシ科の哺乳類は卵を産む。
だから、タヌキは卵を産む。
 もちろんタヌキはカモノハシ科の哺乳類ではありません。つまりこの例文の前提「タヌキはカモノハシ科の哺乳類である」は誤っています。そればかりか「タヌキは卵を産む」、という結論も誤っています。ではこれは、演繹として間違っているのでしょうか。前提が正しいのならば、必ず結論も正しくなるものを演繹と呼ぶことにしたのです。ここで、「前提が正しいのならば」が曲者です。仮にこれら、「タヌキはカモノハシ科の哺乳類である」、「カモノハシ科の哺乳類は卵を産む」、という二つの前提が正しいとするのならば、結論「タヌキは卵を産む」、を認めざるをえません。いいですか。「イカはタコとする」、「タコは9本足である」。故に「イカは9本足である」、という間違いだらけの推論も、前提を認めるのならば、結論を認めざるをえません。したがって演繹としては正しい、さっきのタヌキの場合にしても、演繹という観点から言えばOKです。
 
  繰り返します・くどい(-_-メ)・演繹に登場する基本的な言葉は、「ない」という否定詞、「かつ」、「または」、「ならば」という接続詞(+量化子)です。
 
■以下の演繹は正しいか。[→野矢茂樹、2006、『入門!論理学』中公新書、23ページ。]
(1)手形には為替手形と約束手形がある。いずれも有価証券である。小切手は為替手形と似た性格ももつが、その経済的機能が異なるから、手形とは区別される。だから、小切手は有価証券とは見なされない。
(2)フグの肝臓にはテトロドトキシンが含まれている。これは運動麻痺を惹き起こし、重症の場合には呼吸麻痺により死亡する。しかし、フグにはテトロドトキシン以外の毒は見出されていない。だから、肝臓を取り除いて食べれば、フグも安全である。
(3)ある行為が犯罪とされるためには、その行為が刑法で定められた犯罪の型にあてはまり、かつ、正当防衛のように違法性が阻却される理由もなく、かつその行為を為した人に責任を帰することができるのでなければならない。その観点から、たとえば借金を踏み倒すといった債務不履行を見てみると債務不履行は刑法が定める犯罪の型には該当しない。だから、債務不履行は犯罪ではない。
よく間違えましたね。特に間違いの多かった問い2・3について解説しておきます。
 (^^♪)解答を見る前によ〜く考えてみよう。
  ・・・深キョンの下妻物語見た?  映画の一部でも見て、十分休憩を取った後で、答え合わせをしよう。
問い2:「あるフグが肝臓を持つならば、テトロドトキシンを含んでいる。テトロドトキシンを含んでいないのなら、フグは毒を含んでいない。故にあるフグが肝臓を持たないならば、(つまり取り除けば)フグは毒を含んでいない」。
「フグが肝臓を持つならば、テトロドトキシンを含んでいる」から「フグが肝臓を持たないならば、テトロドトキシンを含んでいない」が言えなくては、フグは毒を含んでいない、と言えません(つまり「フグの肝臓以外にはテトロドトキシンは含まれていない」ということを意味しません)。教科書の例を若干変えれば、「下妻市には深田恭子という名の女性が住んでいる」ということは、「下妻市以外には深田恭子という名の女性が住んでいない」を意味しないわけです。したがって、この推論は正しいとは言えません。では、「水を飲んでも、吐き気をもよおさない。水銀には水が含まれていない。故に水銀を飲んだら、吐き気をもよおす」という推論は論理的に正しいでしょうか。
問い3:「ある行為が犯罪とされるためには、1その行為が刑法で定められた犯罪の型にあてはまり、2違法性が阻却される理由もなく、3その人に責任を帰することができるのでなければならない。債務不履行は刑法が定める犯罪の型には該当しない。だから、債務不履行は犯罪でない」。
注意すべきは「借金を踏み倒す」というのは、刑法で定めた犯罪の型にあてはまらない。ということです。そして犯罪とされるなら1・2・3がすべて満たされる必要があるということです。
AのためにはBが必要=AならばB
 
そのうちのひとつが満たされていない債務不履行、つまり1でないか2でないか3でないわけですから、犯罪ではないということになります。したがって、この推論は正しいことになるでしょう。
 なお借金を踏み倒していいのかと言えば、そうはなりません。借金の踏み倒しは犯罪ではないにしても、やはり民法で引っかかります。1のような事柄を犯罪の構成要件と言います。すなわち構成要件とは、刑法各論や特別刑法に規定された行為類型のことで、端的に言えば、犯罪の類型として規定されている内容に行為が合致するかどうか、が構成要件該当性の問題です。

〔問い〕無形の情報を盗み出すようないわゆる利益窃盗が、仮に重大な財産上の損失をもたらすならば、それは窃盗とされるか。ただし、「他人の財物を窃取する」ことが、窃盗罪の構成要件です。フロッピー・ディスク等は財物ですが、それに書き込まれた情報自体は財物ではありません。
※コラム 債務不履行(債務不履行による損害賠償)
 民法第415条 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。
 
要するに、論理学は日本語にとっての文法のように、言語一般にとっての文法を提示します。言語一般にとっての文法と今、言いました。でも言語一般にとっての文法の一つにすぎません。なぜそうなのか。というのも、文法の中でもかなり限定された言葉の関係しか扱わないからです。たとえば、論理学が取り扱う言葉に否定がありますが、言うまでもなく否定は日本語特有のものではありません。その意味で論理学は「文法の一つ」しか扱わないのに、言語一般の構造を明らかにする性格をもっています。
ある種の文法という言い方にこだわってみます。どのような言葉でも論理学の対象になりえますが、演繹という点から見たとき、重要な言葉と重要でない言葉に分かれます。例えば否定語(〜でない)などは、演繹にとって最重要語であると言えるでしょう。それに対してツンデレなどは、論理学的にはさほど大事ではありません。たしかに「ツンデレ」は、サブカルで使われるような、意味上の連関はあります。『涼宮ハルヒの憂鬱』に関する会話のさい、使われることはあるにせよ、普通の日常会話ではあまり現われません。少なくとも大学の授業では。したがって、論理学が取りあげるほどの言葉ではありません。それに対して否定語は何の話をする時でも広く使われる言葉です。おおよそ、そうした広く使われる言葉のレパートリーを掲げておくとするならば、「ない」「かつ」「または」「ならば」「すべて」「存在する」になります。それらが論理学の中心語彙です。
 
〔問い〕次の文章は論理的な誤りをしている。1〜5のうち、この文章と同じ種類の誤りをしているものを1つ選びなさい。
 戦後日本においては、貯蓄率が高かったと同時に経済成長率も高かった。このことから、高い経済成長率を達成するためには高い貯蓄率が必要不可欠であることが明らかである。 
1.日本人は天然資源がほとんどないにもかかわらず、経済発展を成し遂げることができた。このことから、天然資源がなくても経済発展を成し遂げることが可能であることが明らかである。
2.明子は左利きであり、学校の成績が良好である。このことから、良好な成績を修めるためには左利きでなければならないことが明らかである。
3.戦後日本においては、出生率と死亡率が同時に低下した。このことから、出生率の低下が死亡率の低下の唯一の原因であることが明らかである。
4.雨の日のほうが道路が混む。このことから、交通渋滞をなくすためには、雨が降らないようにする以外には方法がないことが明らかである。
5.日本においては、いままで女性の総理大臣は1人もいなかった。このことから、女性の総理大臣はこれからも誕生しないことが明らかである。[→適性試験委員会、2004、『法科大学院2004年統一適性試験ガイドブック』商事法務、80ページ。]
※注意:二つの事象A,Bが随伴するとき、@片方が原因の場合A偶然随伴している場合B共通の原因から派生している場合、の三つのケースがある。
 
〔発展問題〕以下の演繹は正しいか。[→アンソニー・ウェストン著、古草秀子訳、2005、『論理的に書くためのルールブック』PHP研究所、95ページ。]
 ヨハネの洗礼は天からのものか、それとも人からのものか、いずれかである。もし天からのものだといえば、ヨハネを予言者だと信じなかったことで責められる。もし人からのものだといえば、ヨハネを予言者だと信じる人々から石を投げつけられる。それゆえにヨハネを信じないことで責められるか、人々のヨハネへの信頼を侮辱したかどで石を投げられるかだろう。
 
 
3.Aの否定とは主張Aの打消しである
[授業目標]否定語の働きを哲学的に考える
「否定」ということを考え始めると、色々な問題にぶつかります。ラッセルという哲学者は初期の一時期、あたかも「事」(の意味?)が「物のころがっている」ごとく、存在すると考えました。言わば人間が対峙する「向こう側」に文章(の意味?) があるのです。そして認識する人の側、つまり「こちら側」に信念をたてました。つまり、信念とは、〈客観的なこと〉を対象とする心の態度なのだ、と(Russell,A.W.B.,1973(←1904),pp.21-76)
 
〔資料〕Russell,A.W.Bertrand,1912,The Problem of Philosophy,Oxford University Press,p.121
「真理は信念と事実の間のある形の対応に存しているという見方、これは哲学者の間でおおよそ最も共通している…」。※アリストテレス『形而上学』1011b、「もしなにかがすでに生成しまたは存在しているとすれば、明らかにすべてが判断に対して相対的であるとは言えなくなるからである」。――「雪が降る」という判断に対して、相対的ではない'雪が降る'という事実がある。・・・タルスキーのT文について。
  
【問題意識共有メモ】
 こうした認識論の構図を、専門用語で対応説と言います。この言葉を使って解説するのならば、ラッセルは対応説をとりながら、否定を「向こう側」か、「こちら側」かのいずれに位置づけるかを問題にしているわけです(Russell,A.W.B., 1980(←1940))
 
知覚される「向こう側」に否定が出現するようには思われません。また判断の結果である文章の意味が、判断に先立って「向こう側」に横たわっているとは、考えにくいでしょう。そうならば、私たちはおそらく、対応説(「こちら側」と「向こう側」の一致)という考え方によって、否定を処理できないことに気づくでしょう。? 
【授業目標】 否定とは主張を打ち消すことに他ならない。
 
■空所を補充せよ。
 第一に主張を否定することは、その主張が  であると翻訳することが、可能であることによって裏付けられます。次のようなケースを考えれば、否定と  とが翻訳可能であることが、心理的に不自然ではないでしょう。すなわち砂糖を取ろうとして間違って塩をなめてしまうケース。このとき「これは砂糖ではない」と「『これは砂糖である』は偽である」は、心理的に同じように思われます(Russell,A.W.B., 1980(←1940),p.60)。また例えば貯蔵室にバターはあるが、チーズはないという状況でも考えてみればよろしい。ラッセルは次のように明言しています。貯蔵室にある「『これはチーズではない』というとき、あなたは『これはチーズであるという言明は  である』を意味している」(Russell,A.W.B.,1980(←1940),p. 74) 。→鉄腕バーディーは実在しない=「鉄腕バーディーが実在する」は偽である。
 第二に否定的事実は知覚されないこと。先の、バターを見てチーズがないとする例で、「チーズを見ない」とか「チーズがないことを見る」とかが起こるとは思われないでしょう(Russell,A.W.B.,1980(←1940),p.73)

〔補足〕最近の認知科学では、例えば、音の不在(ただし過去の)が知覚できるという考えが提出されています。たしかに、それは前後の音に存在論的に依存しているとはいえ、音の不在を知覚できる、とするものです。そのさい、無数の否定的事態から特定のものを選び出すために、知覚以外の認知能力は不要であると説かれたりもします。
 
【問題意識共有メモ】
 「私の机の上にリカチャン人形がない」。今初めて、そういえばそうだっけ、という認識に至りました。というのも、私は机の上のリカチャン人形に関心がなかったからです。もし「足を持っている」という関心をもつならば、足をもたない人に出会って、否定的事実は意識化されるでしょう。つまり「机の上にリカチャン人形がない」と思う人は「リカチャン人形があったらいいのにな」と思いつつ、現実の机を見れば「ないじゃん」。だから「机の上にリカチャン人形がある」という主張の打消し、否定の主張が出てくる、と考えられるでしょう。
 
〔課題〕「雪は白い」という肯定的事態と矛盾しない否定をできるだけ多く考えよ(判断とは、主観の「技巧?」の産物に思えてきませんか。エミール・ラスクの考え)
 「雪は白くないことはない」
 同様に                                  。
 「雪は白いは単語でない」
 同様に                                  。
 
【問題意識共有メモ】
 「否定を偽と翻訳することが可能である」という基本線に立ち戻ってみましょう。要するに否定は打ち消しという、主観の態度を示しているでしょう。〔ブレンターノの態度決定説でもこの点が不明確。〕
 
※注意否定とは拒否(rejection Russell,A.W.B.,1980(←1940),p.255, p.294,cf. p.163)という「命題の態度」(propositional attitude)であり、その意味で主観的な性格をもつ、とラッセルは考えました。例えば筆箱をあけて万年筆をとろうとした瞬間、それが自分の万年筆でないと気づいたとしましょう。このとき手を止めて、「これは俺の万年筆じゃないぞ」と独り言をもらしたとします。こうした状況では、「筆箱にある万年筆は自分のものである」という信念が斥けられた、…もしくは信念と結びついた衝動(impulse)が抑止された、と解せるでしょう(Russell,A.W.B.,1980(←1940), p.211-212)。否定とは抑止または禁止衝動と結びついた信念の否定を表現しているのではないでしょうか (Russell,A.W.B., 1980(←1940), p.193)?
〔問い〕「象の鼻は短くない」を示す絵を描いてくること。当然、縮尺についての解説も添えていなくてはなりません(「象がいない」「象の鼻は3メートルである」を示す絵ではありません)
ヒント:かりに「象の鼻は1メートルより短くない」として絵をかいてください。お絵かきコーナー
 
【休憩】:「ブラックジャックの頬のキズは、ブラックジャックなしには存在しえない?」 
 現代哲学において、しばしば言及される概念として、「存在論的依存」というものがあります。名の通り、これは、ある対象が他の対象なしにはあり得ないことを表わしているものです。例えば次の主張を、見てみましょう。
(1)太郎の結婚という出来事は、太郎なしでは存在できない。
 このような場合においては、太郎の結婚がそもそも、存在する条件として、太郎を必要としていることが分かります。では次のような場合、どうでしょうか。
(2)太郎は、大気中の酸素なしでは存在できない。
 ここから取り出される内容は、「存在論的依存」の主張ではありません。というのも、そこで不可能とされているのは、あくまで「生物学的生存」にすぎないからです。例えば神が突然大気中から酸素分子を消し去ったとしても、彼は刹那の間ならば、生存し続けることを仮想できるからです。・・・ここでたんに太郎は、酸素に生物学的に依存しているにすぎないのです。
 さて、以上を前提として、虚構世界に関して、「存在論的依存」を考えてみましょう。
(3)ブラックジャックの頬のキズは、ブラックジャックなしでは存在できない。
 もし頬にキズをもたないブラックジャックを想像するなら、それはブラックジャックの想像ではなく偽ブラックジャックの想像です。したがって、ブラックジャックの頬のキズはブラックジャックに「存在論的依存」をしていると考えられます。他方
(4)久本雅美のホクロは、久本雅美なしでは存在できない。
ということは正しいでしょうか。現実に存在する久本雅美はひょっとすると、今、レーザー手術をしていてホクロを取っているのかもしれません。もしくは、現実の久本雅美はいつもツケボクロをしているのかもしれません。久本雅美に久本雅美のホクロは必ずあるとはいえないのです。違った見方をすれば、久本雅美のホクロがあったとしても、それは久本雅美から他の人に移植されたものかも知れません。ですから久本雅美のホクロは久本雅美なしで存在しうるのです。ゆえにそれは、久本雅美に「存在論的依存」をしていないのです。
 ?ブラックジャックの頬のキズと、久本雅美のホクロの違いはわかったかな?
・注意、手塚治虫の新原稿が見つかり、成人のブラックジャックの頬のキズが、偽物だと判明したら話は別です。

 
4.排中律 AかまたはAでない
[授業目標]排中律は自明ではないことを理解できる
〔課題〕「私はあなたのことが好きじゃない」と面と向かって口にする場合、どのようなニュアンスが籠められているでしょうか(私はあなたのことが好きではないに該当する部分を斜線で塗りなさい)。
 
私はあなたのことが
好きである
私はあなたのことが
好きでもないし
嫌いでもない
私はあなたのことが
嫌いである
 
※注意: 「好きじゃない」ということは否定の中でも、取り分けて積極的に正反対を表明しているエゲツナサに特徴があります。
 
【問題意識共有メモ】
 否定とは「嫌いである」「好きでも嫌いでもない」という可能性を含むのに対し、好きじゃない、と言えば殊更、嫌いであることが強調されるわけです。
 
※注意:「真人が好きなのは鹿島みゆきじゃない」というタイプの否定。単に「「真人は鹿島みゆきを好きだ」と言うと間違いなる」というだけではなく、「真人は鹿島みゆき以外の誰か=若松みゆきを好きである」ことも含まれています。「真人は鹿島みゆきが好きでない」が純粋な否定ではないように、さらに積極的内容+αが付け加わっていると見なせます。
 
 このように考えてみると、たいていの場合、「Aでない」は「A」という主張を打ち消しているだけではなく、純粋な打ち消し以上の積極的な+αが盛り込まれている場合が普通のようです。そうした積極的なプラスアルファをそぎ落として、「A」を打ち消したものが、「Aでない」ということになります。
 
〔課題〕「太郎は正直だ」の否定「太郎は正直というわけではない」を、反対と中立に分けよ。
 答え                                    。
 
〔課題〕「太郎は臆病である」の否定を反対と中立(このさい、特に中庸を考えてみるとよい)に分けよ。 
 
【問題意識共有メモ】
 論理学の中には、「論理法則」と呼ばれるものがあります。論理的に、すなわち言葉の意味から言って必ず成り立つ文章のことです。例えば「Aまたは(Aでない)」というのは、そうした「論理法則」の一例です。「A」と「Aでない」の中間は取らない、中間を排除するというところから「排中律」と呼ばれます。
 
 排中律の成り立つことが怪しいケース:@「A」は正しいか間違っているか、曖昧なケース。A「A」が曖昧でなくても排中律に対する疑いが生じるケース。
〔問い〕例えば「ジョディーは勇気がある」という主張があったとします。勇気があることを示すような場面として、具体的にどのような場合が想定されるでしょう?
 答え                                   。
そういう場面が想像できるにもかかわらず、それに一度も遭遇しない場合は、どう考えればよいでしょう。もし一生、ジョディーがそうした場面に直面しないとしたら、「ジョディーは勇気があるか、ないかのいずれかである」は成り立たないのではありませんか。「ジョディーは臆病か、臆病でないかのいずれか」も成り立たないことも考えられます。疑いは募るばかりです。
〔課題〕ジョディーが埋葬される前に、向こう見ずさをもっていたか、もっていなかったか、という問題と、埋葬される前に五体満足でいたか、いないのかの問題は、根本的に違うと思いませんか。
 答え                                   。
〔勉強のすすめ〕直観主義論理学という論理学は、どのよう論理学か調べてくること。以下では排中律が成り立つものとします。
※注意 ここでは、排中律を初めから肯定する、と決めてかかるのは考えものだ、ということをほのめかすだけにしておきます。排中律を認める立場を実在論といいます。簡単に言って、人間が認識するかしないかにかかわらず、世界の状態があらかじめ決まっているという発想が、それです。これに対して、排中律を認めない立場を反実在論と言います。先で使った言葉で言えば、直観主義論理学が一例に当たります。その基本的考えに従えば、人間の能力が有限である以上、神のように世界全体を見渡す視点に人間は立てないのです。いわば普通の排中律を認める論理学が「神の論理学」であるのに対して、直観主義論理学は「人の論理学」であると言えるでしょう。後者の立場は、人間の立証責任不足を認める謙虚な姿勢であるといえます。
反実在論の根拠としてしばしば挙げられるのは無限です。例えば円周率を考えましょう。言うまでもなくπです。それは無限小数であって、小数展開を列挙すれば、以下の通り。
産医師異国に向かう 産後厄なく 産婦みやしろに 虫散々闇に鳴く
3.14159265 358979 3238462 643383279・・・
〔問い〕「円周率の無限小数展開のうちに、8が十一回続けて現われるかどうか」に関して、今のところはそういう数列が見つかっていません。にもかかわらず、無限が実在すると考えるひとは、このことに関して、どのように答えるでしょうか。
〔資料〕マイケル・ダメット著、藤田晋吾訳、1986、『真理という謎』勁草書房、241ページ。
 「〔そのタルスキーの〕真理定義は、たとえば598017+246532=844549であるちょうどそのときに、
  「598017+246532=844549」は真である
 ことを教える。われわれはその計算を行ない、598017+246532と844549に等しいことを見出すかもしれない。しかしそのことは、その等式が計算がなされる前からすでに真であったこと、あるいは、たといその計算が一度もなされなかったとしても真であったろうこと、を意味するだろうか。タルスキーの真理定義は「真である」という述語の時制や叙法の語尾変化を供給しないのであるから、そのような問にはまったく答えてくれない。その真理定義は、すべての通常の数学的述語がそうであるように、時制をもたぬ述語としてのみ導入された。ところが、われわれの言語におけるその定義の働き方から見ると、なぜそのような時制の語尾変化が、あるいは叙法のそれさえも、禁じられねばならないのか、が少しも明らかにならないのである」。
 
〔まとめ〕
 以下で考えるのは排中律を論理法則として認めるような論理の体系です。つまり第一に、「ここは表日本である」というような曖昧な概念を考えないということ。だって新潟・群馬の県境を1m新潟側へ移動すれば、表日本でないっておかしな話ですから。第二に、「神の論理学」でいこう、という態度表明をしておきます。
 

〔発展問題〕では次の問題を考えてみてください。[→三浦俊彦、2004、『論理学がわかる事典』日本実業出版社、180-181ページ。]
1現在のフランス国王の右尻にはホクロがある。
2現在のフランス国王の右尻にはホクロがない。
3現在のフランス国王の右尻にはホクロがあるというわけではない。
4現在のフランス国王の右尻にはホクロがないというわけではない。
非存在を主語とする文章は、排中律が成り立たないかのように見えます。しかし3「現在のフランス国王の右尻にはホクロがあるというわけではない」は1「現在のフランス国王の右尻にはホクロがある」という事実の否定です。しかし1のような事実はないのですから、1は偽、1でない、つまり3は真となり、この場合でも、排中律は成り立ちます。
 
※注意 現在、フランスに国王はいません。したがって現在のフランス国王の存在を前提している1,2は偽です。したがって3,4は共に真ということになります。
 
5.二重否定・矛盾・背理法
[授業目標]背理法の基本を学ぶ
 二重否定というのは、二回続けて同じ主張を否定することはもとの主張と同じことになることです。すなわち主張「A」に対して「(Aでないことは)ない」がそれです。二重否定の規則を簡単に言えば、ある命題を二回否定すれば、元の命題の肯定になるという考え方です。
「二重否定入れ」A→(Aではない)ではない
「二重否定取り」 (Aではない)ではない→A
 
実は二重否定というのは、先に論じた排中律と密接に結びついているのです。
 
■「二重否定入れ」と「二重否定取り」のどちらが、「排中律」と連動していると思いますか。
 
〔復習〕
 否定に対する基本にもどりましょう。「ある状況で「Aでない」と正しく主張できるのは、その状況で「A」と主張するとまちがいになるときである」でした。
 
 ここで教科書のように(1)(2)(3)を区別しておくことにします。
(1)「A」は正しい。
(2)「Aではない」はまちがい。
(3)「(Aではない)ではない」は正しい。
 (2)と(3)は否定の意味からして、同じものです。
 まず(1)から(2)が言えるかを見てみましょう。
 
注意 問題は二重否定取りです。
(2)「Aではない」はまちがい、から(1)「A」は正しい、は導けるかどうか。「Aではない」はまちがい、から「A」を導くのは、排中律を前提にしています。というのも「AであるかAでないかのいずれかである」と決め付けてよいときだけ、「Aではない」がまちがい、だから「A」だ、ということになるからです。もしその決めつけをはずすと(、排中律を認めないと)、「Aでない」がまちがい、といって、ただちに「A」だ、ということにはなりません。
 
コラム 臆病と五体満足の話を思い出してみましょう。「太郎は五体満足ではない」という主張がまちがいになるのは、太郎が五体満足のときです。それ以外には考えられません。だから「(五体満足ではない)ということはない」という二重否定は「太郎は五体満足である」を意味します。この場合、二重否定取りは成り立ちます。しかしながら、臆病の場合、五体満足のようにスッキリいかない。「太郎は臆病でない」という主張がまちがいになるのはどういうときでしょう。もちろん、太郎が臆病なとき、真としてかまわないかもしれません。しかしそれだけでは話はすみません。そもそも勇敢であるかまたは、向こう見ずであることを試されるような場面に太郎が立ち会わなかったとします。その場合にも「あんた臆病とちゃいますな」と太郎に言うことは出来ません。「臆病でない」と言えないだけではなく、同時に「臆病だ」とも言えないのです(この見方に引かれる人は直観主義論理学をとるわけです)
 
ここから話は矛盾を主題にします。
■空所を補充せよ。
 論理的な意味では、世の中には矛盾なんてないでしょう。昨日、岡山市で〈大型矛盾〉が起こったなどということはありえません(それに対して、お台場にブラックホールが発生するということは、ひょっとしたらあるかもしれません・2020年に東京でオリンピックがありえたように)。矛盾は、あくまでものごとを     捉えることから生じます。つまり簡単に言えば、矛盾は   の側にあるのではなく、世界を捉える   の側に生じるものなのです。すなわち「A」と「Aでない」を同時に主張すること、つまり「Aかつ(Aでない)」というたぐいの主張を「矛盾」と呼びます。
    律・・・(Aかつ(Aでない))ことはない
この矛盾律を前提にした証明法に、背理法があります。背理法では、まず否定したいことを仮定して、そしてその仮定から矛盾が導かれることを示す、・・・ある仮定「A」から矛盾が導かれるのだとすれば、「A」はまちがいであった、したがって「A」は否定される、これを示すのが背理法です。
※ヒント
 自然数を二乗したものが偶数になるのならば、元の数は偶数のはず。2の剰余系(2で割った余りが等しくなる自然数の集合)で考えてみるとわかる。
2の剰余系
の掛け算
0 1
0 0 0
1 0 1
 
 では上のヒントを使って、ルート2が無理数であることを証明してください。つまりそれが有理数であることを仮定して、矛盾が生じるから、ルート2は有理数でない、と背理法によって証明してください。 自分でやってみよう。
 





                                                                       〔Q.E.D.〕
 
※補足:以下で:→は「導くことができる」の表記とします。標準の論理学の教科書では┣で表わされるものです。
 
まとめ
排中律・・・・
二重否定則・・
矛盾律・・・・
背理法・・・・
 
〔問い〕以下の背理法を完成せよ。[→三浦俊彦、2004、『論理学がわかる事典』日本実業出版社、64-65ページ。]
最大の素数は存在しないことを背理法によって証明する。まず仮定として結論を否定する。最大の素数をNと表記するとして、次の数を考える。M=(1*2*3*4*・・・*N)+1
Mは  より大きい。Nが最大の素数なのだからMは   でない。したがって、Mは素数の積の形で書けるはずである(素因数分解できる)。ところでMは1以外のN以下の数で割り切れない。
したがってMを素数の積で表した場合、
M=a*b*c*d*・・・*zと表した場合そこに現われる素数a〜zはすべてN     なければならない。したがって、Nは最大の素数ではない。矛盾が生じる故に仮定は誤り。
故に最大の素数は存在しない。

 
6.連言の導入則・連言の除去則 「かつ」とその仲間達
[授業目標]連言という結合子の特質を把握できる
【問題意識共有メモ】
 さて論理学で扱われる接続表現に移りましょう。演繹とは、接続詞(及び否定詞)の限られた側面しか取り扱いません。前に述べたように、日本語で普通、否定が使われるとき、特定のニュアンスが籠められています。それに対して、論理学が扱うのは、否定の核になるようなものだけです。それと同様に、接続表現も、限られた「接続の型」みたいなものしか扱いません。これから以下3回で、取り上げるのは「かつ」「または」「ならば」という三つの接続の型です。
 
まとめ
 「何からその主張が導けるのか」というタイプの規則を、導入則、「その主張から何が導けるのか」というタイプの規則を、除去則という名前で呼びます。
 
注意 「否定の導入則」として何を採用すべきでしょうか。背理法が答えです。すなわちAを仮定して矛盾が生じるとき、Aでないと結論するのです。それに対して「否定の除去則」とは、二重否定取り、つまり((Aでない)ことはない)→Aです。
 
否定入れ:【背理法】Aを仮定して矛盾が生じる→Aでない
否定取り:【二重否定】((Aでない)ことはない)→A
 
■空所を補充せよ。
「AかつB」が正しく主張できるのは、AとBが   とも正しく主張できるときです。例えば「太郎は柔道が強い」と「花子は柔道が強い」のどちらも正しい主張ならば、「太郎は柔道が強く、かつ花子も柔道が強い」は正しいことになります。ふつうの言い方をすれば、「太郎も花子も柔道が強い」となります。
このことを図式的に書けば             。
 これを「かつ入れ」「連言入れ」の規則、「連言の導入則」と呼びます。
逆に「AかつB」が正しく言えているとき、「A」も   と言えるし、「B」も   と言えるということになりましょう。例えば「九鬼は大学の教員であり、かつ哲学を専攻している」から「九鬼は大学の教員である」と言えるでしょう。また「九鬼は大学の教員であり、かつ哲学を専攻している」から「九鬼は哲学を専攻している」とも言えるでしょう。これを図式化すれば                。
言うまでもなく「かつ取り」「連言取り」の規則、「連言の除去則」です。
 
 「かつ」という接続詞の仲間たちを見ておくことにしましょう。
@「そして」A「むしろ」「しかも」B「しかし」
 
注意 「そして」に注意が必要です。「そして」はほとんど「かつ」に等しいのですが、ときに「そして」は時間的順序を表します。例えば                の場合。
 「AかつB 」の場合「BかつA」が正しいのはほぼ自明ですが、「AそしてB」が正しいとき必ずしも「BそしてA」が正しいとは言えないのです。「かつ入れ」・「かつ取り」が規定しているような「かつ」は無時間的なのですが、「そして」は時間的な含みをもってくるのです。「A,B, Aが時間的にBに先行する→Aかつ(時間)B=AそしてB」ということになりましょう。なお、「そして」という接続詞は、使える場所が多いのですけれど、多用すると冗長な悪文になってしまいます。
〔課題〕では「しかも」や「むしろ」といった「かつ」の仲間たちの導入則はどうなるでしょうか。野矢茂樹,2006,『新版 論理トレーニング』産業図書,22-23ページ。
 「今日は誕生日だ。しかも両親の結婚記念日だ」(誕生日はめでたいものと仮定しましょう)。・・・「しかも」を累加と言います。
 答え                      。
 「今日は仏滅でない。今日はむしろ結婚式にはうってつけの日と言うべきだ」(仏滅でないとして、赤口でない限り、普通結婚式を避けます)
 答え AまたはC、Aでない、故にCならばB、よってAでなくむしろBである。
■空所を「かつ」「しかし」で補充せよ。[→野矢茂樹、2005、「しかしの論理」『他者の声 実在の声』産業図書、267-279ページ。]
私たちは、どういうときに「かつ」や「そして」でなく「しかし」を使うのでしょうか。例えば「今日は大寒だ。    、あたたかいね」という場合、「そして」を使うと違和感があります。
 ですが「今日は大寒だ。でも、あたたかいね」と言うことも、「今日は大寒だ。かつあたたかいのはどうしたわけだろう」という二つのことは、両立します。つまり、構成要素をなしている「今日は大寒だ」と「今日はあたたかい」がともに正しいとき、――かつの場合、「今日は大寒だ、かつあたたかい」が真になるように、――「今日は大寒だ、しかしあたたかい」は真になるのです。このような観点から捉えるとき、「かつ」と「しかし」の違いは出てきません。けれども「かつ」と「しかし」のニュアンスは違うのです。「今日は大寒だ。    、寒い」では変です。この奇妙さは、構成要素の真偽に注目するだけでは説明できません。したがって、真偽とは別の観点を導入しなくてはならないでしょう。仮に「今日は大寒だ。しかし、寒い」がおかしいように、「きれいな夕焼けだね、でも明日はきっと晴れるさ」もおかしいことになります。
 「今日は大寒だ。でも、あたたかいね」において「しかし」「でも」「けれども」が用いられるのは、「大寒ならば寒いだろうと考えられている」という了解が先行しているからでしょう。その予想を裏切るからこそ、「でも」が用いられるのです。しかしこの了解は、「命題内容」の中に現われていません。この〈事の真偽〉に関わる要素を、野矢茂樹は「命題内容」と呼び、表現にのってこない了解の要素を「前提」と呼んでいます。「今日は大寒だ。でも、あたたかいね」では、前提が「大寒ならば寒いと考えられている」であり、命題内容は「今日は大寒であり、   あたたかい」となります。「AしかしB」は「AかつB」と命題内容を共有し、それに加えて「AかつB」には含まれない前提をもっている、という事になります。
 
 そこで、ある主張に伴う前提を[]で括り、その前提のもとでの命題内容を()で括れば〔前掲の野矢論文に従う〕、
「今日は大寒だ。でも、寒くない」は[大寒ならば寒いと考えられている](今日は大寒であり寒くない)となります。
 一般に、「AしかしB」は次のように書けるでしょう。[Aならば(Bではない)と考えられている](AかつB)

 変形すれば「AしかしBでない」は[AならばBと考えられている](Aかつ(Bでない))となります。
 
〔問い〕次の二つの文の「命題内容」と「前提」を記せ。[→野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』23-25ページから一部改変。]
 aこの店は評判がいい。しかし、高い。
 bこの店は高いが、評判がいい。
 aの「命題内容」=bの「命題内容」                 。
 aの「前提」                               。
 bの「前提」                               。
※注意:「しかし」と類似した接続表現に「ただし」がある。「ただし」は補足的に話題を転換する場面で使われる。
〔課題〕次の二つの文の意味の違いを考えてみよ。
 aこの店は評判がいい。しかし、高い。
 bこの店は評判がいい。ただし、高い。
 
 改めて「連言入れ」と「連言取り」を書き出すと(命題内容が純粋に両立することを連言と呼ぶ)
連言入れ:A,B→AかつB
連言取り:AかつB→A, AかつB→Bとなります。
 
〔勉強のすすめ〕「私は真面目に出席した。しかし単位を落とした」の「前提」は、「真面目に出席すれば、成績がよい」ではない。このさいの「前提」を詳しく分析してみよ。「真面目に出席すれば、どうなのか?」(成績がよければ単位をとれるとはかぎらない) 
〔勉強のすすめ〕「私は十八才以上だから、結婚できた」の「だから」の導入則について、考えてみよう。
 
 
7.選言の導入則・選言の除去則 喫茶店の「または」と違います
[授業目標]選言という結合子の特質を把握できる
「太郎は柔道が強いか、または、花子は柔道が強い」
=「太郎は柔道が強い」か「花子は柔道が強い」の少なくともどちらか一方は正しい、ということです。
 この「または」は喫茶店で使われる「または(喫茶店)」と違います。「ランチセットはコーヒーか紅茶付きで600円」を省略せずに言い換えると以下のようになるでしょう。
 
 「ランチセットを注文した場合、コーヒーがランチに付いており全部で割安600円、または紅茶がランチに付いており全部で割安600円で食べられます」。この読みの「または」では先の「少なくとも一方のどちらか」ではなく、ランチについてくるのはコーヒーか紅茶のどちらか一方だけです。
 
■空所を補充せよ。
こうした喫茶店の「または」のことを 非両立的(exclusive)  選言と呼び、最初に出てきた柔道家のような「または」、つまり 両立的  選言と区別します。普通論理学で使われるのは、「両立的選言」のみを指します。それに対して日常言語では、ケースバイケースで「両立的選言」が使われたり、「非両立的選言」が使われたりします。違いは分かりますか。  両立的  は「少なくとも一方が真」、  非両立的  は「どちらか一方のみが真」の場合に使われます。
 この喫茶店では通用しない、「または」つまり 両立的  選言を導入するために、次の規則を使います。「選言の導入則」
A→AまたはB・・・(1)
B→AまたはB・・・(2)
 
※注意 選言入れ 主張「A」が正しいとして、「B」が何であれ、「AまたはB」は正しいと上の規則(1)は主張しています。でも「B」が何であってもよいとは?「B」は間違った主張でも「A」と何の関係もないものでもかまわないわけです。例えば「ニシンは魚だ」は正しい。するとこれに続けて「ニシンは魚だ、または「日本」は形容詞である」「ニシンは魚だ、またはウナギイヌは魚だ」、これらもみんなOKです。
 
 何であれ「AまたはB」と主張されたとして、その主張が正しいのは、「A」が正しいか「B」が正しい場合です。
 
 では導入則が以上のようなものであるとして、「または」の除去則はどうなるでしょうか。「AまたはB」が正しいとして、そこから「A」も「B」もどちらも正しいなんてことは導けるでしょうか。「または取り」はそんなに単純に行きません。「AまたはB」という形の主張が正しいときに、そこから「または」を使わないどのような主張を導けるかを決めなくてはならないからです。
■「選言の除去則」を述べなさい。
選言の除去則                             。 
 
「選言の除去則」を用いるのが、「消去法」です。
 AかBかという選択肢がある。そこでAではないことがさらに分かる。そうするとそこからBだということが導かれる。消去法はこのような選言的三段論法の応用です。
 
ただし「または」の除去則の別ヴァージョンとして「いずれにせよ論法」というものもあります。すなわち[AまたはB、AならばC、BならばC]→Cというものです。(→は「ゆえに」)
 
「いずれにせよ論法」を複数回使うことにより、「構成的ジレンマ」が成り立ちます。
AならばP
BならばP
CならばP
・・・ KならばP
AまたはBまたはCまたは・・・K 故に結論 P
〔発展問題〕ちょっと複雑に見えるかもしれませんが、骨組みは「いずれにせよ論法」を複数回適用したものです。つまり@いくつかの選択肢があって、そのいずれが真であっても、Pが成り立つ。Aそれらの選択肢のうちどれかが真である。B以上から、その選択肢のいずれが真なのかにかかわらず、Pが必ず成り立つことが言えます。[→三浦俊彦、2004、『論理学がわかる事典』日本実業出版社、190ページ。]
以上を使うと「宇宙人がいないのならば、電波通信を試みるのは無駄である」「宇宙人が電波文明に達していないのなら、電波通信を試みるのは無駄である」「宇宙人が電波文明に達しているならば、宇宙船でこの辺りに来ているはずなので、電波通信を試みることほど、効率が悪い手段を、宇宙人は取るとも思えない(直接コンタクトを取ればよいのだから)から、電波通信を試みるのは無駄である」「宇宙人がいないか、いても電波文明に達していないか、または電波文明に達しているかのいずれかである」という四つの文章から、「宇宙人との電波通信を試みるのは無駄である」という結論が導かれます。今の論証には抜け道がありますが、分かりますか。
 
【休憩】:「宇宙人と出合ったとき、自爆することが合理的であることについての、若干の補足」 
  ロケットで宇宙人に出会ったとします。そのとき、もしひょっとして、宇宙人の知能水準が高ければ、どうなるでしょう。地球を侵略してくる可能性を否定し切れません。ですから、宇宙人に地球のことを知らせる手掛かりを残すことは最悪の選択肢です。相手の宇宙人の方でも、地球人に母星の情報を知らせてはいけない、と判断するでしょう。ですから、知能水準が絶対ばれないよう(核融合で完全に証拠を消す)生き残りの回避、つまり自爆を図るでしょう。自爆する選択をC、生き残る選択をDとして、地球人の採る選択を前に、宇宙人の採る選択を後に書いて、考えうるケースを枚挙しましょう。お互い生き残る選択DD(ちなみに地球人が自爆し、宇宙人が生き残るケースはCDと表せます)は最悪のケースです。 ではお互い自爆するケースCCと宇宙人が生き残るケースCDはどちらが望ましいでしょうか。お互い自爆する方CCがよりまずいように一見思えます。しかし宇宙人が生き残った方CDが、彼らに遭遇した事実が残ります。知能の高い生命体なら、遭遇場所の情報を解析して、地球に関する情報を、導き出すかもしれません。 したがって、宇宙人も自爆してもらう方CCが、自分たち地球人のロケットだけ自爆するケースCDより、断然好ましいでしょう。そして、地球人だけが生き残りD、相手の宇宙人が自爆するCケースDCが最善ということになるでしょう。結局、得点は、 DC>CC>CD>DDとなります。そこで ( , )の中に地球人、宇宙人のそれぞれの点数を書き込みます(宇宙人の方でも同じような判断をするでしょう)。

地球人  \   宇宙人 自爆(C) 生き残り(D)
自爆(C) (地球人7,宇宙人7) (地球人3,宇宙人10)
生き残り(D) (地球人10,宇宙人3) (地球人0,宇宙人0)

 地球人は宇宙人が生き残りDを選択する場合、最悪の選択を避けるため自爆Cを選択します。また宇宙人が自爆Cを選択した場合、わざわざ自爆する必要もないので生き残りDを選択するでしょう。同様な見込みが宇宙人の側に立つと成り立つので、DCとCDが相手の選択を見込みに入れた望ましい選択ということになるでしょう。 したがって、お互い生き残りを模索して、相手が自爆してくれるのを待つということになります(チキンゲーム)。けれども、もし相手が自爆してくれなかったら、どうしましょう。そうなれば採るべき手段は、自爆。これが、相手の自爆しないとき、最適の選択ということになります 。  
 
あとでやりますがAからBが導けるとき、AならばBが言えるのはほぼ自明でしょう。親亀がこけたを仮定して、親亀がこけたことから小亀がこけることが導けるとしたら、親亀がこけたら小亀がこけることはいいですね(「ならば入れ」)。
ちょっと消去法を使った問題をやってみましょうか。[→野矢茂樹,2006,『新版 論理トレーニング』産業図書,第九章,例題2改変。]
 前提1:不満があるならば、その店は安くないか、またはおいしくない。前提2:二度と行く気にならないのならば、その店に不満がある。ある店が安くて二度と行く気にならない店であると仮定して、その店はおいしくないを導く。
〔問い〕空所を補充せよ。
ある店が安くて二度と行く気にならない店である、と仮定すれば     より、その店は二度と行く気にならない。前提2よりその店には不満がある。前提1と前件肯定式よりその店は安くないか、またはおいしくない@。
ところで仮定と連言取りよりその店は安い店であるA。@とAよりその店はおいしくない(     )。よってある店が安くて二度と行く気にならない店なら、前提1と前提2が成り立つとき、その店はおいしくない、と結論できる。

 
8.ド・モルガンの法則 選言の否定と連言の否定
[授業目標]ド・モルガンの法則を習得できるようになる〔ド・モルガンの法則は試験で頻出する重点項目です〕
「ド・モルガンの法則」
(AまたはB)ではない⇔(Aではない)かつ(Bではない)・・・(1)
(AかつB)ではない⇔(Aではない)または(Bではない)・・・(2)
 
※注意 「〜⇔…」とは〜が成り立つならば…が成り立つ、と、…が成り立つならば〜が成り立つ、の両方の成立を主張しています。このとき〜と…は同じ意味を持っています。
■空所を補充せよ。
 そこで(AまたはB)ではない⇔(Aではない)かつ(Bではない)を見てみると、(AまたはB)ではないと(Aではない)かつ(Bではない)は論理的に同じであるということです。例えばピーマンか、またはトマトの少なくとも一方が好きであったとします。その否定は
 答え                                      。 
つまりキャッチフレーズ風にまとめると、選言の否定は否定の連言ということになります。
また(AかつB)ではない⇔(Aではない)または(Bではない)を見てみると、(AかつB)ではないと(Aではない)または(Bではない)は論理的に同じであるということです。例えばピーマンが好きで、かつトマトも好きであったとします。そのことの否定は 答え                                      。 
つまりキャッチフレーズ風にまとめると、連言の否定は否定の選言ということになります。
■来週は土曜も日曜も花子は出かける、を否定する、とどうなるでしょうか。ド・モルガンの法則を使って答えよ。以下同様。〔ちなみに毎日花子は出かける、の否定は、いつか花子が出かけない日がある、となります。全称の否定は否定の存在。
答え                                      。 
■太郎か次郎の少なくともどちらか一人は出かける、を否定するとどうなるでしょうか。〔ちなみに家族のだれかが出かける、の否定は、家族みんなが出かけない、となります。存在の否定は否定の全称。答え                                     。 
(AまたはB)ではないから、(Aではない)かつ(Bではない)が導けることの証明。
(AまたはB)ではないを前提する。@
Aを仮定する(背理法の仮定)。A
AまたはBである(選言入れ)。B
矛盾@とB、背理法よりゆえにAでない。C
Bを仮定する(背理法の仮定)。D
AまたはBである(選言入れ)。E
矛盾@とE、背理法より仮定Aが誤り。ゆえにBでない。F
連言入れとC・Fより(Aではない)かつ(Bではない)。
(Aではない)かつ(Bではない)から (AまたはB)ではないが導けることの証明。
(Aではない)かつ(Bではない)を前提する。@
(AまたはB)を仮定する(背理法の仮定)。A
連言取りと@よりAでない。B
連言取りと@よりBでない。C
選言取りとA・BよりB。D
矛盾CとD、背理法より仮定Aが誤り。ゆえに(AまたはB)でない。
 
■空所を補充せよ。
(AかつB)ではないから(Aではない)または(Bではない)が導けることの証明。
(AかつB)ではないを前提する。@
((Aではない)または(Bではない))ではないを仮定する(背理法の仮定)。A
先に証明したド・モルガンの法則より                          。B
連言取りとBよりAでないことはない。C
二重否定とCより  。D
連言取りとBよりBでないことはない。E
二重否定とEより  。F
連言入れとD・FよりAかつB。G
矛盾@とG、背理法より仮定Aが誤り。ゆえに((Aではない)または(Bではない))ではないことはない。H
二重否定とHより                  。
 
〔問い〕空所を補充せよ
(Aではない)または(Bではない) から (AかつB)ではないが導けることの証明。
(Aではない)または(Bではない)を前提する。@
(AかつB)を仮定する(背理法の仮定)。A
連言取りとAよりA。B
選言取りと@・Bより        。C
連言取りとAよりB。D
矛盾CとD、背理法より仮定Aが誤り。ゆえに(AかつB)ではない。
 
日本の首相の、だれもが方便を使う=日本の首相はすべて方便を使う
=(日本の首相aは方便を使う)かつ(日本の首相bは方便を使う)かつ(日本の首相cは方便を使う)かつ・・・・全称文
日本の首相の、だれかが方便を使う=日本の首相の中には方便を使うものがいる
=(日本の首相aは方便を使う)または(日本の首相bは方便を使う)または(日本の首相cは方便を使う)または・・・・存在文
 
〔勉強のすすめ〕上の事柄とド・モルガンの法則を前提にして、「全称の否定は否定の存在」・「存在の否定は否定の全称」であることを示せ。

 
 
9.条件法と「ならば」の否定
[授業目標]条件法という結合子の特質を把握できる
前件肯定式
まず、以前にやった「ならば」の除去則「条件法の除去則」から。A,AならばBからBが導ける。これを前件肯定式と名づけていました(「ならば取り」と略せます)。例えば「私は論理学の試験に受かれば卒業できる。私は論理学の試験に受かった。故に卒業できる」が当てはまります。
■空所を補充せよ。
ここでAならばBの条件文をめぐるいくつかの用語を定義しておきましょう。条件「A」を   」、帰結「B」を   」と呼びます。そしてAならばBが成り立つとき、AをBの   条件、BをAの   条件と呼びます。前件肯定式は、前件Aを肯定して後件Bを結論しているので、前件肯定式と呼ばれるのです。
※注意 改めて確認しておきたいのですが、「AならばB」だけからは、「A」と断定することも「B」と断定することもできません。「あるものがタヌキの雌ならばそれは〔すべて〕哺乳類である」という主張は、それが「タヌキだ」と断定しているわけではないし、「ある哺乳類がいる」と断定していません。「A」はあくまでも条件であって、「A」が言えて「AならばB」から、はじめて「B」という断定を持ち込むことができます。
「条件法の導入則」については、すでに述べています(「ならば入れ」)。・・・「親亀がこけた」と仮定する。それからその上に載った「小亀がこけた」が言えるとする。ゆえに「親亀がこけるならば小亀がこける」を導くのが一例です。形式的に言えばAを仮定したとき、帰結としてBがいえるならば「AならばB」が導けるのです。

まず注意。ここでの「ならば」は因果的関係を示しません。
〔課題〕「手から石を離せば石が落下する」という「ならば(因果)」を導入するには、どのような条件が必要でしょう。
 三つの条件を挙げなさい。                       
上澄みを取った、言わば純粋な「ならば」の否定はどうなるか考えるために、教科書の問題にチャレンジしてみましょう。
〔問い〕「半値になっているならば、太郎は、そのままかりを買う」※の否定はどうなるでしょう。
「半値になっていても、太郎はそのままかりを買わない」。@
「半値になっていなくとも、太郎はそのままかりを買う」。A
「半値になっているならば、太郎はそのままかりを買わない」。B
■上記の答えの解説を補え。
 「半値になっていなくとも、太郎はそのままかりを買う」Aについて。もとの条件法は        だけが重要なのであって、「見た目は関係ない」「販売員の方がステキとは関係がない」のです。「半値なら見た目がまずくても買う」、まして半値なら、「販売員が向井理のようにチャーミングでなくても買おう」というわけです。このことは「半値でなくとも、販売員がタイプならば、買ったりすることもあり」と矛盾しません。ですから「半値になっているならば、太郎はそのままかりを買う」※とき「半値になっていなくとも、太郎はそのままかりを買う」ことと両立するはずです(さらにまた「太郎がままかりを買ったとしても、半値の場合とは限らない」と言うべきでしょう)。
 また、「半値になっているならば、太郎はそのままかりを買わない」Bは一見「半値になっているのならば、太郎はそのままかりを買う」※の反対であるかのように、見えます。では両方一緒に主張してみましょう。とすると「半値になっているのならば、太郎はそのままかりを買い、かつ買わない」となります。つまり「半値になっている」(仮定C)と条件法取りを前提にすれば、矛盾が生じるということです。
 ということは※・B・Cと
     から「半値になっていない」ことが導かれるわけです。したがって※・B・Cという事態を主張することは、「半値になっていない」という事態と同じです。この「半値になっていない」場合は、「半値になっているならば、太郎はそのままかりを買う」※とちがいますし、「半値になっているならば、太郎はそのままかりを買わない」Bとちがいます。よって「半値になっているならば太郎は、そのままかりを買う」※と「半値になっているならば、そのままかりを買わない」Bの両者は「半値になっていない」場合と両立しえます(※・Bの両者は「半値になっていない」ことに言及しないのですから)。
  
〔問い〕「AならばB」の否定として、適当なのは何か。上の例に当てはめると、どうなるか。
 答え                                   。
〔問い〕「南海地震が起これば岡山は大打撃を受ける」を否定せよ。
 答え                                   。
 
 結局「AならばB」の否定はこうなります。
(AならばB)ではない⇔Aかつ(Bではない)
 
これをさらに否定して、さらなる内容を得ることもできます。
(AならばB)ではないことはない(1)⇔(Aかつ(Bではない))ではない(2)。
前の部分(1)に二重否定取りを適用すれば       。
後の部分(2)にド・モルガンの法則を適用すれば(Aでない)または((Bではない)ことはない)
 さらに(Bではない)ことはないに二重否定取りを適用すれば       。
(AならばB) ⇔(Aでない)またはB
 
AでなくともBならば、(Aでない)またはBを満たしますから(AならばB)は正しくなります。したがって以下のような文でも論理学では真となります。Aが偽でBが真の場合。
5が偶数ならば日本の首都は東京である。
猫は目から炎を出すならばネズミは象より小さい。
BでなくともAでないならば、(Aでない)またはBを満たしますから(AならばB)は正しくなります。したがって以下のような文でも論理学では真となります。Aが偽でBが偽の場合。
人間が昆虫ならば1+1=3である。
もちろんAでありBならば、(Aでない)またはBを満たしますから(AならばB)は正しくなります。したがって次のような文も論理学では真となります。Aが真でBが真の場合。
  5が自然数なら7も自然数である。
〔課題〕「水曜日」「木曜日」「金曜日」「前日」「翌日」という語句を使い、真となる条件法の命題をできるだけ、多く作れ。
  
Aが正しくBが正しくないときのみAならばBは否定される。
 
〔課題〕「反時計回りに見えれば左脳派、つまり論理思考に親しみやすい」を打ち消すとどのような文章になるか?
〔発展問題〕野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』14-15ページより改変。凶弾に倒れたサダト大統領の魂が天に昇る途中で、白い翼の天使からこんなことをおそわった。
 「あなたはもうすぐ、分かれ道につくでしょう。ひとつの道は天国に、もうひとつの道は地獄に行く道です。そこにはふたりの人が立っていて、あなたはそのどちらかひとりに、一回だけ質問をすることができます。天国に行く道がわかるように、上手に質問をしなさい」
ああそれはありがたい、とサダトが思っていると、天使は言葉を続けた。
 「ふたりの人というのは、天使の姿になっているのであなたには区別できないでしょうが、ひとりが鬼太郎で、もう一人がネズミ男です。鬼太郎はいつでも本当のことをいいますが、ネズミ男はいつでもウソをつきます。あなたはそのどちらかに、一回だけ、『はい』か『いいえ』で答えられる質問をしなければなりません。二回以上質問をしても、二人とも答えてくれませんよ。では、ご成功を祈ります」
これを聞いたサダトは、こんなふうに考えた。
 「おれは一回しか質問ができない。しかも鬼太郎かネズミ男だか区別できない相手に、質問するんだ。それじゃあ、答えがウソか本当だか、わからないじゃあないか。それでは知りたいことがわかるはずがない」
 それでもサダトは、わかれ道につくまでに、うまい質問を思いついて、正しい道を知ることができた。
 サダトは、誰だかわからない相手に、どんな質問をしたのだろうか?[→野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』中公新書、14-15ページ]


 
 
10.条件法と逆・裏・対偶
[授業目標]条件法の応用が出来る。逆・裏・対偶を習得する(次回小テスト)
 「AならばB」という文に対して、「(Bでない)ならば(Aでない)」を対偶と言います。
                「BならばA」を逆と言います。
                「AでないならばBでない」を裏と言います。
 
 「AならばB」が正しいとき、必ず対偶は正しくなります(正しくないとき、必ず対偶は正しくありません)。つまり対偶は元の命題と真偽に関して一蓮托生なのです。
それ
に対して逆・裏は必ずしも真とはなりません。
 
■空所を補充せよ。
 まずは対偶が正しいことの確認。例として「その日が月曜日ならば、理髪店は休みだ」を考えます。対偶:「理髪店が休みではないならば、その日は月曜日でない」は、なぜ正しくなるのと言えるのでしょうか。
その日が月曜日ならば、理髪店は休みだ。@
その日は休みでない。A
上の二つの文@Aが正しいとき、問題のその日は月曜日でしょうか。月曜日以外でしょうか。もしその日が月曜日ならば@から        のはずです。しかしAから、その日は休みではありません。だとすれば矛盾が生じるわけですから、     から月曜日でない、と結論できます。というわけで、@が正しいときには、それと連動して、その対偶「理髪店が休みでないならば、その日は月曜日ではない」も正しいことになります。
※注意 一般的にいえば「AならばB」ならば、「(Bでない)ならば(Aでない)」となります。「(Bでない)ならば(Aでない)」の対偶は「AならばB」ですから、「(Bでない)ならば(Aでない)」ならば「AならばB」となります。したがって両者は論理的に、意味が等しくなります。
 
 逆は必ずしも真ならず。
その日が月曜日ならば、理髪店は休みだ。@
だから、理髪店が休みならば、その日は月曜日だ。A
@は月曜日以外に理髪店が休みの日があるかどうかについては、何も述べていません。実際、第三日曜日とか、お盆とかは、休みです。ですから@が正しくとも、理髪店が休みだから、その日は月曜日だとは言えません。
というのも、「ならば」の否定のところで言及したように、一般に「AならばB」という条件法では、条件Aが満たされていない「Aでない」場合については、態度が明らかではないからです。「AならばB」のとき「AではなくてもBである」可能性があります。ですから「BならばA」と断定できないのです。
■上図において逆を赤紫、裏を深緑、対偶を紺で塗り分けよ(矢印の箇所)
〔課題〕例えば「物価が上がれば、電気使用料は上がる」としましょう。ではこの時、電気使用料が上がるのなら、物価が上がっている、と言えるでしょうか。
 説明                                   。
またもちろん「AならばB」という条件法では、条件Aが満たされていない「Aでない」場合については何も主張していないから「Bでない」と言い切ることもできません。〔問い〕「物価が上がれば、電気使用料は上がる」としても「物価が上がらないのなら、電気使用料は上がらない」と言えないことは明白です。具体例を挙げて答えなさい。
 具体例                                 。
■空所を補充せよ。
裏というのは、  の対偶になっています。「AならばB」の逆は「       」ですから、その対偶を取ると、「AでないならばBでない」という裏になります。つまり  と裏は対偶関係にあるわけですから、論理的に意味が等しいということになります。
〔問い〕六歳未満で大人同伴でないならば、ジェットコースターに乗れない、の逆・裏・対偶を作ってください。以上と未満に注意。
(六歳未満で大人同伴でない)の否定を作ります。
 まずド・モルガンの規則を使って                  。
 未満でないを肯定的表現に置き換えると                            。
したがって逆は、                             。 
裏は、                                   。
対偶は、                                 。
〔課題〕有望な人は勤勉であり、かつ信頼できる、の逆・裏・対偶を作ってください。
 逆は、                                   。
 裏は、                                   。
対偶は、                                  。
〔勉強のすすめ〕
さてところで、勤勉でない人や、または信頼できない人は、有望でないという文から、どのような情報が得られるでしょう。
勤勉でない人や、または信頼できない人は有望でないと前提します。とすると、対偶とド・モルガンの法則を用いて、有望なら勤勉で、かつ信頼できる人です。ここで有望な人と仮定します。
すると前件肯定式より、勤勉で、かつ信頼できる人が導かれます。連言取りを使うと、その人は勤勉な人となるでしょう。ここで条件法入れ※を使うと、先の前提の下で、有能な人は勤勉となります。これに対偶を使って、勤勉でない人は有能でないとなります。
※復習 条件法入れ:「A」を仮定して「B」が導かれるとき、「AならばB」と結論してよい。
 
(AまたはB)ならばCが成り立つとき、AならばCを導いてもかまわない、ということです。
 
〔証明〕一般的な確認。(AまたはB)ならばCのとき、Cでないのならば(AでないかつBでない)。ここでCでないを仮定。するとAでなくかつBでない。連言取りよりAでない。したがって「条件法入れ」よりCでなければAでない。対偶を採って、AならばCである。故に(AまたはB)ならばCのとき、ゆえにAならばCである。
  
なおAならばC、BならばCのとき(AまたはB)ならばCが成り立ちます。
〔証明〕Cでないを仮定。AならばCの対偶より、CでないならAでない。Aでない。同様にBならばCの対偶よりBでない。故に連言入れより、AでなくかつBでない。ならば入れより、CでなければAでなくBでない。故に、対偶より(AでなくかつBでない)ないならばCである。ド・モルガンの法則より、AまたはBならばCである。
〔勉強のすすめ〕AならばB、AならばCのとき、Aならば(BかつC)と言えることを示せ。またAならば(BかつC)のとき、AならばBを導いてもかまわないことを示せ。

〔課題〕「文系の人は論理に弱い。O教授は論理に弱い。ゆえにO教授は文系である。」という推論が誤っている理由を挙げなさい。

〔課題〕「日本においては、犯罪の件数は増加している」「犯罪が増加しているなら、社会的不安は増す一方である」「ゆえに日本においては、社会的不安は増す一方である」の前提、結論を検討し、この推論の正しさを検証せよ。

〔課題〕「単位を修得しているなら、履修登録している」の逆は正しいか。

〔課題〕「インフレならば、物価が上がる。アベノミクスが成功しているならば、インフレである。物価が上がるなら、アベノミクスが成功している。」という推論が誤っている理由を挙げなさい。

 
〔課題〕以下の命題の間に成り立つ推論のうち正しいものはどれか。
@ カバならば、四本足でありかつ、哺乳類である。故にカバは哺乳類ある。
A 梅組の小学生ならば、12歳未満である。故に梅組の小学生は10歳以上かつ12歳未満である。
B 花子か、または太郎が家に居るならば、電話が通じる。故に花子が家に居るならば電話が通じる。
C 太郎がプレゼントをもらえば、我が家は喜ぶ。故に太郎がプレゼントをもらうか、または花子が合格すれば、我が家は喜ぶ。

 
11小テスト
問1.次の推論の誤りを指摘せよ。塩酸は銀イオンの入った水溶液と反応し、白濁の塩化銀が出来る。ところで塩酸にある液体を入れたところ、白濁が出来た。ゆえにある液体には銀イオンが存在していた、と結論できる。

問2.ルート2が有理数であることを仮定して、矛盾が生じるから、ルート2は有理数でないことを背理法によって証明してください。




問3.「AかつB」が正しく言えているとき、「A」も   と言えるし、「B」も   と言えるということになりましょう。例えば「九鬼は大学の教員であり、かつ哲学を専攻している」から「九鬼は大学の教員である」と言えるでしょう。また「九鬼は大学の教員であり、かつ哲学を専攻している」から「九鬼は哲学を専攻している」とも言えるでしょう。これを図式化すれば                。
言うまでもなく「かつ取り」です。

問4.前提1:不満があるならば、その店は安くないか、またはおいしくない。前提2:二度と行く気にならないのならば、その店に不満がある。或る店が安くて二度と行く気にならない店であると仮定して、その店はおいしくないを導く。空所を補充せよ。
或る店が安くて二度と行く気にならない店であると仮定して     より、その店は二度と行く気にならない。前提 よりその店には不満がある。前提 よりその店は安くないか、またはおいしくない@。
ところで仮定より連言取りより安い店であるA。@とAよりその店はおいしくない(消去法)。よって或る店が安くて二度と行く気にならない店なら、その店はおいしくない。
問5.ブリもヒラメも好きである。その否定をド・モルガンの法則を使って、作りなさい。
問6.六歳未満で大人同伴でないならば、チケットを配布されない、の逆・裏・対偶を作りなさい。


 
12.推移律 AならばB BならばC のとき AならばC
[授業目標]条件連鎖の応用になれることができる
 AならばB BならばCの連鎖を組み合わせると、AならばCといった条件法を導き出すことができます。
 
〔課題〕空所を補充せよ。
例えば風が吹けばリンゴの枝が揺れる。リンゴの枝が揺れればリンゴが落ちるから
                      
この推移律と先にやった対偶を、組み合わせると、複雑な推論ができます。
〔課題〕以下の推論のうち正しいものを選べ。
(1) 数学は総合的である。物理学は数学でない。それゆえ物理学は総合的ではない。
(2) 数学は総合的である。整数論は総合的である。それゆえ整数論は数学である。
(3) 数学は総合的である。論理学は総合的でない。それゆえ論理学は数学ではない。
ヒント:「数学は総合的である」とき「数学でなければ総合的でない」は裏
    「数学は総合的である」とき「総合的ならば数学である」は逆
 
 逆・裏は必ずしも真ならず
 
〔課題〕以下の推論は正しいか。
論理的な人は理屈っぽい。淡泊な人は理屈っぽくない。それゆえ淡泊な人は論理的ではない。   正・誤  
論理的な人は理屈っぽい。理屈っぽくない人は淡泊である。それゆえ論理的でない人は淡泊である。    正・誤  
〔課題〕以下の推論は正しいか。
 カフェインには眠気を取る作用がある。お酒にはカフェインは含まれない。だからお酒には眠気を取る作用がない。 正・誤  
 ヒント:カフェインには眠気を取る作用がある、を言い換えれば、カフェインが含まれていれば眠気を取る作用がある、となる。ここから、カフェインが含まれていなければ眠気を取る作用がない、を導くのは妥当な推論か。 [→野矢茂樹、2006、『新版 論理トレーニング』産業図書、131ページより改変。]
〔課題〕以下の推論は正しいか。
 認識がア・プリオリでないならば、それは知覚判断である。認識がア・プリオリでないならば、それは必然的でない。それゆえ、知覚判断は必然的でない。 正・誤  
 ヒント:認識がア・プリオリでないならば、それは知覚判断である。これから、認識が知覚判断であれば、ア・プリオリでない、を導いてもかまわないか。
 
〔課題〕ア〜オを前提にしたとき、論理的に導かれるのは1から5のうちどれか。
ア 国語が不得意な者は英語が不得意である。
イ 数学が得意な者は英語が得意である。
ウ 社会が得意な者は理科が不得意である。
エ 国語が不得意な者は理科が得意である。
オ 体育が得意な者は英語が不得意である。
1体育が得意な者は国語が不得意である。
2社会が不得意な者は理科が得意である。
3国語が得意な者は社会が得意である。
4英語が不得意な者は国語も不得意である。
5国語が不得意な者は数学も不得意である。 [→田辺勉、2001、『標準 判断推理』実務教育出版、5ページ、【例題1−2】]
 
補足:AならばC、BならばCから、(AまたはB)ならばCが言える。
 
復習:以前にやったこと
(AまたはB)ならばCから、AならばCが言えること。
(AまたはB)ならばC、の対偶を取ると、CでなければAでなくかつBでない。@
Cでないを仮定。前件肯定式と@よりAでなくBでない。A
連言取りとAよりAでない。条件法入れよりCでなければAでない。B
Bの対偶を取るとAならばCが言える。
 
〔課題〕次の推論のうち正しいものはどれか。
1健康な人は長生きする。
 タバコを吸う人は不健康である。
 ゆえに、タバコを吸う人は長生きしない。
 ヒント:不健康な人は長生きしないと言えるか。
2勤勉な人は人から信用される。
 おしゃべりな人は人から信用されない。
 ゆえに、おしゃべりな人は勤勉でない。
 ヒント:信用されない人は勤勉でないと言えるか。
3明朗な人はおしゃべりである。
 外向的な人はおしゃべりである。
 ゆえに、明朗な人は外向的である。
 ヒント:おしゃべりな人は外交的と言えるか。
4山が好きな人は海が嫌いである。
 泳ぎが得意な人は海が好きである。
 ゆえに、泳ぎが不得意な人は山が好きである。
ヒント:泳ぎが得意でない人は海が好きでないと言えるか。
海が好きでない人は山が好きであると言えるか。(ここでは嫌い=好きでないと解する)
5几帳面な人は時間に正確である。
 遅刻が多い人は几帳面ではない。
 ゆえに、遅刻の多い人は時間に正確ではない。
 ヒント:几帳面でない人は時間に正確でないと言えるか。[→田辺勉、2001、『標準 判断推理』実務教育出版、5ページ、【例題1−4】]

〔勉強のすすめ・予習〕
対偶を使った推論の問題を解いてみよう。
 @休日には久美子は英会話学校に行く。
 A休日でない日には一人は講義に出たうえで、さらに英会話学校に行く。
 B久美子が英会話学校に行く日はバスと電車が空いている。
 Aの対偶より
 C一人が講義に出ないか、または英会話学校に行かない日は休日である。
 Cより
 D一人が講義に出ない日は休日である。
 @・Dより
 E一人が講義に出ない日は久美子は英会話学校に行く。
 B・Eより
 F一人が講義に出ない日は電車が空いている。
 
〔問い〕つぎの文章は論理的な誤りをしている。1〜5のうち、この文章と同じ種類の誤りをしているものを1つ選びなさい。
 間者佐助からもたらされる情報は、正確な場合も不正確な場合もあったが、今まで、正確な情報の場合は、必ず間者半蔵からも同じ情報がもたらされていた。昨日、「ある大名が将軍に謀反をくわだてている」という情報が新たに佐助と半蔵からもたらされた。この2人の情報をあわせると、この大名は謀反をくわだてているに違いない。
 1.インフルエンザにかかると熱が出る。僕は今日熱があるので、インフルエンザにかかったに違いない。
 2.「新規会員にはインターネットの接続料金が2ヵ月無料」という宣伝がなされている。彼は昔からの会員なので、インターネットの接続料金は無料にはならないに違いない。
 3.「危険物は持込み禁止」と書いてあるのに、果物ナイフは持込みが赦された。果物ナイフは危険物でないと判断されたに違いない。
 4.「騒音とスピードを出す乗り物は規制する」という規則が公園にある。しかし、最近は騒音を出すだけでも公園に入ることを禁止された例があり、スピードを出すかどうかは問題にならないに違いない。
 5.あのコメンテータはいつも大げさなことを言う。今回のコメントも大げさに言っているに違いないから話半分に聞くほうがよいだろう。[→適性試験委員会、2004、『法科大学院統一適性試験ガイドブック 2004年』商事法務、76-77ページ]
 ヒント:1.逆〔の虚偽〕 2.裏〔の虚偽〕 3.対偶 4.存在凡化の虚偽 5.全称例化

 
13.ド・モルガンの法則と条件法1.
[授業目標]ド・モルガンの法則を使った条件連鎖の応用になれることができる
 ある行為が犯罪であるならば、(犯罪の型に合致し、かつ、違法である)。…@
 責任をもたないものの万引きは犯罪でない。…A
 故に責任をもたないものの万引きは、犯罪の型に合致しないか、または違法でない。…B
 
@の裏を取れば、犯罪でないならば(犯罪の型に合致し、かつ、違法である)ことはない、となります。…C
つまり@の裏、Cはド・モルガンの法則より、犯罪でないならば犯罪の型に合致しないか、または違法でないとなります。Cが正しければ、A・Cを用いて、Bを妥当に推論できます。
しかしながら今の場合、Cは@の裏にすぎません。裏を推論連鎖の途中で使ってはいけませんから、これは妥当な推論とは言えません。実際、責任をもたないものの万引きは法に触れる行為です(小学生の万引きには責任が帰せられない故に、犯罪ではありません)
 前にやった問題:「ある行為が犯罪とされるためには、その行為が刑法で定められた犯罪の型にあてはまり、かつ、正当防衛のように違法性が阻却される理由もなく、かつその行為を為した人に責任を帰することができるのでなければならない。その観点から、たとえば借金を踏み倒すといった債務不履行を見てみると債務不履行は刑法が定める犯罪の型には該当しない。だから、債務不履行は犯罪ではない」。これが正しい推論であるのと違っています。
逆・裏は必ずしも真ならず
  
 二郎かまたは三郎にプレゼントがあるのならば、太郎にプレゼントはなし。…@
 太郎にプレゼントがなしならば、太郎はテストの意気喪失。…A
 故に太郎がテストの意気喪失でないならば、二郎はプレゼントなし。…B

 Aの対偶より太郎がテストの意気喪失でないならば、太郎にプレゼントあり。…C
 @の対偶より太郎にプレゼントがあり、ならば、(二郎かまたは三郎にプレゼントがある)ということはなし。…D
 Dをド・モルガンの法則によって書き換えれば、太郎にプレゼントあり、ならば二郎にプレゼントはなし、かつ三郎にプレゼントはなし。…E
 C・Eより太郎がテストの意気喪失でないならば、二郎にプレゼントはなし、かつ三郎にプレゼントはなし。
 よって太郎がテストの意気喪失でないならば、二郎にプレゼントはなし。よってBが導かれる。

〔課題〕では教科書を離れて二題やってみましょう。
認識可能なものは知覚に基礎をもつ。
認識不可能なものは、想像することも不可能である。
想像不可能なものは、認識することも不可能である。
(1)以上の前提から知覚に基礎をもたないものは、想像することも不可能である、が導けるか。 正・誤  
(2)以上の前提から知覚に基礎をもつものは、想像することも可能である、が導けるか。 正・誤  
〔問い〕次のア〜エを前提にして、確実に言えることは1から5のどれか。
ア 忍耐力のある人や明朗な人は協調性がある。
イ スポーツの好きな人には、体力があり、かつ忍耐力がある。
ウ スポーツが好きでない人は、セールスマンに向かない。
エ 社交的でない人は協調性がない。
1社交的な人は明朗である。
2セールスマンに向く人は協調性がある。
3スポーツが好きな人は明朗である。
4忍耐力のない人は協調性がない。
5協調性のある人は忍耐力がある。[→田辺勉、2001、『標準 判断推理』実務教育出版、12ページ。]
 
犯罪とは、構成要件に該当する違法かつ有責な行為と定義される。
犯罪の成立要件=構成要件該当性+違法性+有責性+行為
構成要件に該当すれば、原則として違法性・有責性が推定され、違法性阻却事由・責任阻却事由が存在しない限り、違法性・責任が認められて犯罪が成立する。
犯罪が成立すれば、国に犯罪者を処罰する刑罰権が発生するのが普通であるが、例外的に一定の条件が備わらなければ処罰しないこともある。これを客観的処罰条件という(例:刑法197 条2項の事前収賄罪における「行為者が公務員になった場合」、破産法265 条の詐欺破産罪における「破産手続の開始が決定したとき」)
 
構成要件には客観的構成要件要素として一方
a) 実行行為の客観面 @行為性(作為と不作為) A行為主体(=身分)、行為客体、行為態様・方法、行為状況 B結果発生の危険性 C正犯性
b)結果
c)因果関係
がある。他方主観的構成要件要素として
d)実行行為の主観面 D故意または過失 Eその他の主観的構成要素(例えば、目的犯における「目的」)
がある。
補足:犯罪は行為でなくてはならないこと。したがって、動物の行動や自然現象はどのような被害・災害をもたらそうとも、犯罪にはなりません。また外部に現われていない内心の意思や思想それ自体も、それ自体では犯罪とはなりえません。 
〔発展問題〕カルネアデスの舟板のような場合、犯罪とは見なされない。以下の論法はどうなっているか、論理の筋道を再構成せよ。[ →三井誠・曽根威彦・瀬川晃、2009、『入門 刑事法』有斐閣、19-20ページ。]@とAは違う論理構成です。
@「カルネアデスの舟板」の場合、「(刑)法としては、できればA・B2人の命を救いたいのであるが、それができない状況にある以上、せめて2人とも犠牲となる事態だけは避けなければならず、そのためには少なくとも1人だけが生き残る途を模索しなければならない。そして、生命の間に価値序列が付けられない以上、法としてはAが助かろうとBが助かろうとどちらでもよいわけで、Aの行為は法の容認する事態、つまり適法的行為となる」。
A「カルネアデスの舟板」の場合、「Aの行為は何ら落ち度のない第三者Bの正当な利益(この場合は生命)を侵害するからやはり違法であるが、板をBに渡して自らは身を引くという適法な態度を期待することができない以上、現実にAの取った態度を法的には非難することができない」。

 
14.ド・モルガンの法則と条件法2.
 コックのきげんが悪いのならば、メリケン亭はやらない。…@
 メリケン亭がやっていないのならば、太郎はインスタントラーメンとハンバーガー。…A
 故に太郎がハンバーガーでないならば、コックのきげんは悪くない。…B
 
太郎がインスタントラーメンでないかハンバーガーでないならば、メリケン亭はやっている。…Aの対偶
Aの対偶から太郎がハンバーガーでないならば、メリケン亭はやっている。
メリケン亭がやっているのならば、コックのきげんが悪くない。…@の対偶
よってAの対偶と@の対偶が正しいとき、太郎がハンバーガーでないならば、コックのきげんが悪くない。
 
〔課題〕次の各命題が成り立つとき、確実に言えるものはどれか。
・猿が好きな人はトラが好きである。
・犬が好きな人は猿が好きである。
・猿が好きでない人は猫が好きでない。
・キリンが好きでない人は猿が好きでない。
 1.キリンが好きでないかまたはトラが好きでない人は犬が好きでない。
 2.トラが好きな人は犬が好きでない。
 3.犬が好きかまたは猫が好きな人はキリンが好きである。
 4.キリンが好きな人はトラが好きである。
 5.猫が好きな人は猿が好きである。
 
〔課題〕以下の命題が成り立つとき、確実にいえるものは1から5どれか。
・読書が好きでない人は音楽が好きである。
・体力がある人はスポーツが好きである。
・山が好きでない人はスポーツも努力も好きでない。
・読書が好きな人はすべてスポーツが好きである。
・スポーツが好きな人はテレビが好きでない。
1.音楽が好きでない人はスポーツが好きである。
2.テレビが好きでない人は体力がない。
3.読書が好きな人はテレビが好きでない。
4.テレビが好きな人は音楽が好きでかつ体力がない。
5.テレビが好きでないか山の好きな人はスポーツが好きである。
 
〔課題〕ある会社の社員に、1日のうちテレビと新聞にそれぞれ費やす時間を、30分未満、30分以上1時間未満、1時間以上に分けて質問したところ、次のことがわかった。
・テレビを30分未満見る人は、新聞を30分以上1時間未満読む。
・テレビを1時間以上見る人は、新聞を1時間以上は読まない。
このとき正しく言えることは、次のうちどれか。
 1.新聞を30分以上1時間未満読む人は、テレビを30分未満見る。
 2.新聞を30分以上読む人は、テレビを1時間以上見る。
 3.新聞を1時間未満読む人は、テレビを1時間以上見る。
 4.新聞を30分未満読む人は、テレビを30分以上1時間未満見る。
 5.新聞を1時間以上読む人は、テレビを30分以上1時間未満見る。[→資格試験研究会編、2002、『新スーパー過去問ゼミ 判断推理』実務教育出版、34ページ。]
 
・テレビを30分未満見る人は、新聞を30分以上1時間未満読む、の対偶を作れ。
・テレビを1時間以上見る人は、新聞を1時間以上は読まない、の対偶を作れ。
 
 
・テレビを30分未満見る人は、新聞を30分以上1時間未満読む、の対偶を作れ。
(新聞を30分以上かつ一時間未満読む)ということがなければ、テレビを30分未満見ない。
新聞を30分以上読まないかまたは1時間未満読まないかのどちらかであれば、テレビを30分未満見ない。
新聞を30分未満読むかまたは1時間以上読むならば、テレビを30分以上見る。
新聞を1時間以上読む人はテレビを30分以上見る。
・テレビを1時間以上見る人は、新聞を1時間以上は読まない、の対偶を作れ。
新聞を1時間以上読む人はテレビを1時間以上見ない。
新聞を1時間以上読む人はテレビを1時間未満見る。
故に新聞を1時間以上読む人は、テレビを30分以上1時間未満見る。

〔勉強のすすめ〕
 「「不作為者を除いても結果は発生した」はずであるから、因果関係を否定せざるをえないのではないだろうか。」という(竹田直平に対する)金澤文雄の論理は今ひとつ納得しがたい。竹田が「不作為者なき不作為はない」というのならば「不作為があるのならば不作為者はいた」ということのみが導かれるはずである。すなわち、不作為の存在は、行為者性を欠いた〈存在〉がいることを意味する。後件、つまり或る〈存在〉が行為者性を欠いているということは、すなわち、そのような客観的事態が、構成されているものと解することができる」。この機会に以前、書いた拙文の表現を訂正しておきます。
 不作為犯が成立するためにはどのような条件があるか、考えてみよう。
※補足:「@例えば、暴行または脅迫をするため多衆が集合した場合において、権限のある公務員から「解散の命令を3回以上受けたら解散せよ」という規範に違反する場合のように(刑法107条)、不作為によって命令規範に違反する場合が真正不作為であり、A溺れている子供を救助しないことにより「人を殺すな」という規範に違反する場合のように、不作為によって禁止規範に違反する場合が不真不正作為犯です」[ →三井誠・曽根威彦・瀬川晃、2009、『入門 刑事法』有斐閣、45ページ]。@の場合、遵守すべき作為義務が法文において明示化されているのに対し、Aの場合、殺人罪における「人を殺すな」のように、結果の発生を禁止の対象とする結果犯=殺人罪を、内容とする規範が前提とされているため、刑法が作為義務について何ら規定を設けていない場合、作為義務違反をいかにして問題にするのか、という困難に直面します。不真正不作為犯は、作為によって禁止規範に違反する真正作為と同一の構成要件に該当するのですから、不作為作為と同価値であると認定されなければなりません。つまり、不作為は結果の発生を防止すべき作為義務に違反することが要求されます。この点、今の「人を殺すな」のケースでは、溺れている子に対して、親は法律上の作為義務=救助義務がありますが、隣人には法律上の作為義務はありません。作為義務は、今の例で民法820条の規定する子の監督・教育義務、契約に基づいて患者を看護すべき看護師の義務、交通事故を起こした運転手の被害者救助義務のような先行行為に基づく防止義務などが、その例です。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/09-56/inoue.pdf

〔問い〕一方の面に数字が書かれ、もう一方の面にはアルファベットが書かれているカードが下のように並べられています。 次の仮説が正しいことを証明するためにめくらなくてはいけない2枚のカードはどれでしょうか。 表はE, K, 4, 7
カードの片面に母音が書かれていたら
その裏には偶数が書かれてある



15.インターネットによる復習
[授業目標]今まで習ったことがらをHPを閲覧して復習する
さらに発展学習をしたいひとのために。
〔問い〕@Aが外出するとき、Bは残らなければならない、とAAが外出するとき、Bも外出しなければならない、は互いに矛盾するか。矛盾しない理由を説明しなさい。
〔課題〕彼が犯人ならば、夫人を殺害しかつ、宝石を盗まないであろう。宝石は盗まれている。ゆえに彼は犯人ではない、は正しい推論か、検討せよ。


〔文献一覧〕
三井誠・曽根威彦・瀬川晃、2009、『入門 刑事法』有斐閣
三浦俊彦、2002、『論理パラドクス 論証力を磨く99問』二見書房。
三浦俊彦、2004、『論理学がわかる事典』日本実業出版社。
野矢茂樹、1994、『論理学』東京大学出版会。
野矢茂樹、1997、『論理トレーニング〔旧版〕』産業図書。
野矢茂樹、2005、「しかしの論理」『他者の声 実在の声』産業図書、267-279ページ。
野矢茂樹、2006、『論理トレーニング〔新版〕』産業図書。
野矢茂樹、2006、『入門!論理学』中公新書。
野崎昭弘、1976、『詭弁論理学』中公新書。
Russell,A.W.Bertrand, 1973(←1904),“Meinong’s Theory of Complexes and Assumption”
  in: Essays in Analysis, George Braziller.
Russell,A.W.Bertrand, 1912, The Problems of Philosophy, Oxford Univetrsity Press.
Russell,A.W.Bertrand, 1980(←1940),An Inquiry into Meaning and Truth, George Allen&
  Unwin.
適性試験委員会、2004、『法科大学院統一適性試験ガイドブック 2004年』商事法務
アンソニー・ウェストン著、古草秀子訳、2005、『論理的に書くためのルールブック』PHP研究所